のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

30th anniversary 2

2013-08-07 | KLAUS NOMI
30th anniversary 1 の続きでございます。

3月30日 ネットラジオでノミの番組が。
Epstein Bar - Klaus NOMI SPECIAL BaR 30.03.13 Radioshow

約1時間。ありがたいことに、まだ聴くことができます。
まあひたすら音源をつなげただけの番組ではあるのですが、普段一緒には聴かないものが隣り合っていたりしますと、新鮮な感じがいたします。とりわけ「あなたの声に我が心は開く」→「Ding Dong the Witch Is Dead」の流れが素晴らしいですね。この二曲を歌っているのが同じ人であると、いったい誰が信じるであろうか笑。
最後の「Cold Song」は例の1982年ミュンヘンでのライヴの音源(プレイリストでは1983年となっていますが、これは誤りでしょう)。ワタクシこの音源を映像ぬきで聴いたのは初めてでした。こう改めて聴いてみますと、崩壊しそうな音程や声量を必死に保っているのが、いっそう如実に伝わってまいりまして.....つ、つらい。

ところでネットラジオにしても伝統的なラジオにしても、ワタクシは上記の特集番組以外では、ラジオでクラウス・ノミの曲を聞いたことが一度もございません。先々週の『世界の快適音楽セレクション』(NHK-FM土曜日9:00-11:00)は「七色の声の音楽」というテーマでございましたので、当然ヤツの『Cold Song』か『The Twist』あたりがかかってしかるべきと思われたのですが、結局かからずじまいでございました。なんでえ。



4月25日
「ゲイリー・ニューマン VS クラウス・ノミ」
Numan vs Nomi - Gary Numan replicants, GNUMAN occupy space with Mar...

本人たちが出演するわけでは(もちろん)なく、ゲイリー・ニューマンの曲をカバーするシカゴのコピーバンド「Gnuman」と、同じくシカゴを拠点とするアーティストMarc Ruvoloがノミへのオマージュとして立ち上げたバンド「Aspic Tines」が共演するショーだったようです。ちなみにAspic Tinesというバンド名の由来は、アスピック(肉や野菜のゼリーよせ)がノミの好きな食べ物のひとつであったからということです。

ショーとは関係がございませんが、こんなページを見つけました。
「ニューマンとノミ、どっちが凄い?」
Taking Sides: Gary Numan vs. Klaus Nomi

傑作なのは一番下のコメント二つでございます。
「ニューマンは変人になろうなろうと頑張ってたけど、ノミの方は実際に変人だったもんね」
「変人度について言えば、ノミはニューマンよりずっと真性だ」

評価されるのはそこか!と笑



それからこれは2012年末の記事なのですが、たいへん美しいのでご紹介しておきます。
「クラウス・ノミ・ミーツ・イサドラ・ダンカン」
GoSee loves ISSEVER BAHRI. Klaus Nomi meets Isadora Duncan. The avant-garde emotional moving image study of the Berlin based fashion label’s new collection - News - GoSee

ベルリンに拠点を置くファッションレーベルが制作した、2分に満たない短編フィルムでございます。こういうのをファッションフィルムと言うのだそうで。ちょっぴり怖く、どこかユーモラスで、ほどよく無機質で、楽しいわざとらしさもあり、ノミへの直接的な言及はなくともノミっぽいエッセンスを感じさせる、素敵な作品でございます。

なんでまたイサドラ・ダンカンとクラウス・ノミという時代も分野も異なる二人にまとめてオマージュを捧げようという運びになったのか分かりませんが、古典とアヴァンギャルドの融合という点で共通しているということでございましょうか。



分からないと言えば、これまた何だかよくわからないながらも楽しいプロダクトが。

その1
謎のフィギュア。
SpankyStokes.com | Vinyl Toys, Art, Culture, & Everything Inbetween: "Klaus Nomi 1944-1983" custom Android for Mikie Graham's "Mechanized Mad Men" blind box series.

歴史上の偉大な変人たちを、彼らにふさわしい乗り物と共にフィギュア化したもの、らしいです。
ノミ以外にどんな「変人」たちが取り上げられたかといいますと、ダ・ヴィンチ、ウォーホル、ドン・キホーテ、ニコラ・テスラ、ラヴクラフト、それからジョシュア・ノートン 。この面子と比べると間違いなくダントツで知名度の低いノミが、何故あえて選ばれたのかは謎。何故頭がちょんまげみたいになっているのかも謎。でもまあ、かわいいのでよしとしましょう。ノミ以外では、ウォーホルのキャンベルスープ・マシンがなかなかよろしい


その2
生えて来るノミ。
Klaus Nomi ? Best Animated Album Covers

いいと思います。とっても。



さて、ヤツを巡る最近の言説の中で、ワタクシがたいへんしみじみとしましたのは、Art in Americaという雑誌の2011年12月号に掲載された、造形作家Vincent Fecteau氏のインタヴューでございました。記事のタイトルは『TILTING AT CHAOS』。
現代アートには、意味付けや意図の曖昧さという側面がございますけれども、そのことの重要性を語るくだりでノミの名前が出てまいります。

