貧乏人のひがみ根性って奴は、なかなか抜けない。
幼少期の頃は金持ちとは言わないが、貧しいとの意識はなかった。事実、父はやり手のセールスマンであり、金回りは良かったと思う。父母が離婚した後もしばらくは祖父母の元にいたので、それほど貧乏だとは思わなかった。
貧乏を実感したのは、母が独り立ちして世田谷の三軒茶屋に越してからだ。生活保護を申請する一歩手前であったと母から聞いたことがある。
ところが、私自身はさほど貧乏だとの実感がなかった。服装などに無頓着で、金のかかる趣味もなかったので、お小遣いが少ないことでさえ苦痛には思わなかった。
それでも幼い頃には頻繁にホテルや料亭に行ったことを覚えているので、滅多に外食に行けなくなったことや、旅行が民宿や国民宿舎の安い部屋であることは分っていた。
でも貧乏を苦痛だとは思わなかった最大の理由は、まわりに貧乏な家が少なくなかったからであり、あまり格差を感じることがなかったからだ。
だが、そんな甘い認識も中学に上がるまでだった。どうやら遊ぶのに金がかかる現実に、否応なしに気づかされる。テニスシューズってなんであんなに高いのだ。ラケットの高さは論外だ。とてもじゃないが、テニスなんて出来やしない。
どうやらテニスって奴は金持ちのやる遊びみたいだ。つまり俺たち貧乏人には関係ない!
そう叫びつつも、クラスで気になる女の子がテニスウェアに着替えて、さっそうとコートに向かうのを横目で眺めることを止められない。
ふん! あんなお上品なスポーツは御免だねとはき捨てて、悪ガキ仲間と公園でたむろしていた放課後。口には出さなかったが、ある種の無力感に包まれていたことは否定しがたい。
そんな情けない思春期を送ったせいか、どうもテニスには冷淡だった。マッケンローやボルグが人気だと聞いても、知らん顔していた。テニス嫌いのレッテルを自分で貼っていた。
普通テニス漫画といえば名作「エースを狙え」なのだろうが、あの細い手足が嫌で、ほとんど読んでいない。いや、テニスを見たくなかったが本音だと思う。
ところが、そんな私がある日週刊少年マガジンに連載されていた表題の漫画に目をとめてしまった。場面は主人公とライバルの乱闘シーンであった。
おや?テニスってお上品なスポーツではないのかな。どうやらプロ・テニスの世界は相当に獰猛で、激しい世界らしい。この漫画では、主人公よりもライバルたちのほうが魅力的に思えた。貧しさから抜け出すためにテニスを選んだ青年や、天才テニス少年から落ちぶれた亡命者などは、ある意味主人公よりも輝いてみえた。
テニス嫌いだった私が、テニスを見直す契機となった漫画が表題の作品だった。もっとも、この漫画が週刊少年マガジンに連載されていた時は、それほど熱心な読者ではなかった。
私が強く惹かれたのは、20代の病気療養中の時だ。暇にまかせての再読だったのだが、10代のときは読み流した天才テニス少年の苦闘には、我が身を省みて心に響くことが多かった。
翼が折れた駒鳥は、よたよたと細い脚で地を這うしかない。弱り果てた翼を惨めに振ることを繰り返さぬ限り、決して空に戻ることは出来ない。どんなに惨めでも駒鳥は翼を羽ばたかせることを止めない。止めたら、そこでお終いだ。明けない夜はないと信じて、不様に翼を振り続ける駒鳥ロビン・ザンダー。
私は主人公よりも、この元・天才少年を応援する気持ちのほうが強かった。治癒の見通しのたたない闘病生活を送っていた私にとって、これほど印象的な漫画はそう多くはなかった。それだけに忘れ難い。
ちなみに作者は女性だが、少年誌に掲載することを意識して、当時は男性名を名乗っていた。現在は塀内夏子で漫画を描いています。
幼少期の頃は金持ちとは言わないが、貧しいとの意識はなかった。事実、父はやり手のセールスマンであり、金回りは良かったと思う。父母が離婚した後もしばらくは祖父母の元にいたので、それほど貧乏だとは思わなかった。
貧乏を実感したのは、母が独り立ちして世田谷の三軒茶屋に越してからだ。生活保護を申請する一歩手前であったと母から聞いたことがある。
ところが、私自身はさほど貧乏だとの実感がなかった。服装などに無頓着で、金のかかる趣味もなかったので、お小遣いが少ないことでさえ苦痛には思わなかった。
それでも幼い頃には頻繁にホテルや料亭に行ったことを覚えているので、滅多に外食に行けなくなったことや、旅行が民宿や国民宿舎の安い部屋であることは分っていた。
でも貧乏を苦痛だとは思わなかった最大の理由は、まわりに貧乏な家が少なくなかったからであり、あまり格差を感じることがなかったからだ。
だが、そんな甘い認識も中学に上がるまでだった。どうやら遊ぶのに金がかかる現実に、否応なしに気づかされる。テニスシューズってなんであんなに高いのだ。ラケットの高さは論外だ。とてもじゃないが、テニスなんて出来やしない。
どうやらテニスって奴は金持ちのやる遊びみたいだ。つまり俺たち貧乏人には関係ない!
