のろや

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2012.11.24 広瀬隆講演会@愛媛(2)

2012-11-29 | Weblog
2012.11.24 広瀬隆講演会@愛媛(1)の書き起しの続きでございます。画像が多いので読み込みが遅いかもしれません。ご了承くださいませ。

2012.11.24広瀬隆講演会part1


以下、42:30より書き起し開始。

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今、福島の人たちがどうなっているかと言いますと、これが今年3月10日、事故があってからちょうど1年後の、福島の地元の人たちが、今の避難先は何カ所目ということを県民に聞いたアンケート。「5カ所目」が35%、「4カ所目」が17%。今年の3月時点でですよ。(今では)もっと多くなっていると思います。お分かりでしょう。転々としているんです、



今も。要するに、生活できないんですよ。放射能によって家も何もかも失って、家族はずたずた、そういう状態。こんなことを誰も知らないんです、日本中の人は。特に西日本の人たちはぼーっとしてて何も知らないから、私は怒鳴りつけるんですけれども。

一番心配な18歳未満の子供たちは、今年4月1日までにもう2万人近くが(福島)県外に逃げ出しています。最初は逃げてくれなかった。私も学習会で県内を回って、早く子供たちをに逃がせ、逃がせ、と叫んで、ようやく2万人ぐらいの人々が、櫛の歯が抜けるように県外に逃げ出してくれていますけれど、まだ30万人の子供たちが(県内に)いるんです。いろんなニュースを見てると、心配でなりません。高校生たちが、あそこでマラソンをやってるんですよ。やめてくださいと言いに行きたいんですけれど、今もこんな状態でいます。

そして1号機に続いて起こったのが3号機の爆発。3号機はもっと怖い、プルサーマルをやってました。伊方も同じですけれど、ウランの代わりに地上最強の猛毒物プルトニウムを大量に使っていて、絶対にやるなと言って我々も反対して来ました。
このプルサーマルをやっていた3号機が、同じようにメルトダウンして爆発したわけですが、これが爆発した後の空の、空から見た写真です。



よく見ていただくと、二筋の白い煙が立っていますね。これは水蒸気のように見えるかもしれませんが、水蒸気じゃないんです。放射性物質のかたまりです。どーっと出ていますね。ここ(煙が流れている、画面左側)は太平洋です。私たちが食べる魚が泳いでいる太平洋です。これで何も起こらないはずはないですよね。

さて、先ほど3月の汚染のことをちょっと申し上げましたが、(画面では)4月、まだ放射能がもうもうと出ていた時の放射能の流れを見ていただいています。このとおり沖縄から韓国、それから四国もずっと舐めながら行きまして、4月の6日から7日は凄まじい勢いで北海道まで汚染して行きました。



(45:00からの画面では「ドイツ中央気象観測所」という表示がでていますが、これはオーストリア気象地球力学中央研究所(ZAMG)のシミュレーションかと。)

これは空気の流れです。空気の汚染です。だからもちろん四国でも汚染しています。どこかに降り積もっているはずです。
海の方を今から見て行きたいと思います。四国の人たちは、全部海に囲まれています。こんなに魚介類の豊かな海はないと思いますけれど、ともかく、この凄まじい海洋汚染が起こっていることを知っておいてください。
先週私は北海道の網走に行きました。網走というのは北海道のこちら側(北東)です。知床の北側です。ここで、先週私は、聞いて非常にショックを受けたんですが、魚から高い数値のセシウムが出て来た。そう聞いて、「そっちまで回ったのか」と思って本当にショックを受けました。
これは海洋汚染の測定シミュレーションです。3月18日、事故の一週間後から始めますから、見てください。



これが8月5日です。釧路のこのへんまで来ました。私の読み違いはこれでした。親潮の寒流が下りて来るから、まず千葉県の銚子あたりが最大の汚染になると思ったんですが、こちらの方向(北海道~千島列島方面)ですね。何でこんなふうになったかといいうと、台風はこう流れますでしょう、日本では。要するに地球の自転の流れに沿って、主にこちら(北東)の方向に行くわけです。だから伊方で事故が起こったら、日本は壊滅します。(汚染が)日本列島をずっと縦断して行きますから。だから、伊方だけの問題じゃないんです。皆さんが、我々日本の全ての人の命を握っているということをお伝えしておきます。さっき言った釧路、網走はここです。ここまで(汚染が)来ているんです、悲しいかな。