あるアート作品において、その動機や意味が曖昧であることや、価値付けがなされていないこと、時にはふざけているようにさえ見えるということ、そうしたことこそが、鑑賞者がその作品と真剣に向き合うきっかけとなりうる、と述べた後、インタヴュアーから「( Fecteau氏が以前から興味を寄せて来た)クラウス・ノミは、彼自身がどんなにクレイジーに見えるかを自覚していたと思うか」と尋ねられ、こう答えてらっしゃいます。

「自覚していたと思う。彼の歌とパフォーマンスには真摯さがある。ライ・バワリーLeigh Bowery とは対照的だ。バワリーも真摯で美しいけれども、それを攻撃性によって守ってもいた。ノミはもっとvalnerable(もろい、傷つきやすい)な存在だったと思う。花のように。ほんの短い時間でしおれてしまう。そして、人々はそれをどのように受け止めたらいいのか分からない」

ねー。もー。
そーよそーよそーなのよ!って思いません?ワタクシは思います。
あんなぶっとんだ恰好をして、あんな奇矯なパフォーマンスをしているにも関わらず、ヤツには「ああヘンだよ、分かってるよ、だからどうした」といった、開き直った所がございません。「ヘンなことやってまーす☆」というおちゃらけもございません。それどころか、共演した他バンドのメンバーがとまどってしまうほどに、真剣なのでございます。
そこまで真摯だからこそ、ヤツのパフォーマンスには表層の奇矯さを圧倒する美しさがあり、そこまで真摯だからこそ、舞台上での無表情な仮面でも隠しきれないもろさ、危うさをはらんでいるのでございます。

もろさということで言えば、ノミ本人、といいますか「ノミの中の人」クラウス・スパーバー本人の危うさ、繊細さ、傷つきやすさということもあったことでございましょう。

身体を危険に晒すのはやめなさい、という友人からの忠告を聞かずに、行きずりの相手と関係してしまう無防備さというのもありますけれども、ステージで歌っている時の、目を見開いた無表情な仮面からは全く想像がつかない、あの普段のはにかんだ微笑みひとつ取りましても、いかにも繊細で、何か危ういような感じがするわけです。特にTVのインタヴューでニコニコと喋っている映像なんかを見ますと、高い台の上にガラスの人形が置いてあるのを見るような心地がいたしまして、ワタクシは微笑ましく感じる反面、何だかそわそわするのでございますよ。
また「子供の頃は、他の子たちからからかわれるのを恐れて、レコードに合わせて歌うという趣味を誰にも内緒にしていた」というドド伯母さんの証言や、客層が異なったニュージャージーでのライヴがひどい不評に終わった後、「彼は数日間、僕らと話もしなかった」という、バンドメンバーであったペイジ・ウッド氏の証言からも、彼が図太さからはほど遠い神経の持ち主であったことが伺われます。

ときに、映画『ノミ・ソング』では、この「klaus didn’t speak to us a couple of days after that but he'd actually get over 彼はその後数日間、僕らと話もしなかったけれど、どうにか立ち直った」という部分に「彼は何日か僕らを無視した」という字幕がつけられております。ううむ、この字幕、どうなんでしょう。これではまるで、ノミがライヴの失敗をバンド仲間のせいにして怒っているみたいでございませんか。
ノミの最も近しい友人の一人であったマン・パリッシュ氏はこちらでヤツがいかにsweetな人物であったかを語ってらっしゃいます。こうしたメモワールからしても、また他の友人・知人の証言からしても、ノミが(少々エキセントリックではあったにせよ)不機嫌だからといって友人たちをあえて無視するような人物であったとは、とうてい思われませんのですよ。

ともあれ、
もしヤツが、攻撃性や開き直りやおちゃらけといった盾によって身を守っていたなら、あんなに危うい感じはしなかったことでございましょう。そしてその方が、当人にとっては楽だったかもしれません。少なくとも、ショーがたった一回不評をこうむったからといって、何日もふさぎこんだりせずに済んだのではないかと。
一方、もしそうしていたなら(実際のノミがそうであるような)時代やジャンルを超えてカルト的に愛される存在には、なり得なかったかもしれません。



そんなこんなで。
ここ30年というもの、地球を留守にしているノミではありますが、広い宇宙のどこかで、ヤツの小さな宇宙船が、ワタクシたちが日々こうして捧げるオマージュを傍受してくれていたら嬉しいですね。
シャイなくせに目立ちたがりであったというヤツのことですから、今もこうして人々をインスパイアしていると知ったら、きっと喜んでくれるのではないかしらん。



まあ、貴方が知ろうと知るまいと、ワタクシどもは勝手に貴方を愛し続けますから。
これからも楽しい旅を続けてね、クラウス・ノミ。