のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

みんなのうたのこと3

2013-05-12 | 音楽
みんなのうたのこと2 - のろやの続きでございます。

さて、今回はみんなのうたの華にして、その問答無用の無意味さで日本の子供たちの音楽生活を彩って来たいちジャンル、即ち”ナンセンスのうた”を取り上げたく。

まずは『まるで世界』。
作詞 別役実 作曲 池辺晋一郎
そして
歌 山田康雄

ルパンですよ、ルパン!
ルパン三世が歌っているというだけでもう立派な笑い所でございます。歌詞がまたすごいんですな。
↓曲のみ聞けます。

みんなのうた 「まるで世界」 - ニコニコビューア

山田康雄さん、今更ながら、惜しい人をあまりに早く亡くしたものでございます。最高の聞き所は、二番なかばのあくびかと思うのですが、いかがでしょう。
世界そのものの信憑性を疑う、というデカルト的懐疑にある朝突然捉われた少年の心の叫び...にしては、軽い。
チャールストンなノリ、明るく屈託のない歌声、誰へともないオーイという呼びかけ、全てが朝のそよ風に舞う鳩の羽毛のごとくに軽い。
むしろ昨日まで抱いていた世界への懐疑が、今朝目覚めるとともに解消していたことを表現した、喜びの歌と解釈すべき所でございましょうか。それにしても、「どうしちゃったんだ僕は」ではなく「どうしちゃったんだ世界は」と、違和感の要因を自分ではなく世界の方に帰している所がすごい。

坊や、君は将来、大学の哲学科に進んで4回生になって初めて就職活動という言葉を耳にしてとりあえず院に進んで時間を稼いだのちに母校の専任教員の退職に期待しつつ幾つかの大学の非常勤講師をして食いつなぐ、という進路を取りそうな気がする。


お次は『へんな家』。
日本語の音源は見つけられませんでしたが、ポルトガル語版がyoutubeにありました。ミニマルにして雄弁なアニメーションが素晴らしい。




日本語の歌詞はこちら

屋根も床もなくトイレもない、小さな空間。普通、人はそれを「家」ではなく「囲い」と呼びます。
しかしそれをあえて「可愛らしい家」と呼んでいる所が清々しいではございませんか。
機能からも、地所からも、意味からも解放された「家」。この歌はそんなナンセンスな道具立てを用いつつも、孤独や不安を和らげてくれる、世界への信頼=楽天性と、それを何となく信じることができた子供時代への郷愁を唄った名曲でございます。
心配事はあるし、何もかもが上出来ではないけど、きっと大丈夫、何とかなる。
雨は降らないし、お日様は見守っていてくれるし、素敵な家はいつでも待っていてくれる。

ただ、最後に「大人には見えない 子供だけの家だもん」とハッキリ言ってしまうのはいささか蛇足ではないかと、ワタクシ思うのですよ。冒頭の「住みたかった家があった」という一節だけで「ぼく」が実際にはその家に住めなかったことは分かりますし、終盤の「0街の0番地」というフレーズで、現実には存在しない、想像の家であったということも充分に語られております。ですから「大人には~」の一節は、求めてはいなかった手品の種明かしをされたようで、ワタクシにはちょっとがっかりと申しますか、興ざめな感じがしたのでございました。


最後に、これはみんなのうたではなく「お母さんといっしょ」の中の曲でしたが、そのナンセンスっぷりがあまりに素晴らしいので、ぜひご紹介いたしたく。
↓映像付き。

しまうまグルグル - ニコニコビューア

しまうまのしまをどうやってぐるぐる取るのか、それをなぜくまやママにつけるのか、どうやってつけるのか、そもそもしまうまのしまは1本線じゃないんだから「ぐるぐる」は取れないだろう、等々全ての小理屈を一蹴する、このステキに破壊的な無意味さ。なんて爽快なんでしょう。
ただひとつ不満なのは最後の「しまそら」でございます。せっかく「しまくま」、「しまママ」と「ま」揃いで来たのですから、ここはぜひとも「しまうまの しまを ぐーるぐる取って...(中略)...島に つけたら しましま! しーましましましま しましま...」とやっていただきたかった。 


次回で終わり。多分。