のろや

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4 コメント

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お久しぶりです (ハスダ)
2010-02-22 18:01:54
私は現在、空回りの果ての脱力状態で無為に日々を過ごしておりますので、今回の記事に何だか親近感をいだきコメントいたしました。
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Unknown (のろ)
2010-02-24 21:44:59
ハスダ様、お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
空回りするだけの気力もない当方としては、ハスダ様にむしろ尊敬の眼差しを送らせていただきたく。
天地は無為にして成さざることなしとか申します。
作為を尽くしてくたびれた折りこそ、心身は本来の自然な創造性を取り戻そうとして、無為を求めるのでございましょう。

そも、人が木やら石やら春の日差しといった「自然」に触れて心が癒されるというのは、そうしたものものが何ら価値判断を伴うことなく、ただ存在しているものであるからではないでしょうか。
意味も価値も関係なく、誰に許しを求めることもなく、単に「ある」。
「ある」ということはそれ自体が肯定の集積なのであって、存在するということについて何者かに許可や承認を求める必要などないのだということを、いわゆる「自然物」は思い出させてくれるのであろうと思います。
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お返事ありがとうございました (ハスダ)
2010-02-26 00:31:39
おっしゃる通りかもしれません。
このところ自分に対しての承認や価値、意味に拘泥しておりました。
心身は正直で、そんな状況から抜け出そうとしているからこその脱力であり無為なのだと思うと気が楽になりました。
気付かせていただき、ありがとうございます。
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いえいえこちらこそ。 (のろ)
2010-02-26 23:56:37
マイケル・ナイマンの作品に「楽しみを希う心」というドラマチックな名曲がありますけれども、「承認を希う心」という奴はまことに厄介かつ執拗で、まったく嫌んなってしまいますね。

何で自分自身と斬り合ってへとへとにならねばならんのかと思うと、いいかげん在ること自体も嫌になりますけれども、まあこんな性質もひとつの性(さが)と認めて生きてゆかねばなるまいと、中島敦なんぞ読みつつ考えている次第です。
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