花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「巴文様」について

2012-09-06 | 文様について


presented by hanamura ginza


9月に入ってから、
季節の変わり目の
不安定な天気の日が多くなりました。
突然の雷雨に見舞われて、
雨宿りをすることもありますが、
雨が降るたびに、少しずつ涼しくなっているように感じられます。

暑い夏が少しずつ遠ざかり、
ほっと一息つくこの季節には、
次の季節に向けた準備にも気持ちが向きますね。

花邑 銀座店では、ただいま「更紗の帯展」を開催しています。
これからの季節の装いに向け、
洒脱で魅力的な更紗を厳選して、
お仕立てした帯を多数ご紹介しています。

今日は、その「更紗の帯展」でご紹介している帯の意匠から、
「巴(ともえ)文様」について、
お話しましょう。

巴文様とは、勾玉(まがたま)のようなかたちをした
C字形の文様を指します。
巴文様の由来にはいくつかの解釈があり、
勾玉が図案化されたものという説や
湧いてめぐり流れる水の姿が渦巻き状に文様化されたものという説、
弓を射るときに使う鞆(とも)が意匠化されたもという説
象形文字の蛇が変化したものという説、
など、定まっていません。

そもそも「巴」という漢字は「は」と読むべきもので、
「ともえ」とは本来読みませんでした。
しかし、「巴」という漢字の形状が巴文様の形に似ていたため、
「巴(は)」を「ともえ」とも読むようになったようです。

日本では、神社の神紋にこの巴文様を用いていることが多く、
生活の中でも目にする機会が多い文様です。

アジアやエジプト、スペインなどの世界各地でも
巴文様にかたちが良く似た文様を
見ることができます。
しかしながら、その形が意味するものは、
それぞれの国で若干異なります。
中国では「雷」、朝鮮半島では「陰陽における太極」
エジプトでは「蛇」などをあらわしたりもしています。

巴文様の種類も豊富で、
2つの巴が円形状に向き合ったものが二つ巴、
3つの巴が円形状に向き合ったものが三つ巴、
右に尻尾のような先端が向いているものを右巴、
左に尻尾のような先端が向いているものを左巴と呼び、
その数や巴の向きなどでよび名が異なります。

この巴文様が、いつぐらいから意匠に用いられたのかは、
定かではありません。
それでも、平安時代の装束には
すでに用いられていたようです。

水を意味する巴の文様は
家事などの厄よけとして、
神社の屋根瓦などに施されたりもしました。

平安時代の後期になると、
公家の西園寺家がはじめて家紋に巴を用いるようになりました。
ちなみに、平安時代の後期には、
『巴御膳」と呼ばれた武将の女性がいました。
巴御前は、信濃国の武将だった源義仲の妾だったともいわれていて、
能謡ではこの2人を物語に登場させた「巴」という演目があります。

鎌倉時代になると、武将も家紋に用いるようになります。
また、江戸時代には 350 もの武家が家紋に巴を用いていました。

この巴を意匠に用いたものが
江戸時代につくられた更紗にもあります。
この巴文様の更紗は、異国からもたらされた
「古渡り更紗」のなかにも見つけることができます。

更紗の発祥地、インドではこの時代になると、
輸出する国々の好みに合わせた文様を多くつくるようになっていましたが、
巴文様の古渡り更紗も、そういったもののなかのひとつだったようです。




上の写真の名古屋帯は、

大正時代につくられた和更紗からお仕立て替えしたものです。
伝統文様の三崩しと巴を組み合わせ、市松格子状に配した意匠は、
シンプルでモダンな雰囲気とともに、
古来より用いられてきた伝統文様のかたちの美しさが感じられます。

更紗というと、唐花文様を思い浮かべる方も多いかと思いますが、
上の和更紗のように、伝統文様や人物、器物などをあらわしたものも多くあります。
そういった更紗は、いま見ても小粋で、その意匠からは遊びごころが感じられます。

巴文様の解釈のひとつには、
新しいものと、受け継がれてきたものが混ざり合い、
ひとつのもの(縁)を形成するという意味合いもあります。
このような巴文様が配された古布を
帯などへお仕立て替えしていると
まさにぴったりな意匠だという気もくるのです。

※上の写真の三崩しに巴文様 和更紗 名古屋帯は花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 9 月 13 日(木)予定です。

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