ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

一夢庵風流記 隆慶一郎

2017-07-07 13:34:00 | 

喧嘩は勝たねばならぬ。

だから、手段を問わず、汚い手を使っても、勝った方が正しいとされるのが喧嘩だ。

幼少時、米軍基地の隣町で育ち、おまけに米軍払い下げ住宅に住んでいたので、殊更アメリカ人の子供に目をつけられた。

勝てばイイ、勝たねば意味がない、そういう喧嘩をするのが普通だった。そうなると、私より二回りはデカいアメリカ人の子供に勝つには、目つぶし、急所打ち、首絞めと何でもありで喧嘩するしかなかった。

ただ、まだ小学校に上がる前の非力な子供であったため、深刻な結果になったことはない。強いて言えば、小柄な私に負けたのを悔しがった近所の白人のガキに、太ももをナイフで切られたのが最大の修羅場であった。

今にして思うと、汚い喧嘩とは、如何なるものか。あるいは、汚くない喧嘩、正々堂々たる喧嘩とは何かは、よく分かっていなかった。分からないけれど、何時かは正々堂々たる喧嘩で勝ちたいと思うことは、確かにあった。

誰に教わったでもなく、あの喧嘩は汚い、あれはカッコイイと判断できるようになっていた。良く考えると不思議だが、実際の喧嘩の中で身に付いた感覚で判断していたと思う。

その後、閑静な住宅街が中心の町に引っ越したが、ここの子供たちは、汚い喧嘩、そうでない喧嘩の判断が、明らかに私とは違った。言葉の通じぬ相手との喧嘩に馴れていた私は、ここで非常に戸惑った。

随分とえげつない喧嘩をしていた子供の私だが、一人に対しては一人、相手が5人なら、こちらも5人。相手が武器をもっていれば、こちらも用意する。それが当然だと思っていた。

だが、この平和な町では違った。私が凶暴な子供だと分かると、陰湿な喧嘩を仕鰍ッてきた。背後から襲われ、集団に踏みつけられ、こちらが逆襲に転じようとするタイミングで、先生を呼んでくる。結果、私が悪役だった。

今にして思うと、あれは喧嘩というよりもイジメであった。小柄な私は、自分がさして喧嘩が強くないことぐらい自覚していたが、この平和な町では、一対一なら負けた記憶がない。その代り、その倍以上のイジメを受けていた。

私は、この新しい汚い喧嘩を毛嫌いするようになった。学校では、思うように喧嘩出来ないので、放課後、一人一人個別に狙って、やり返した。おかげで10歳にならない年で、何度も交番に連れ込まれた。

無理ないと思う。後ろから縄跳びの紐で首を絞めて、地面に引きずり倒し、ボコボコに踏みつけて、相手が泣きだすまで止めなかった。周囲の大人に羽交い絞めにされて、お巡りさんに連行された。

其のたびに、当時厄介になっていたおばあちゃんに身請けしてもらっていた。でも、おばあちゃんは私を叱らなかった。ただ一言、男は人前では泣くな、それだけ言われた。

多分、おばあちゃんも母親も、私が転校生イジメの対象になっていることを察していたと思う。だから、喧嘩のことで親から叱られたことは一度もない。そのうち、私が新しい担任の先生と揉めだし、ついには学校をさぼり出してから、遂に転校と引越しを決めたと思う。

さすがに、家族を巻き込んでの転校となったことには、大いに反省せざるを得なかった。その後、数年間は、喧嘩を止めて大人しい読書少年になったぐらいに、私は反省していた。

ただ、転校先が、繁華街を抱えた町で、けっこう荒っぽい町でもあったので、中学生の頃には再び喧嘩を復活させていた。でも、その頃になると汚い喧嘩はしなくなっていた。むしろ、堂々たる喧嘩に憧れるようになった。

負けても、周囲から尊敬される喧嘩もあるのだと知った。これは意外であると同時に、私の感性に強く響くものがあった。以来、勝つための喧嘩ではなく、自分の価値観に沿った喧嘩しかしなくなった。

不思議なものである。喧嘩などほとんどないあの平和な町では、薄汚いイジメが横行していた。一方、喧嘩が日常茶飯事で、周囲から危険だと思われる町では、汚い喧嘩以上に、堂々たる喧嘩がなされている。

そんな少年時代を送ったので、私は喧嘩をしない、つまり戦わない生き方を好まない。戦えない奴を信用しない。口先だけで、平和を気取るようなあり方に、強い不信感を抱くようになった。

もっとも大人になるにつれ、戦い方にもいろいろあることを知った。拳で語り合うのではなく、頭脳戦で状況を動かす喧嘩もあると知った。男と女では、喧嘩の仕方が違うことも分かってきた。

喧嘩って、とても大事だと思う。そのやり方一つで、その人の人生観、人柄、家族が見えてくる。もっとも話し合いを否定している訳でもない。でも、話し合いが万能だとも思っていない。

そんな私にとって、信じがたい様な生き方、喧嘩をしてきた男が、戦国時代末期に生きた前田利益(慶次郎、慶次)である。

あの織田信長傘下武将、滝川一益の配下の武士として数多の戦場を駆け抜け、凄まじい戦いのなかを生き残っただけでなく、文化人としての名も遺した奇矯な傾奇者である。

1990年代の週刊少年ジャンプ誌で人気を博した「花の慶次」の原作が表題の作品である。多くは語るまい。読んでもらうが一番だ。漫画とは、かなり違う部分があるが、その本質に大きな差異はない。

漫画は読み終えてましたが、原作は今回が初めてでした。久々に爽快な読書でしたよ。

コメント (2)
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