ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

百舌の叫ぶ夜 逢坂剛

2024-06-06 12:21:36 | 

誰だって犯罪者になる可能性がある。

これを少し捻って書くと、世の中には犯罪者と、これから犯罪者になる人間の二種類しか居ない。私は小学生の頃、警官から面と向かってそう言われた。

じゃあ、お前はどっちだよと内心思ったが、それを口に出すほど世間知らずではなかった。もっと幼い頃、砂川闘争という争いがあり、近所のお兄さんが警官に頭を警棒でぶん殴られ、脳みそが傷口から覗ける状況で病院送りにされた。

さすがに現場を見た訳ではなく、そのお兄さんの妹さんが私たち子供たちの世話を焼いてくれる人だったので、その話を疑う理由なんてなかった。そして数か月後、そのお兄さんは一度も意識が戻ることなく亡くなっている。多分、幼い私が警察を敵だと認識した最初の契機であったと思う。

両親が離婚して以降の数年間、小学3年生ごろが一番不安定で、必然的に警察の世話になることが多かった私である。警官が全員悪い奴だとはさすがに云わない。でも、大半の警官はひねくれ者の私を将来の不良児童だと看做していることは知っていた。いや、気が付かずにはいられなかった。

外出するときは、常にズボンのポケットに入れておいたお靴下を使ったブラックジャックに気が付く警官は稀だったが、ボクサーリング替わりにポケットに入れておいた角を丸めた穴あきボルトは露骨に疑われた。最後までしらを切ったが、苦労して入手したそれらの武器を横取りされた悔しさは忘れがたい。

私はもっぱら少年課の警官、刑事たちに睨まれていたが、中学に上がる頃になると警官とは別の警察。すなわち公安警察があたりをうろちょろしていることに気が付いた。親に勧められたキリスト教の集まりに来る若いメンバーには、左派学生とりわけ過激派と呼ばれた人たちが紛れていた。

最年少の参加者だった私は、わりと公安警察の目をくぐりやすかったので、しばしば伝令役、情報伝達役を頼まれた。伝言をいれたお弁当をもって自衛隊病院に入り込んだこともあるし、246号線沿いにあった機動隊の基地にある車両の種類を調べたこともある。

私の周囲にいた過激派の左派学生たちは、自衛隊や機動隊の内部に同志を作り、やがて来る革命蜂起の日に向けてそれなりに準備をしており、幼いながらも自分がその一端を担っていることを誇りに思っていた。あのままだったら私は過激派学生の仲間入りをしていたかもしれない。

しかし私を読書会に誘ってくれたシスターの女性は、それを危ぶみあれこれと手をうってくれたおかげで、私自身が内心疑問に思うようになり、左派学生運動から抜け出すことが出来た。ただ喧嘩別れは嫌だったので、受験や登山を理由にして徐々に距離を置くようして、高校卒業と同時に転居して完全に手を切った。

距離を置こうと思うようになって冷静になってみると、いろいろとおかしなことが見えてきた。学生たちを支援しているはずの和菓子屋の若旦那やパーマ屋さんのお兄さんたちが、時折妙な動きをしている。最初は分からなかったが、彼らの周囲をうろつく人間が怪しかった。幼少期からの筋金入りの警官嫌いであった私は、警官らしからぬスーツに身を包み、暗がりに身を隠すような彼らの振る舞いが疑念を抱かせた。

普通の警官でないことはすぐわかった。私は警察独特の人を犯罪者扱いする目線に敏感だったので、ある種の経験であることは察することが出来た。だが私服のセンスが堅苦しく、そのくせ体を鍛えていることが分かる体形と、同業であるはずの制服の警官を見下す雰囲気から、どうやら公安警察だと気が付いた。

さすがに中学生だった私を疑うようなことはしなかったが、安易に近づくことを許さない酷薄な雰囲気は、そこいらのヤクザ屋さんよりも危うかった。確証はないのだが、おそらく和菓子屋の若旦那たちは彼ら公安にスパイをやらされていたと想像している。

もう左派学生運動からは遠ざかった私だが、あの公安警察の厭らしいほどの酷薄さには近づく気持ちはなかった。そんな公安警察の裏面を描き出した表題の作品は、質的に同様な海外のミステリーには劣ると思うが、日本的な陰湿さや情のどす黒さを見事に表現できていると思う。

あまり積極的にはお勧めしたくない作品なのだが、これもまた警察という巨大組織の一面であることは知って欲しい。多分、ある程度は事実を元にしていると思うのですよね、証拠はありませんがね。


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