のろや

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『神に選ばれし無敵の男』

2009-09-25 | 映画
最近伝記を読んだからでございましょうか、カルロス・クライバーとチャットしている夢を見ました。
残念ながら会話の内容はひとつも覚えておりません。
ニューイヤーコンサートのCDを買った時の夢では握手までして貰ったんだけどなあ。

それはさておき。


を鑑賞いたしました。

時は1932年、ポーランドの片田舎で鍛冶屋を営むユダヤ人青年ジシェは、その怪力を認められてベルリンに上京し「無敵の男ジークフリート」の名で力自慢の興行をすることに。興行主であるハヌッセン(ティム・ロス)は物事を見通し未来を予知する「千里眼の男」を標榜し、ナチスが新設するオカルト省への就任を目前に控えております。興行は大好評を博するものの、自らの出自を偽ることにいたたまれなくなったジシェは舞台上で自分がユダヤ人であることを明かし.....というお話。

神に選ばれし無敵の男 予告


往年のヘルツォーク映画とは趣を異にする、という評判を聞いていたので、何となく見るのが怖くて鑑賞を伸ばし伸ばしにしていた作品。観てみれば何の何の、佳作でございました。確かに南米を舞台にした2作品に見られた暑苦しいまでの迫力は影を潜めておりますが、その代わりに『カスパー・ハウザーの謎』や『ヴォイツェク』の殺害シーンのような不思議な透明感が全編を満たしておりました。その透明感のおかげか、舞台はナチスが政権につく1年前のドイツで主人公は実在したユダヤ人という重たい歴史的背景があるにもかかわらず、寓話のような趣きに仕上がっておりました。

運命を意のままに操るかに見えたハヌッセン。
虚ろな栄光の果てにようやく自分の使命を見いだしたジシェ。
聡明で清らかな彼の弟ベンジャミン。
やがて時代の渦に呑み込まれ消えて行くこの3人のうち、もっとも無力なのはジシェであったと言えるかもしれません。
と申しますのもハヌッセンのハッタリもベンジャミンの聡明さも持たないジシェは、時代がユダヤ人に課する恐ろしい運命をただ1人確かに予感していながら、それを人々に伝える言葉を知らないからでございます。この無力さ故に「無敵の男」は同胞である素朴な村人たちの素朴な疑いによって滅びて行くのでございます。
ホロコーストの予兆を感じつつも警告する術を持たないジシェの恐れと焦燥は、真っ赤な蟹の大群の夢で表現されております。線路上にわらわら群がる蟹、遠くからどんどん近づいて来る列車。その静かな悪夢が孕む無関心と破滅のイメージは強烈でございました。
このイメージを説得力ある言葉に変換できないジシェのもどかしさは、歴史がこれからどういう道筋を辿るか知っている、しかもそれに対して何もできはしない鑑賞者のもどかしさと重なります。



ジシェを演じるのはフィンランド人のヨウコ・アホラ、”World's Strongest Man Competition"(世界最強の男コンテスト)の優勝者で、つまりは本当の力持ちでございます。演技経験のない彼の朴訥な笑顔や立ち居振る舞いは、いかにも一癖ありそうなティム・ロス演じるハヌッセンと対照的で、田舎出の素朴な青年役にぴったりでございました。