これが8月15日、31日、9月15日...そして10月。この解析は11月11日をもって一旦終わったんですが、この時点で、地球全体で見ますと、ここまで来ています。ここはハワイですね。観光、海でもつ島です。そこに今年の2月にもう、到達しています。もう一回シミュレーションを始めまして、12月、今年の元旦、2月。事故から1年で、地球をもう舐め尽くすような形で太平洋に広がっている。今11月ですから、それから8ヶ月も経っていますから、どんなになっているかと寒気がします。



皆さんもニュースでお聞きのように、カナダや北米大陸に津波の漂流船や瓦礫が流れついてますから、放射能も到達しています。アメリカ沖のマグロにもセシウムが出て来た。魚はどこへでも泳いで行きますから。10年後にいったい地球はどうなっているかということを、我々は感じるわけです。それが先ほどの写真(爆発した3号機から海に流れて行く放射性物質)の意味です。

さて、皆さんの所でどうなるか、考えたくはないでしょうけれど、瀬戸内海で事故が起きると、(今回の事故で)太平洋に流れていたあの放射能が、全部ここへ出るわけです。出口がないでしょう。四国だけじゃなく、九州からこの沿岸、全部壊滅します。こういうことが起こるのが伊方の事故です。海も陸も全て壊滅する、ということを申し上げておきます。

アメリカの原子炉の実際の現場に携わって来たアーニー・ガンダーセンというかたが、今年の2月に『福島第一原発の深層と展望』という本を書いて、我々日本人に本当に大事なことを教えてくれました。彼が言った一番重要なポイントは、3号機の爆発は1号機とは違うんだということです。それをインターネットを通じて、去年の4月から、我々に教えてくれていました。そのインターネットの映像の、爆発の所だけ、今ちょっと見ていただきます。



ボンと赤い炎が出ました。これ、3号機です。(煙が)ぐーっと上がって行って、よく見てください、黒いかたまりがいっぱい落ちて来ていますね。
こちらが1号機の爆発です。1号機も凄まじいけれど、(煙は)白いでしょう。それに比べて(3号機は)違いますね、黒い煙がずーっと上がっている。だからガンダーセンさんは、この爆発は違うものだということを教えています。そのことが我々日本人にとって非常に重大な意味を持っていますので、簡単にお話します。



どういうことが3号機で起こったかといいますと、これが原子炉、圧力容器、その周りに格納容器があって、ここのフロア、オペレーションフロアで水素爆発が起こったわけですけれども、この同じフロアに、使用済みの核燃料プールがあります。原発の建屋の中の、一番高い所にあるんです。1年に1回、燃料棒を取り出して沈めておく所です。(燃料棒は)ここで最低5年ほど冷やしてから、青森県六ヶ所村に持って行くというつもりで入れてあるんですが、水素爆発が起こりましたから、プールが静かにしてるはずがないんです。

一番怖いのは水が抜けちゃうことなんですが、このプール、底の方に並んでいるこれが燃料棒で、きちっと一定の距離で離してあります。これをラックといいます。ガンダーセンさんは実際にこのラックの設計もやった、現場のエキスパートです。だからこのことを詳しく見ています。このラック、格子、が外れるようなことがあると、(つまり)この燃料棒というのは一定の距離で離しておかないと、(プールの)中が原子炉に変わってしまう。核暴走、チェルノブイリのような。一瞬で爆発を起こすということになるわけです。



