のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『日展』

2008-12-27 | 展覧会
京都市美術館で1/13まで開催中の日展へ行ってまいりました。

今回の展示作品の中で一番印象深かったのは、日本画部門の第一室に展示されている古澤洋子さんの「未来の化石」でございました。

こちらのブログさんが画像をUPしてらっしゃいます。

画面いっぱいに描かれているのは、欧州の城塞都市の一角を思わせる、奇妙なかたちの集合住宅でございます。
何が奇妙かと申せば、円形でも矩形でもなく、渦巻き形をしているのでございます。
ぐっと上空から捉えられたそのたたずまいはさながら、黒々とした背中を見せてとぐろを巻いた蛇のようでございます。
画面中央、即ちとぐろの中心には慎ましい広場が開けており、そこへ向って画面右上からぐるりと隘路が走っております。
広場と隘路へと向っては縦長な窓の鎧戸が赤や緑の顔を並べ、そのいくつかからは色とりどりの洗濯物が無造作にはためき、くすんだ色彩と重い重い時の積み重なりを感じさせる家並みの中に、彩りと生活感を与えております。
渦巻きの途中に高くそびえ立つ塔は、所々はがれ落ちた漆喰の白壁や周囲の田園風景とはそぐわないながらも、城塞の名残りを留めて荘重にたたずんでおります。
画面右上の、集合住宅の外側の端っこ、即ちとぐろのしっぽの所には、燃え立つような糸杉が一本立っております。
静的な画面の中で、天に向かって身をよじるその姿は鑑賞者の目を引きつけます。
ぱっと見た所、それは木ではなく、外界の悪しきものから住民を守る不思議な炎のようにも見えますし、あるいは実際そうなのかもしれません。
炎ではなく糸杉であると判断したのは、人間の歴史と生活とをリアルに感じさせる住居部分の描写に対して、緑色の大きな炎というファンタジックなものはそぐわないと思ったからにすぎません。

こんな建築物が実際にあるのかどうか、のろは存じません。しかし、あると言われればああそう、とすんなり納得できるくらいに、この作品は表現においても描写においても、碓としたリアリティと申しますか、説得力を備えておりました。
わけても注目されるのは、屋根瓦でございます。
思えばこのかたの作品も初めて見た時も、その屋根瓦の迫力に圧倒されたのでございました。

刻の堆積

ヨーロッパの建築に見られる円筒を縦半分に切ったかたちの屋根瓦が、白壁の上に黒々と葺かれております。割れたり欠けたりする度に新しいものと取り替えられて来たのでございましょう、無数の瓦はひとつひとつ違った表情を見せ、所々で歪みながらも全体として一つの大きな渦巻きを構成しております。
瓦たちのたたずまいはそのまま、長い長い年月の間ここで生き、死んでいったあまたの人々の存在を連想させます。
歴史の中を、他の無数の人々と共にひっそりと歩んで行った、名も無き人々。彼らの慎ましやかな歩み。きらびやかでもなくドラマチックでもない、一人の人間の歩み。いつか朽ちて歴史の中に埋もれて行く、しかし確かに存在した、あたかもひとつの屋根瓦のように寡黙な歩みは、まさにこの作品を見ている私達自身の歩みでもあります。

私達は太古の生物の化石を見て、それがかつて生きていたものの遺物-----もっと言えば残骸-----でしかないにも関わらず、何か生き生きとしたもの、「生」が確かにここにあったのだ、という感慨を覚えます。
時を経た石垣のような揺るぎなさと静けさの漂うこの作品を前にして、のろはこれと似た感慨に捕われたのでございました。


この他に印象的だった作品に付いては次回に。