ヌマンタの書斎

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再審決定に思うこと

2018-11-09 11:57:00 | 社会・政治・一般

この事件には注目しておいて欲しい。

1984年滋賀県の日野町の酒屋を営む女性(当時69歳)が殺害された上に金庫を奪われた。事件から3年後、ようやく逮捕された阪原氏は店の常連であり、飲み代欲しさの犯行だと報じられた。

この事件、当初からおかしかった。まず物証に乏しく、結局は自白だよりの逮捕と有罪判決であった。ところが、その自白を公判で当人が否定した。警察が阪原氏の家族を脅かすような発言に怯えて、仕方なく自白してしまったらしい。

もっともその自白も適当で、縛り方も実際と違うし、遺体を一人で軽トラの荷台において地元の警察署の前を通って、山間部に放置したとか。あげくに手提げ金庫を盗み出して5万円を盗んだはずだが、公判中にその金庫には元々金が入ってなかったことが判明された。また事件当日は、その金庫の置いてある部屋には、他の人が寝泊まりしていて気が付かれずにに盗むのは不可能だとわかった。

他にもあるが、極めつけは公判中、このままでは有罪判決が出せないと裁判長が検察に書類の書き直しを言い出し、なにがなんでも有罪に持ち込みたい検察がそれに応じた。後日、その書面を見た司法関係者が、これはおかしいと言いだすほど、杜撰な内容であった。

しかし、当時「グリコ森永事件」の迷走などで信頼を失していた警察と司法関係者は、なにがなんでもこの事件を有罪で終わらせたかったようで、結局最高裁まで争われての有罪確定。

それでも無罪を信じる家族は、再審請求をするも却下。その最中、失意の阪原氏は獄中で病死した。

だが、その後事件は大きく動く。これまで弁護側から再三開示請求されても応じず、隠されていた事件の証拠資料等が、阪原氏の病死後送られてきた。そのなかにカメラのフィルムがあった。

その公判で有罪の大きな決め手になったのは、奪われた金庫が発見された場所へ、警察官を連れて行った阪原氏の写真であった。犯人でなければ分からないはずの金庫の放棄場所へ、警察を誘ったことが犯行を証明するものとされていた。

ところが、弁護士がそのフィルムを現像したところ、状況はまったく違っていた。金庫の放棄場所への行きの道は、警官が先に立っており、帰路においてわざわざ阪原氏を振り返らせて写真を撮っていたことが分かってしまった。

つまり金庫の放棄場所へは、警官が誘導しており、帰り道にアリバイ的な写真を撮っていた。これ以外にもあるが、明らかな警察による証拠ねつ造を掲げて、再び再審請求をした。すると、この再審請求は認められた。これは大事件である。

戦後の司法裁判に於いて、このような逆転が認められることはなかった。袴田事件以上の衝撃であった。もちろん検察側は不服であり、これから再び法廷論争が始まる。

この日野町殺人事件の再審請求事件は、是非とも注目して欲しい。日本の警察、検察、そして裁判所が寄ってたかって無実の人間を有罪に仕立て上げ、本当の犯人を放置した可能性は極めて高い。

もちろん、阪原氏が真の犯人である可能性だって残っているかもしれない。しかし、この事件はあまりにおかしい、おかしすぎる。本来出てくるはずのない情報が、ちらほらと出てくるのは、これが冤罪であることを知っている司法関係者がいるように思えてならないのです。

法は万人に平等でなければならない。それを法の執行者自らが壊している可能性が高いがゆえに、この事件には注目しておいてほしいのです。


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