そもそも原子力発電というのは、ウランやプルトニウムに中性子がぶつかるから始まるんです。中性子がぶつかると、核分裂します。この時大事なのは、中性子は2個以上飛び出します。2個以上飛び出して、それが近くのウランや何かにぶつかると、これがまた核分裂をする。そして連鎖反応を起こして進行していく。
これが、90%以上の高濃度にしておきますと、100万分の1秒単位でだーっと行きます。それが何か。原子爆弾です。この原子爆弾の原理を使っているのが、原発なんです。「原爆と原発は違う」と言いますが、同じなんです。原子力発電所はこれを一定の比率でコントロールしながらやるだけなんです。これがこっち側に行ったら(コントロールされた状態から連鎖反応へと移行したら)、原爆に変わる。それが3号機で起こった。だけれども、原爆のように凄まじいものではなかった。ここで起こったのは臨海爆発なんですが、原爆と通常の原子力発電の中間状態で起こったのが3号機の爆発。だから大爆発として(煙が)真上に行った。これは水素爆発というよりは、コンクリートで固めているので横に行かずに真上に行った。

そうして、この写真を見てください。福島大に原発の近くから逃げた森田さんというかたとお会いしましたら、「我々はね、福島の、あの爆発した建物を見ると、原爆ドームを思い出すんだよ」と言いました。まさに的を射た言葉だと思いますが、原発と原爆、これを違うものだと考えてはいけません。ガンダーセンさんがこう言っています。3号機でいっぱい降って来た黒いものは、核燃料であると。それにはプルトニウムが大量に入っている。それが海に落ちているわけです。それが今、どんどん海水に溶けて来ている、そんな状態です。

そうなると、今は日本全土で原発の運転を止めていて、動いているのは大飯の2機だけですけれども、停止している全土の原発は大丈夫なのかということが心配になってくるわけです。というのは、日本の原発はみんな、出て来た「死の灰」を、青森県の六ヶ所村めがけてずっと今日まで運び続けて来ました。だから六ヶ所はたいへんな量の「死の灰」を抱えて、世界一危険な工場になっているわけですが、ここを運営している日本電連の連中は何の能力もないので、4年前の2008年から完全にストップしたまま、ただ「死の灰」だけを受け入れている。だから今、六ヶ所村の燃料プールは今、満杯なんです。

ということは、伊方で万が一、再稼働なんか始めたら、これから(燃料を六ヶ所に)持って行けないんです。青森県はもう満杯なんですから。日本中の原子力発電所は今、そういう状態なんです。そういう時に起こったのが、福島の事故なんです。
今、日本中の原発がどうしているか。燃料を取り出したらプールの中に入れて、(燃料同士の)距離をどんどん縮めるという、一番危ないことをやり始めたんです。九州の玄界原発とか、そういう所でですね。もう、打つ手がない。だから、運転なんかできないんですよ、日本の原発というのは。それほど大変な状態なんです。

日本中の原発が今どれほど燃料棒を抱えているかというのを、事故直後の数値で示しますと、一番満杯だったのは福島第一。皆さんの所の伊方も、もう63%ですから、再稼働すればどんどん(量が)上がって行って、もう危なくなっていく。しかもラックをはずして、リラッキングと言って、どんどんぎゅう詰めにしている。それしか手がないんです。
ただ、量だけじゃないんです。伊方の場合は、今年1月まで運転していました。(止まったのは)嬉しかったですけれど、今年の1月のことですから、まだ原子炉の中に熱い燃料を抱えています。今、伊方の燃料棒がどういう状態にあるか、我々はわかりませんけれど、これは四国電力に追求すべきだと思います。ともかくあの燃料棒を、キャスクというがっちりした容器に急いで移し替えるように、皆さんもどんどん声を上げていってください。運転が止まっていてもダメなんです、原子力発電所というのは。本当に大事故を起こしますから。