そう叫びつつも、クラスで気になる女の子がテニスウェアに着替えて、さっそうとコートに向かうのを横目で眺めることを止められない。
ふん! あんなお上品なスポーツは御免だねとはき捨てて、悪ガキ仲間と公園でたむろしていた放課後。口には出さなかったが、ある種の無力感に包まれていたことは否定しがたい。
そんな情けない思春期を送ったせいか、どうもテニスには冷淡だった。マッケンローやボルグが人気だと聞いても、知らん顔していた。テニス嫌いのレッテルを自分で貼っていた。
普通テニス漫画といえば名作「エースを狙え」なのだろうが、あの細い手足が嫌で、ほとんど読んでいない。いや、テニスを見たくなかったが本音だと思う。
ところが、そんな私がある日週刊少年マガジンに連載されていた表題の漫画に目をとめてしまった。場面は主人公とライバルの乱闘シーンであった。
おや?テニスってお上品なスポーツではないのかな。どうやらプロ・テニスの世界は相当に獰猛で、激しい世界らしい。この漫画では、主人公よりもライバルたちのほうが魅力的に思えた。貧しさから抜け出すためにテニスを選んだ青年や、天才テニス少年から落ちぶれた亡命者などは、ある意味主人公よりも輝いてみえた。
テニス嫌いだった私が、テニスを見直す契機となった漫画が表題の作品だった。もっとも、この漫画が週刊少年マガジンに連載されていた時は、それほど熱心な読者ではなかった。
私が強く惹かれたのは、20代の病気療養中の時だ。暇にまかせての再読だったのだが、10代のときは読み流した天才テニス少年の苦闘には、我が身を省みて心に響くことが多かった。
翼が折れた駒鳥は、よたよたと細い脚で地を這うしかない。弱り果てた翼を惨めに振ることを繰り返さぬ限り、決して空に戻ることは出来ない。どんなに惨めでも駒鳥は翼を羽ばたかせることを止めない。止めたら、そこでお終いだ。明けない夜はないと信じて、不様に翼を振り続ける駒鳥ロビン・ザンダー。
私は主人公よりも、この元・天才少年を応援する気持ちのほうが強かった。治癒の見通しのたたない闘病生活を送っていた私にとって、これほど印象的な漫画はそう多くはなかった。それだけに忘れ難い。
ちなみに作者は女性だが、少年誌に掲載することを意識して、当時は男性名を名乗っていた。現在は塀内夏子で漫画を描いています。
このマンガは知らなかったのですが、「エースをねらえ!」には超はまったくちで(笑)、その影響で中学ではテニスをやっていました。
そうそうテニスってちゃらついて見えるけど、運動量は物凄いんですよ。コートに立ってみるとわかりますよ、広くって。ダブルスならまだしもシングルだとホントにきついんですよね。
どんなスメ[ツでもラクチンなのはないですよね。要はそのスメ[ツをする人間がそれにどう取り組むかなんですよね。☆彡
電車もバスもなく、徒歩で救援物資を運んだボランティアの団体の中にいた旦那が見たのは、
芦屋のお嬢様がテニスにお出かけする異質なシーンでした。いついかなる時もお嬢様はお嬢様。
私はスメ[ツはそんなに得意ではないので、それほどのめり込むということはなかったですが、今でも機会があれば、それなりに楽しむことはできるので、やはりあの頃にやっておいてよかったなと思います。
プロスメ[ツの世界は、また全然違いますよね。
どんなスメ[ツにせよ、一流のプロの世界はどこも想像を絶する厳しさだと思います。
このマンガ読んだはずなのに記憶にありません。
テニスマンガといえば、ごみつさん同様「エースを狙え」。
塀内夏子といえば、サッカーマンガなので、記憶から吹っ飛んでおります。
テニス部といえば、アニメ版の「エースを狙え」が再放送されるたびに、入部者が増えてましたね。でも、トレーニングが厳しくて脱落者だらけでした。