のろや

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『死刑執行人もまた死す』

2009-09-19 | 映画
ここの所レンタルDVDをよく見ております。
せっかくなので短めの鑑賞レポートを。



舞台はナチスドイツ占領下のプラハ。「死刑執行人」の異名で恐れられる冷酷な司令官ハイドリヒはある時狙撃され、命を落とします。犯人が見つかるまで毎日一定数の市民を殺して行く、という卑劣なやり口で犯人を探すゲシュタポ。自分のせいで市民が殺されることに苦悩する暗殺者。父をゲシュタポに連行された娘。プラハ市民ながら、ゲシュタポのスパイとしてレジスタンスに潜り込む男。そしてプラハ市民たちは?------というお話。

いやあ、こんなにサスペンスフルな作品だったとは。フリッツ・ラングが1943年に撮った反ナチプロパガンダ映画なのでございますが、娯楽映画としてもたいそう完成度の高い作品でござました。
前半は暗殺者をめぐるゲシュタポの苛烈かつ陰湿な捜索活動と、暗殺者をかくまった一家を中心としたプラハ市民たちの動揺と団結を息詰まる緊張感で描きます。後半は一転、レジスタンスらが、ゲシュタポのスパイをハイドリヒ暗殺者として陥れる策動が、畳みかけるようなテンポで展開してまいります。
ほんの小さなことからも情報をたぐりよせ、じわじわと包囲網を狭めて来るゲシュタポの恐ろしいこと。
単純に見るならば、ナチスは悪党に、プラハ市民はみな英雄的に描かれていると申せましょう。少し英雄的すぎるくらいに。見せしめ処刑のために捕えられた教授が幼い息子に宛てた「私のことは父としてではなく、自由のために戦った闘士として思い出せ」という言葉や、仲間の合唱に見送られながら処刑場へ赴く青年の晴れやかな表情には胸を打たれます。
しかしその一方で、これは監督が意図したことなのかどうか分かりませんけれども、市民やレジスタンスの行動の側にも何やらうそ寒い怖さがございました。父の助命のためゲシュタポに協力しようとした娘を市民が取り囲む場面や、後半に市井の人々が結束して裏切者を陥れて行く過程では、ある理念のために結束した群衆の不気味さも感じないではなかったのでございます。

一人でもゲシュタポのやり口に屈したら国全体が敗北したことになる。それは分かる、分かるけれども、屈しないことの引き換えに無辜の市民が日々処刑されて行くのはいいのだろうか。監督としてはシンプルに「非道なナチに対抗し自由のために戦った人々の美談」として作ったのかもしれませんが、何かそれだけに収まりきらない、正義という概念の矛盾を示す一面を持った作品でございました。

ちなみに本作は実話にもとづいており、ハイドリヒも実在の人物でございます。ちとネットで調べたかぎりでは「長ナイフの夜」や「水晶の夜」、ホロコーストにも深く関与したとされ、ナチスの中でも相当の実力者だったようでございます。また彼の暗殺をうけて行われたSSによる報復措置がまことに酸鼻を極めるものであったということはこちら→ラインハルト=ハイドリヒ略伝に詳しく書かれております。