ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

忘れられた戦争

2019-08-27 11:57:00 | 社会・政治・一般

20世紀後半、アメリカは三つの重要な戦争を経験している。

なかでも朝鮮戦争は、その重要性にも関わらず、あまり注目されてこなかった。そのため、アメリカでは「忘れられた戦争」との異名を持つ。

でも本来はかなり重要な位置付となる戦争でもあった。技術的なことを云えば、ジェット戦闘機同士の史上初めてのバトルが行われたのが朝鮮戦争である。アメリカのセイバーと、ソ連のミグとの空中戦は、プロペラ戦闘機の出番をなくしてしまった。

このジェット戦闘機同士の戦いをみたら、もはやプロペラ機で戦おうとは誰も思わなかった。これ以降、プロペラ戦闘機は新たに開発されることはなくなった。まさに20世紀の主力戦闘機の交替であった。ちなみに、ミグのパイロットは密かに参戦していたソ連兵である。最新兵器を北コリアに渡す気なんて、さらさらないソ連であった。

またヘリコプターが初めて実戦登用されたのが朝鮮戦争である。ただし負傷者の救護用ではあったが、その実用性の高さが立証された結果、軍用ヘリの本格的な開発が始まったのは確かである。ヘリコプターは戦術的に大革新をもたらした兵器であることを思えば、非常に重要な戦争であった。かように技術面では、後世に大きな影響を残した戦争である。

だが現場的にこの戦争は泥との戦いであった。機動力に優れたアメリカ軍をもっとも苦しめたのが、朝鮮半島の泥であった。そのせいで、戦車の運用に苦労し、かえって歩兵の重要性が再確認された。

だが、それは恐るべき結果をもたらした。それが共産シナ軍の参戦であった。北コリア軍はアメリカを中心とした国連軍の敵ではなく敗走を続けた。調子に乗り過ぎたアメリカ軍はシナとの国境まで接近してしまった。

脅威を覚えた共産シナが義援軍として北コリアに味方したことで戦況が変った。ぬかるむ泥に苦労するアメリカ軍の戦車やトラックを尻目に、共産シナの兵隊たちは徒歩で襲いかかってきた。

国共内戦を生き抜いた歴戦の猛者である共産シナの兵隊は、雲霞の如く押し寄せてアメリカ軍を38度線まで押し返してしまった。殺しても、殺しても押し寄せてくるシナの兵隊は、アメリカ兵の悪夢であった。

ここでアメリカ軍の弱点が露見した。アメリカの若者たちは、なぜに自分たちが泥と血にまみれて戦わねばならないのか理解できなかった。ただ上官の命令だというだけで戦っていたので、逆境に弱かった。

更に本来ならば主力で戦うべき南コリアの兵隊がまるであてにならなかった。逃げ出すだけでなく、武器も弾薬も食料さえも放り出して逃げ出す南コリアの兵隊に呆れて、アメリカ軍は戦う気力を失ってしまった。

結局、元の国境線での停戦となり、今日に至る。アメリカにとっては忘れてしまいたいほどに、徒労感が辛かった戦争である。故に「忘れられた戦争」と呼ばれている。

だが、この戦争の影響は多大であった。それまで国連の常任理事国であった台湾(中華民国)は、この後その席を共産シナ(中華人民共和国)に奪われた。アメリカ軍を始め西側諸国が、共産シナの人海戦術に怯えた結果である。

実を云えば、北コリア軍が国境を越えて侵略してきた時、ホワイトハウスも議会も、参戦の必要を感じていなかった。その意味で、アメリカは参戦しないと予測したソ連首脳部の判断は正しかった。

しかし、当時日本列島を管理していたGHQのマッカーサー将軍は違った。朝鮮半島に敵対的勢力があると、日本列島の安全に不安が生じることを実感した将軍は、即座に大統領に参戦を願い出た。これがアメリカ参戦の決め手であった。

同時にマッカーサーは考えを改めた。それまで彼は日本は侵略的意図をもって大陸に進出したと理解していた。しかし、朝鮮半島が敵対的になると、日本人は本能的に防衛意識に囚われることを自身で実感した。

その後、極東軍事裁判で有罪とされた旧日本軍の戦犯たちが既に死刑が執行された者を除き、全て釈放されたのは言うまでもない。その後、自衛隊という日本軍が復活したのは、マッカーサーが従来の考え(日本人は好戦的)を改めたが故である。

一方、アメリカは冷戦がユーラシア大陸の東でも起きていることを実感し、東アジアの防衛体制を再構築することになる。その契機となったのが朝鮮戦争であった。

日本では朝鮮戦争を、敗戦から経済復活の引き金になったと経済面だけで評価する人が多い。それは今となっては危険な考えである。ちなみに、アメリカが朝鮮戦争を真っ当に評価し始めたのは、90年代以降である。

それまでは、本気で忘れたかった戦争であったらしい。アメリカらしからぬ不見識であったと思う。

余談だが、南コリアはこの戦争で、外国の兵隊に国内を蹂躙された。その際、一般婦女子の性的被害を防ぐため、国営の売春宿を経営していた。このことが、後に日本の朝日新聞がねつ造した「従軍慰安婦」に飛び火したことは覚えておいてほしい。

我がコリア政府でさえ戦時には売春婦を必要とするのだから、あの悪逆な日本の奴らなら、強制的に売春婦を集めるくらいやるだろう。そう思い込んだが故に、従軍慰安婦問題は根深い遺恨を両国に残すこととなった。

日本にとって、アメリカから再評価される契機となった朝鮮戦争だが、従軍慰安婦という妄想をはびこらせる土壌となった戦争でもある。このへんの事情は、是非とも忘れずに覚えておいて欲しいものであります。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国産化の壁 | トップ | 忘れたい戦争 »

コメントを投稿

社会・政治・一般」カテゴリの最新記事