ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

成り行き任せ

2024-08-09 09:25:24 | 日記

多分、気づかれていないと思う。

銀座のデパ地下で、お中元の返礼品を探している時だ。どこかで聞いたことのある声に気が付いた。一瞬、ドキッとしたのは、記憶の奥底にしまい込んでいたからだ。

後ろ姿だけだが、あの特徴のある声からして彼女だろう。あれは20代の頃、まだ難病患者として先の見えない療養生活を送っていた頃だ。いつ治るのかは不明だが、きっと治るものだと信じて、次なるステップを考えていた。

大学のゼミは監査論の三沢教授であり、公認会計士への道も考えたが、衰弱した体なだけでなく、疲労などが再発原因となることは分かっていた。そうなると公認会計士受験はあまりに無理が多すぎる。当然に司法試験もダメだ。公務員試験も考えたが、私の性格からして無理だと思った。役人勤めはこの私にはハードルが高すぎる。

あれこれと調べて、一科目ごとに受験が出来て、トータルで5科目合格で官報合格となる税理士試験を目指すことにした。一応受験資格は持っていたが、如何せん大学時代はひたすらに部活であり、勉強は必要最低限のナマケグマである。まずは基本の簿記から始めた。一応、大学で3級までは学んでいたので、いきなり2級クラスを受講した。そこで出会ったのが彼女であった。

教室の中で何度か見かけたが、ある日彼女の後ろの席に座った。そこで気が付いたのだが、実に後ろ姿が凛々しいというか、背筋がしっかりと伸び、それが腰回りのふくよかさを強調する素晴らしいスタイルの持ち主であった。いったい、どんな運動をしていたのだろうと思ったが、さすがにいきなり尋ねる勇気はなかった。

いや話しかける勇気どころか、教室に通うだけで疲労困憊していた。3年以上にわたる療養生活は、想像以上に体力を削っていた。十代の頃は夏冬関係なく日焼けしていた私だが、当時は色白の肉の薄い青年に堕していた。ただ意地っ張りなので、病身であることを必要以上に隠そうとしていたので、周囲からは普通に見られていたと思う。本当は心身ともに傷つき、病んだ体に劣等感を覚える歪な若者であった。

だから自分から告白とかは全く考えられなかった。ただ魅力ありげな女性なので、気が付くと見つめている下心ありありの自分に気が付いて、いささか困惑していた。なお日商簿記二級は商業簿記と工業簿記に分けられる。先に商業簿記をやり、次に工業簿記の講義を受けた。

空いた時間は自習室で勉強していたが、もとよりじっとしているのが嫌いなナマケグマである。ジュースの自販機がある階段わきの談話室で同じ受講生たちと、息抜きでお喋りに昂じる余裕も出来てきた。その場の話題は自然と同じ受講生たちの中でも目立つ人となる。

毎週やっている定期模試の上位常連であった私もその話題によくあがっていたが、一応大学で会計学をやっていたのでむしろ気恥ずかしいくらいだった。だって必修の履修科目だったし、これを取ってないとゼミ合宿で格好悪い。ただもう3年以上経っていたので、簿記の感覚を忘れていたので二級から始めただけで、成績上位は当然である。

もちろん優秀な成績の女性もおり、特に私と最高位を争っていた女性は話題になることが多かった。もっともその女性は夜の講義だったので、私はその当時は名前しか知らなかった。後に税理士課の法人税のクラスで一緒になったが、なんと東大卒の商社の総合職で、仕事に限界を感じての受験だった。そりゃ優秀だわな。

一方、私が注視していた件のスタイル美人さんは、優秀成績者に名を連ねることはなかった。ただ男性陣の注目度は高かったと、その談話室で知った。まぁ人目を惹くスタイルなのは間違いないから仕方ないと思う。

ある日、談話室のメンバーが若い男性だけになった時、どの女性が好みかなどの話題となった。うろ覚えなのだが、私はあのスタイル美人さんを当時人気があったAV女優さんに例えて評したと記憶している。まさかその話が彼女に伝わるとは思わなかった。

その日、講義が終わった後、私は帰宅するために階段を使って校舎を出た。出た先に件のスタイル美人さんに出くわした。私を睨みながら「ちょっと、私がAV女優に似てるってどういうこと」と詰問された。焦った、焦った。確かに言ったが、誰だ彼女にチクったのは。

いささかパニック状態で私は「違う、そのAV女優があなたに似ていると言ったんだ」と訳の分からない返事をした。「はぁ、同じじゃない。どういうこと!」とますます怒る彼女。余計にパニックが加速した私は、「違う、全然違う。主があなたで、そのAV女優があなたに似ているだけだ」

正直、言っている自分でも論旨不明の意味不明な言い訳であったが、ふと気が付くと彼女が下を向いている。よく見ると顔が真っ赤になっている。なんだろう?!

良く分からんが取り敢えず謝った。「勝手なこと言って悪かった。お詫びに近くの喫茶店でケーキでも如何」と言うと無言で頷き返してきた。これってOK?なんだかよく分からんうちに、その女性と付き合うことになった。予定外というか、想定外であり、どうも私の人生寄り道が多すぎる。

講義以外で会うようになり、ようやく彼女が陸上部の中距離ランナーであったこと。普通のOLになるのが嫌で資格をとろうとして簿記学校に通っていることなどを知った。ただ、彼女正直言って簿記のセンスがない。

簿記というものは、事業体の経営活動を数値で示す言語のようなもので、数学というよりも算数のセンスが必要となる。もっといえば外国語を学ぶ感覚が一番近い。ある程度辛抱して覚えないと、どうしても身に付かない。私は三か月の講義で日商簿記検定2級に合格し、すぐに税理士課へ移ったが、彼女はダメであった。

次第に疎遠になり、気が付いたら自然消滅の形で別れた。短い期間ではあったが、私としては学生気分で楽しめたし、その後難病を再発してからは殊更自宅に引きこもるようになったので、ある意味別れたのは正解であったと結論付けている。

恥を忍んで書いてしまうと、私の恋愛事情は予定通りにいったことがなく、いつも成り行き任せというか、偶発的な経緯で始まることが大半である。仕事では予定を組むのが普通であり、それなりに上手くいっているのに、恋愛関係は一切ダメというか不器用極まりない醜態である。

還暦過ぎてしまうと、今更改善する気にもなれず、このまま人生を終えるのだろうと諦めている。このあたりのナマケ具合こそが私の本性なのでしょう。まっイイか。ちなみに声をかけることなく、その場を静かに立ち去りました。今更未練もありませんしね。

コメント
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