presented by hanamura ginza
今日は勢力の強い台風がここ東京にも上陸し、
強い風と雨が吹き荒れていました。
それでも明日は、天気となる地方が多いようで、
秋晴れが予想されています。
日一日と深まっていく秋、
和の装いを心から楽しめる季節の到来ですね。
やはり秋になると、お着物でお出かけされている方も
多く見かけるようになります。
道すがらそうした和装をされている人を見た人々が
「お人形さんみたいでかわいらしいわね」と
おっしゃっているのを耳にすることもよくあります。
たしかに和装には人形的なかわいらしさが感じられますが、
人形=人をかたどったもので、
むしろ人形が和装をしている日本女性の美しさを
写し取ったものですから、
本来は逆のお話なのですね。
それでもやはり和人形からは、
昨今では目にすることが減ってしまった、
日本女性の伝統美を見出すことができます。
そのような古き良き時代の人々の美があらわされた和の人形は、
各地に伝統工芸品として多く残っています。
雛祭りで飾られる雛人形、端午の節句で飾られる五月人形、
福岡県福岡市博多区でつくられる博多人形などは
皆さんもよくご存じでしょう。
そのほかにも子どもが主体の市松人形、
和紙と千代紙でつくられた姉様人形などがあります。
このような人形は、子どもの玩具として親しまれながら、
かつ、文様としてお着物の意匠にあらわされることも多くあります。
今回はそのなかから、
姉様人形の文様についてお話したいと思います。
姉様人形とは、江戸時代に幕府の奥女中などによりつくられて流行した、
和紙でつくられる子どものままごと用の人形玩具です。
当初は花嫁人形でしたが、
各地に伝わるにつれて、モチーフは
花魁(おいらん)、遊女、町娘などへと広がっていきました。
姉様人形は、千代紙でつくられた衣装と
縮緬紙(ちりめんがみ)でつくられた髪で形づくられています。
縮緬紙は、シボ、つまりしわがある紙で、
髪を立体的に表現するには最適の和紙です。
伸縮性があるため、さまざまな形をつくることができます。
姉様人形の大きな特徴は、
その日本髪の美しさがあらわされている点にあります。
当時、日本には歌舞伎の役者や遊女たちにより、
数多くの髪型が考案されていました。
そうした華やかな髪型が一般の女性たちにも広まると、
江戸時代中期には、階級や年齢、未婚、既婚などで異なる、
さまざまなスタイルの日本髪が発案されました。
日本髪は、よく時代劇などで見られますが、
正面から見るとそのスタイルの違いはよくわかりません。
しかし、実は後ろから見ると、違いがよくわかるのです。
そのため、当初の姉様人形は後姿で、
手や足、顔がなく簡略化されていました。
そうした姉様人形は各地に広まり、
その地域独自のものがつくられるようになります。
松江藩の御殿女中がつくりはじめたと言われている、
島根県の「松江姉様人形」、
庄内藩士達の婦人達の間で手遊びのひとつとしてつくられていた、
秋田県の「庄内姉様人形」、
松本城下の町でつくられていた。
長野県の「松本姉様人形」、
駿府城下の町でつくられていた、
静岡県の「静岡姉様人形」などが
いまでも郷土民芸品として残っています。
こうした姉様人形の美しさは近年再発見され、
着物や帯の意匠としても人気が高まっています。
下の写真は縮緬地に日本刺繍の「絽刺し」で
姉様人形をあらわした優美で可愛らしい名古屋帯です。
さて、こうした人形はなぜ姉様人形とよばれるのでしょうか。
昔の女の子が興じていたままごとは
「姉様事(あねさまごと)」とよばれていました。
つまり、自分の家に嫁入りした姉たちが
家事を行なっている姿を模して遊んでいたのでしょう。
姉様人形はそうしたままごとのなかで親しまれ、
愛されていたのです。
姉様人形には夢見る女の子の素敵な女性への憧れが
反映されているのでしょう。
上の写真の帯にも日本女性の美しさへの想いが
刺繍の針ひと刺しひと刺しに強く込められているような気がします。
※上の写真の姉様人形 絽刺し刺繍 名古屋帯は花邑銀座店でご紹介している名古屋帯です。
花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は9月28日(水)予定です。
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