のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ロートレック展』

2007-10-20 | 展覧会
勤務先に放火して1フロア全焼させる夢を見たんでございますが
まあそれはそれとして。

『ロートレック展』へ、ようやく行ってまいりました。

会場に入るとすぐ、山高帽を被って、ステッキを持って、あの小さなロートレックが迎えてくれます。

「やあ」


おなじみのポスター作品や油絵、素描、リトグラフなどなど、けっこうな点数でございました。
また19世紀末のパリ風俗、特にロートレックが入り浸った歓楽の世界にスポットをあてた写真や映像もあり、
これまた興味深いものでございました。
ロートレックの作品でしか見たことのなかったアリスティド・ブリュアン、彼の写真もございましたし
彼の歌声まで耳にすることができたのは、まったく望外のことでございました。




なにげない線で、ものの形、量感や動きをみごとに捉えるロートレックの腕前は
とりわけ、早描きの線が生き生きとしたリトグラフ作品において顕著でございました。
中でも印象深かったのは『「シルペリック」でボレロのステップを踏むランデール』でございます。
客席に向って見栄を切るような、一瞬のポーズ。
カスタネットを鳴らす両手の躍動感が、素早く繊細なタッチで捉えられております。
下半身はほとんど描かれておらず、そのことが下からの強い光(フットライトというのでしょうか)を表現しております。
半身しか描かれていないにもかかわらず、体全体の動きが感じられるのは
画家の卓越したデッサン力ゆえでございましょう。
シンプルな画面なだけに、ひかれた線一本一本の的確さが際立っております。
素描の名手ロートレックの面目躍如たる作品ではございませんか。

一緒に展示されている写真で見るかぎり、ランデール嬢は鼻筋の通った美人なんでございますが
例によってロートレックは、あんまりきれいな相貌には描いておりません。
イヴェット・ギルベールを描いた作品も10点ほど展示されておりましたが
いわゆる「きれいな」顔かたちをしているものは一つもございませんでした。
彼女が「どうかこんなに醜く描かないで」と苦情を言ったというのもむべなるかなでございます。

ロートレックはしかし、こうした歌手や女優たちの顔を
ことさらに醜く描こうとしたわけではあるまいと、ワタクシ思うのですよ。
もちろん、風刺の精神で、自他ともに認める美人である彼女らの姿をを戯画的に描いたという面もありましょうが
それ以上に、客向けの、よそ行きの、美しく取り澄ました彼女らの仮面がふとズレた瞬間、即ち
一般的な「美女」ではなく、イヴェット・ギルベール、あるいはジャヌ・アヴリル、
あるいはラ・グリュという人間特有の皺が、目元に、口元に刻まれた瞬間を捉えることが
画家の主眼としたものだったのではないかと、思ったりするんでございますよ。
とりすました顔をまさに仮面のように描き込んだ作品もございますけれど。

舞台上の女優や歓楽にいそしむブルジョワたちが、化粧や衣装やソフトな微笑みの下におし隠しているものといったら
うぬぼれ、倦怠、軽蔑、はたまた悲哀や疲れといった、
社交の場では(少なくともおおっぴらには)見せてはならないものでございますから
「仮面の下にある表情」を描こうと思ったら、いきおいそうした醜いものを描きこまざるを得なかったのではございませんか。

仮面ではなく、個人的で人間的なものを捉えようとした画家のまなざしは
モデルとなった人物の地位、身分にかかわらず、ひとしく対象に注がれております。
人気女優であろうと、ダンサーであろうと、ブルジョワの紳士であろうと、黒人の道化師であろうと、娼婦であろうと。

展覧会の後半には、娼婦を描いた作品だけを集めたセクションがございます。
売り上げ的には失敗だったという版画集『彼女たち』をはじめ、
油彩や素描のどれもが本展の中でも圧巻の素晴らしさでございます。
のろがぜひとも見たかった一点も、この中にございました。


『赤毛の女(身づくろい)』 Copyright:Photo RMN/Herve Lewandowski

両足を投げ出し、やせっぽちの白い背中をこちらに向けた女。
赤毛を一つにまとめて、乱雑な部屋の床にじかに座っております。
顔はまったく見えませんが、ほっそりとした身体から見るに、まだ少女と言ってもいい年齢かもしれません。
青を基調とした画面の中で、際立ってあざやかな彼女の赤毛は
言葉を呑み込んだまま固く引き結んだ唇のように、他と交わることを拒んだ、何か決然とした雰囲気さえ放っております。
放心しているのか、考え事をしているのか?
後ろ姿を眺める私達には、前に回ってその表情を確かめることはできません。
彼女の視野に入って行くことは許されないのです、少なくとも、今は。

客に媚び、気を引き、いい気分にさせるのが彼女の商売。
身づくろいの時間はほんのつかの間の、プライベートなひとときでございます。
ほどなく彼女は立ち上がり、身体を洗い、化粧をし、身支度を完璧にととのえて
口もとにはすました微笑みを、目元には適度な媚びを浮かべて、こちらを振り向いてくれることでしょう。
その時にはもはや、今私達が彼女の後ろ姿に見いだしている孤独感も、他者の侵入を拒む厳しい美しさも
商売用の仮面の下に、すっかり影をひそめていることでございましょう。

仮面を被る前の娼婦、ある意味無防備でありながらも近寄りがたいその姿を
ロートレックはごく繊細な色彩で描いております。
そこには、彼女の境遇への単なる同情だけではなく、また冷徹な観察眼だけでもなく、
深く、静かな共感と敬意がこめられているように思われます。
赤毛という、世間的にあまり「よいもの」と見なされない身体的特徴を備えた娼婦たちを
ロートレックは好んで描いたといいます。
ロートレック自身、子供の頃の怪我のせいで両足の成長が止まり、身体的にハンディを抱えていました。
自らを嘲笑い、友人たちの間でしばしば道化のように振る舞った画家は
陽気な仮面をつけて人の気を引くことの甘美さと苦々しさ、
そして独りになって仮面を外した時のむなしさと寂寞を、他者の中にも敏感に嗅ぎあて、
それを描かずにはいられなかったのではないでしょうか。

そういう意味で、ふてぶてしい笑みを浮かべる歌手も、疲れ切った顔の娼婦も
一面、みな彼の自画像であったのでございましょう。



ところで
会場内では誰はばかることなく携帯電話で通話なるおじさまがいらっしたり
着信音をじゃかじゃか鳴らす方もおいででしたけれども
別段注意は受けておりませんでした。
もはや携帯電話は、美術館内においてすら使っていいものになっちゃったんでございましょうか。
これも時勢の流れってやつでございましょうか。
美術館側が認めている以上、ワタクシが「通話はマナー違反だ」と目くじら立ててもせんないことではございますが
通話中のおじさまに、ひとつだけお聞きしたいことがございました。
貴方が再三おっしゃっていた
「ロートレックス」ってのは、一体何でございましょうか?