のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

みんなのうたのこと2

2013-05-09 | 音楽
5/7 みんなのうたのこと1の続きでございます。


(↓音楽ソフトで再現したもののようです。オリジナルの楽曲は見つけられませんでした)
MinnanoUta : Chameleon (1984) (カメレオン)


これ、せめて「月夜のカメレオン」とか「くいしんぼうのカメレオン」ぐらいに限定したタイトルにしないと、カメレオンという種族に対して失礼な気がするのですが。

これに「動物のうた」以外のジャンル名を付するならば「徒労のうた」となりましょう。
みんなのうたにはこの「徒労のうた」、即ちやってもやってもどうにもならない、とか、待っても待っても結局来ない、という内容のものが少なからずございます。
タイトルそのまんまの『われないタマゴ』、いつになってもまともな鳴き方を覚えない『ぼくんちのチャボ』、手袋を貸してくれた”あの子”を待ち続ける『子だぬきポンポ』。『オナカのおおきな王子様』は永遠にダイエットできそうにありませんし、『泣いていた女の子』のママは夕暮れになっても帰って来ませんし、婆さまが数珠を振って祈ろうとも、大地主の良左衛門が膏薬たんと買うて来ようとも、村中の若者どもが月夜の山で願掛けようとも『ひげなしゴゲジャバル』の切られたひげが復活するかどうかは、歌の中では分からないままでございます。

これは子供の頃から人生に対する締念を身につけさせようという目論み、ではもちろんなく、歌の中だけで話を完結させないことによって、歌われている物語に広がりや奥行きを生じさせるというワザなのでございましょう。
してみると、この『カメレオン』のように徒労を徒労のまましっかり完結させてしまうというのは、珍しいケースでございます。

カメレオンのお父さんが、おいしそうなお月様を味見してやろうと一晩中舌を繰り出し続け、明け方にようやくひとなめできたもののぜんぜんおいしくなかった、という、不毛さにかけてはちょっと他曲の追随を許さない内容は、いっそ爽やかですらあります。
その取り組みがバカバカしい分、カメレオンの奥さんの「あなた~、もうやめたら~?」という、いたって現実的なツッコミも輝いております。そりゃ、ダンナがこんなことに熱中していたら、ひとこと言わずにはいられますまい。

夜通し月の光を浴び続けたおかげで、身体が金色になってしまったカメレオンのお父ちゃん。翌朝その身体を自慢げに見せびらかしているアニメーションを、エンディングに挿入することによって、結局何もかも無駄でしたという身もふたもないしょんぼりエンドは回避されております。
しかし、一過性ならいいけれど、あんな派手な身体になってこれから彼はカメレオンとして生き延びて行けるのだろうかと、のろさんは子供心に要らぬ心配をしたものでございました。

さて物心ついた時からなぜか恐竜、爬虫類およびドラゴンの類いが好きでございました。人生で初めて劇場に二回観に行った映画は『ジュラシック・パーク』でございます。ゴジラとかガメラは、あれは「怪獣」なので興味の範囲外でございます。ドラゴンと怪獣は違うのかって。違うのです。違うったら違うのです。ですから「♪Puff the magic dragon」が「♪不思議なパフ、かいじゅうだ」になってしまうのはイカンと思っております。

ともあれ、みんなのうたには爬虫類はもとより、恐竜やドラゴンが主役の歌もほとんどなかったように記憶しております。そんな中での例外が上述の『カメレオン』であり、また『サラマンドラ』という歌詞も歌唱もメロディも壮絶にもの悲しい曲でございました。

作詞 加藤直  作曲 高井達雄 唄 尾藤イサオ

燃える火に棲みつき ひとりぼっち 星を数えて ためいきひとつ
サラマンドラ サラマンドラ 炎(ひ)の中の竜

思い出数えて ひとりぼっち 黒いからだの 幻の竜
サラマンドラ サラマンドラ 炎の中の竜

最後の夢から 一万年 仲間もいない おどけもの
夜空を鏡に ひとりごと こぼれる炎 ぐちひとつ

キバもなくした おかしな竜 誰か来て 彼と話して
サラマンドラ サラマンドラ ひとりぼっち


映像は見つけられませんでしたが、音源のみこちら↓で聞くことができます。

サラマンドラ - ニコニコビューア
 
つ、つらい。
どうです。子供向け歌番組のために作られたとは思えないばかりの、この凄まじいわびしさ。この寂寥感に比べたら「悲しきマングース」の悲しみなんて屁でもねえでございますよ。1万年以上もの長きに渡って、炎の中でひたすら孤独な日々を送って来たサラマンドラ。そもそものはじめからジャッキーを欠いたパフのごとしではございませんか。

ワタクシもちろん『パフ』も大好きでございますけれども、パフを残して遠くへ行ってしまったジャッキーが何としても許せませんでしたし、友好的なドラゴンがあんなにも辛い目にあう歌を作った見知らぬ作詞家を、恨みさえしたものでございました。
一方『サラマンドラ』では、この”幻の竜”がどうしてこんなにも孤独な生を送らねばならなくなったのか語られることはなく、しかも最後は「誰か来て彼と話して」と聞き手に行動をゆだねる恰好で終わっております。そりゃ、駆けつけてお話したいのは山々ですよ。山々ですけれども、いったいどうしろと。『サラマンドラ』においてはかきたてられた哀れみも悲しみも、どこへも持って行きようがなく、やるせなさばかりがつのるのでございました。

それでものろさんはこの歌が大好きであり、子供の頃に口ずさんだ回数としてはおそらく『パフ』よりも多いというのは、この歌における悲しみが自己完結型であり、そのぶん受容しやすいからでございましょう。『パフ』においては、幸せあるいは愛着の対象である少年ジャッキーが、パフにひとたび与えられたのちに失われるのに対し、『サラマンドラ』においては、幸せも愛着の対象も歌にはまるっきり現れません。
愛や幸福がひとたび与えられたのちに失われるのと、そうしたものがはじめから経験されないのと、どちらがより耐えやすいのか。人によって様々ではございましょうが、ワタクシには後者の方が断然耐えやすいように思われます。
仲良しだった子犬が突然姿を消す『子犬のプルー』や、その猫版とも言える『わたしのにゃんこ』(作詞作曲・矢野顕子 編曲・坂本龍一)が、メロディの親しみやすさやアニメーションの可愛らしさにも関わらず、ワタクシに何か堪え難いような印象を与えるのも、同様の理由でございましょう。


次回に続きます。


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