去年の3月11日からの出来事をもう一回ざっと申し上げます。14:46に大地震が起こりました。そしてこの日の夜にもう、危ないということはわかっていました。私は個人的に、これはもうメルトダウンに突入しているということを確信していました。それで、枝野がTVに出て来て住民に避難を呼びかけたとき、こいつは全部ウソをついている、ということを読み取りました。それで、TV局が電話をかけて来たので、すぐに福島原発の100キロ圏内の全員に避難を始めさせろ、ということを言いました。それを早く伝えなさい、と。そうしたらTV局の人たちはワーとかキャーとか言って電話を切る、そういうレベルなんです。
私は夜、ずっとTVを見ながら(過ごして)、朝すぐに被爆労働問題を追って来た樋口健二さんに電話しまして、「樋口さん、すぐ福島へ行ってくれ。あなたが行けば福島の人たちも受け入れて、信用して、逃げてくれるだろう」と言ったんですが、樋口さんは車両制限のために行けませんでした。

午後になって 新聞記者たちが山のように電話をかけて来るんで、「いったいあなたたちは何をしてるんだ、保安員があんなデタラメの記者会見をやって、水素爆発がすぐ起こるからすぐにそのことを追求しろ」と言ったんですが、その直後に、爆発してしまいました。
私が何でそのことを言うかというと、私は原子力の専門家ではありません。技術者ですから、半導体とかそういうことをやっていた人間で、原子力とは関係ないんです。しかし1979年に起こったスリーマイル島の事故で、もうすでにあの時水素爆発が起こって、あと1%あれば大爆発を起こすという時に、アメリカ人は食い止めました。あいつらは悪いやつらですけど、非常に頭はいい。私はあの時、(アメリカの)原子力規制委員会の、計算ができる人間たちのことを、こいつらは本当に頭いいなあ、と思いました。そうして水素をどうやって取り除くかということをやって、爆発を食い止めたんです。そういうことを知っていましたから、水素爆発に対してどうしてやろうかと思って...。

伊方にヘリコプターが墜落した事故がありましたね。あの時に〇〇さん(聞き取れません)と一緒に墜落事故の現場を歩きました。その時〇〇さんの言った言葉をお伝えしておきます。原発というのは本当に危ないんだ、と。なぜかというと、天井が薄っぺらに作ってあるの。地震が恐いから、重いものを乗せないようにしている。だからヘリコプターなんかが墜落したら、原発なんかもう一撃なんだよ、と。そういう話を聞きました。

福島の事故が起こった後、すぐに頭にひらめいたのは、そのことでした。だから私はもう、鉄の玉をあの原発の上から落としたかったんです。穴あけちゃえばいいんです、爆発しないですから。そういうことを一人で悶々と考えていたのに、東京電力の、あの福島第一原発の吉田昌郎という所長は、一時ヒーローになりましたね。あの吉田所長が、「水素爆発は頭になかった」と言うんですよ。信じられますか。原子力発電所の所長ですよ。トップの人間が、水素爆発を想像しなかったというんです。で、爆発させちゃうんです。こういうレベルの人間が、日本中の原子力発電所を運転してるんです。
日本中の、原発を持っている電力会社の中で、最高の技術を持っていたのが東京電力なんです。関電なんか、それより遥かにひどいと言われています。四電なんか、それよりずっとひどいです。その東京電力でさえ、このレベルなんです。原発ってのはそんなものなんです。

私は今、事故現場で働いている人たちを非難する気はありません。当時の記録を読み返しますと、特に電力会社の社員よりも、下請けの人たちが、本当に機転を利かせて、いろんなことをやったというのを見て、この人たちは凄いなあ、と思いました。私たちが想像もできないような苦労をして、バッテリーを集めるとか、いろんなことをやりまして、どれも(結果的には)何の役にも立たなかったんですけれども、あの人たちは本当によくやったと思います。でも総体として、原子力発電所の最悪の事故を避けるということは、この人たちにはできないんです。

だって12日に1号機が水素爆発して、2日後には3号機を爆発させちゃうんですよ。その翌日もっと怖いことがあって、今度は2号機の格納容器の底が抜ける爆発が起こっている。そして最悪の4号機ですね。今度は運転もしていない、燃料は原子炉に入っていない、そのプールで、爆発が起きた。判るでしょう。運転を止めていても、何の安全もない。地震が起きてから4日後には爆発してしまうんです。電源がなくなったら終わりなんです。

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次回に続きます。