のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

2009日展1

2010-01-20 | 展覧会
うかうか、という言葉は語感も意味合いもなかなか面白い言葉でございます。
「うっかり」ほど突発的ではなく、かといって「だらだら」ほど意識的でもなく、一定期間に渡って視界の中にあり、何とな~く、ああ、あそこにあれがあるな、あるな、と思っているくせに何故か放置してしまう、微妙な状態を表現するのにもってこいでございます。しかも放置している期間中のいささかのんびりとした状況認識と、いつの間にか事ここに至ってしまったという切迫感とが一度に表現できる、まことに便利な言葉でございます。
小学館の「日本国語大辞典」によると漢字表記は「浮浮」なのだそうで。送り仮名がありませんとむしろ「うきうき」と読んでしまいそうな。「うかうかしているうちに終わってしまった」と申しますと大層ながっかり感でございますが、「うきうきしているうちに終わってしまった」ですと、何やらとても楽しそうではございませんか。

というわけで

うかうかしているうちに京都での日展が終わってしまいました。
京都在住の皆様には大いに今さらな話ではございますが、せっかくなので印象に残った作品についてふたことみこと述べさせていただきたく。

まずは去年の日展レポートでも取り上げました古澤洋子さんの「地球に棲む貌」。
(↓こちらで見られます)
日展(日本美術展覧会) - 主な作品

そびえ立つ岩山。その表面にへばりつくように建ち並ぶ家々。山頂にたたずむ古城は一国を治める領主のような遠い威厳を持って、眼下にひしめく家並みを見下ろし、空には巨大な赤月が黙として空に浮かんでおります。抑えた色調でひとつひとつ描かれた家並みの上を、薄い絵具の層がたなびく霧のように覆い、下に行くにつれて激しい筆致となってごうごうと街の上を流れて行きます。
身を寄せ合う家々の境さえ定かに見えなくしてしまうこの流れの下では、建物よりもむしろ、そこかしこにはためく小さな洗濯物の方が碓とした存在として描かれております。容赦なく過ぎ行く時の流れの中でも、そこに人がいるかぎり続いて行くであろう素朴な日々の営み、その永続性を表すかのように。
厳然とした空の赤月と、激しい流れの中に垣間見える小さな小さな洗濯物たちは、見かけ上は対照的でございます。しかしちっぽけな、それでもきっぱりと描かれた窓辺のはためきは、人の営みという永続性の一端を担うものとして、月の向こうを張って振られる小さな旗のようにも思われるのでございました。

時は流れない。それは積み重なる。と言ったのはウイスキーのCMでございましたが、流れる時と積み重なる時、その双方が共に表現されている、そんな作品でございました。


ううむ結局長くなってしまうなあ。
次回に続きます。