ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

フィフティーン・ラブ 塀内真人

2010-08-18 12:20:00 | 
貧乏人のひがみ根性って奴は、なかなか抜けない。

幼少期の頃は金持ちとは言わないが、貧しいとの意識はなかった。事実、父はやり手のセールスマンであり、金回りは良かったと思う。父母が離婚した後もしばらくは祖父母の元にいたので、それほど貧乏だとは思わなかった。

貧乏を実感したのは、母が独り立ちして世田谷の三軒茶屋に越してからだ。生活保護を申請する一歩手前であったと母から聞いたことがある。

ところが、私自身はさほど貧乏だとの実感がなかった。服装などに無頓着で、金のかかる趣味もなかったので、お小遣いが少ないことでさえ苦痛には思わなかった。

それでも幼い頃には頻繁にホテルや料亭に行ったことを覚えているので、滅多に外食に行けなくなったことや、旅行が民宿や国民宿舎の安い部屋であることは分っていた。

でも貧乏を苦痛だとは思わなかった最大の理由は、まわりに貧乏な家が少なくなかったからであり、あまり格差を感じることがなかったからだ。

だが、そんな甘い認識も中学に上がるまでだった。どうやら遊ぶのに金がかかる現実に、否応なしに気づかされる。テニスシューズってなんであんなに高いのだ。ラケットの高さは論外だ。とてもじゃないが、テニスなんて出来やしない。

どうやらテニスって奴は金持ちのやる遊びみたいだ。つまり俺たち貧乏人には関係ない!

そう叫びつつも、クラスで気になる女の子がテニスウェアに着替えて、さっそうとコートに向かうのを横目で眺めることを止められない。

ふん! あんなお上品なスポーツは御免だねとはき捨てて、悪ガキ仲間と公園でたむろしていた放課後。口には出さなかったが、ある種の無力感に包まれていたことは否定しがたい。

そんな情けない思春期を送ったせいか、どうもテニスには冷淡だった。マッケンローやボルグが人気だと聞いても、知らん顔していた。テニス嫌いのレッテルを自分で貼っていた。

普通テニス漫画といえば名作「エースを狙え」なのだろうが、あの細い手足が嫌で、ほとんど読んでいない。いや、テニスを見たくなかったが本音だと思う。

ところが、そんな私がある日週刊少年マガジンに連載されていた表題の漫画に目をとめてしまった。場面は主人公とライバルの乱闘シーンであった。

おや?テニスってお上品なスポーツではないのかな。どうやらプロ・テニスの世界は相当に獰猛で、激しい世界らしい。この漫画では、主人公よりもライバルたちのほうが魅力的に思えた。貧しさから抜け出すためにテニスを選んだ青年や、天才テニス少年から落ちぶれた亡命者などは、ある意味主人公よりも輝いてみえた。

テニス嫌いだった私が、テニスを見直す契機となった漫画が表題の作品だった。もっとも、この漫画が週刊少年マガジンに連載されていた時は、それほど熱心な読者ではなかった。

私が強く惹かれたのは、20代の病気療養中の時だ。暇にまかせての再読だったのだが、10代のときは読み流した天才テニス少年の苦闘には、我が身を省みて心に響くことが多かった。

翼が折れた駒鳥は、よたよたと細い脚で地を這うしかない。弱り果てた翼を惨めに振ることを繰り返さぬ限り、決して空に戻ることは出来ない。どんなに惨めでも駒鳥は翼を羽ばたかせることを止めない。止めたら、そこでお終いだ。明けない夜はないと信じて、不様に翼を振り続ける駒鳥ロビン・ザンダー。

私は主人公よりも、この元・天才少年を応援する気持ちのほうが強かった。治癒の見通しのたたない闘病生活を送っていた私にとって、これほど印象的な漫画はそう多くはなかった。それだけに忘れ難い。

ちなみに作者は女性だが、少年誌に掲載することを意識して、当時は男性名を名乗っていた。現在は塀内夏子で漫画を描いています。
コメント (4)
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