日本には、いくつかのタブーがある。それは言論の世界も然り。文壇にすら、自由に発言(というか批判)できない禁忌あり。その多くは営業的理由なのだが、可笑しいのは批判された作家自らが動くのではなく、現場の担当編集者が動くでもなく、経営者や広告宣伝部あたりが言論弾圧に動く。
容易に批判できない代表例が、松本清張であり、丸谷才一、大江健三郎、渡辺淳一あたりだと言われています。たしかに、上記の作家たちはベストセラー作家であり、執筆拒絶や版権引き上げなどと言われたら、出版社が営利法人である以上、その意向に沿わざる得ない。これは、私でも分かる。しかし、批判された当人が何も言わないのに、周囲が勝手に自主規制するところが、いかにも日本的。
そんななかで、数年前小さな出版社から出されたこの本の衝撃度は、そうとうなものであったと思われる。思われると書かざる得ないのは、ほとんどの大手マスメディアが無視したから。書評はもちろんのこと、広告掲載すら許さなかった。幾人かの作家が反論したとの話は聞いたことがあるが、新聞もTVも取り上げないため、話題は拡がることはなかった。
私個人としては、福田和也氏の批評を全て首肯しているわけではない。いや、取り上げた本の一部しか読んでいないので、まっとうな批評など出来るはずもない。しかし、日頃私が思っていたことと一致する部分はかなりあった。なんだ、私だけではなかったのだと、妙に嬉しかった。
それにしても、言論の自由を支えるはずの文壇の世界ですら、不自由なのはいかがなものか。しかも自主規制はないだろう。批判が気に入らないのなら、堂々反論せい!
容易に批判できない代表例が、松本清張であり、丸谷才一、大江健三郎、渡辺淳一あたりだと言われています。たしかに、上記の作家たちはベストセラー作家であり、執筆拒絶や版権引き上げなどと言われたら、出版社が営利法人である以上、その意向に沿わざる得ない。これは、私でも分かる。しかし、批判された当人が何も言わないのに、周囲が勝手に自主規制するところが、いかにも日本的。
そんななかで、数年前小さな出版社から出されたこの本の衝撃度は、そうとうなものであったと思われる。思われると書かざる得ないのは、ほとんどの大手マスメディアが無視したから。書評はもちろんのこと、広告掲載すら許さなかった。幾人かの作家が反論したとの話は聞いたことがあるが、新聞もTVも取り上げないため、話題は拡がることはなかった。
私個人としては、福田和也氏の批評を全て首肯しているわけではない。いや、取り上げた本の一部しか読んでいないので、まっとうな批評など出来るはずもない。しかし、日頃私が思っていたことと一致する部分はかなりあった。なんだ、私だけではなかったのだと、妙に嬉しかった。
それにしても、言論の自由を支えるはずの文壇の世界ですら、不自由なのはいかがなものか。しかも自主規制はないだろう。批判が気に入らないのなら、堂々反論せい!