のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『田中一村展』

2008-11-21 | 展覧会
万葉文化館で開催中の田中一村展へ行ってまいりました。
一村の作品に会ったのは2年前の『日曜美術館30年展』以来でございます。





田中一村といえば奄美の自然を題材とした作品が思い浮かびますね。
本展にはもちろん、代表作「アダンの木」をはじめ奄美時代の佳作が展示されております。
しかしいかにも一村、という作品のみならず、画業の初期に描かれた南画風の作品や、東京美術学校(現東京芸術大学)時代の作品、また旅先の風景を描いた、葉祥明作品のようにほのぼのとしたものもございました。
あの写実性と装飾性の共存する画風が、決して一朝一夕で確立されたものではないということが定かに見られ、なかなかに興味深い展示でございました。

さらには一時期それによって生計を得ていたという、木彫りの帯留めや木魚(!)までもが展示されておりました。
かわいらしいほおずきが三つ連なったデザインの帯留めは、ひと粒がせいぜい1センチ大という小ささにもかかわらず葉脈がリアルで繊細な起伏を見せており、おなじく帯留めとして作られた椿の白い花びらには一枚、一枚、内から外へと丁寧に繊維が彫り込まれております。
精密さといいデザイン感覚といい、実に見事なものでございました。

一村は「良心を満足させる」絵を描くために画壇と決別し、奄美に引っ込んで極貧の暮らしをしながら絵を書き続けるという、たいそう不器用な生き方をした人でございます。その一方で技術的には、さまざまなタイプの絵を描き、デザインや彫刻もこなす、とても器用な人であったことが本展で分かりました。
本展の解説冊子で美術史家の戸田禎佑さんが書いておられるように、一村は「他者の様式に敏感に反応」し、「時代、地域を超越してストレートに名作の表現を自家薬籠中のものにする」ことができる、器用さと貪欲さを持っていたのでございましょう。

もしも人気画家の道を歩もうと思ったならば、それは技術的には実に容易なことだったはずでございます。
しかし、一村の芸術家としての「良心」、というよりもむしろデーモンとでも呼ぶべきものが、そうした生き方にはどうあってもがえんじなかったのでございましょう。

一村の独特で鮮烈な、生命感の張りつめた画風は、ただ一直線に進んで行って到達した境地ではなく、幅広いキャパシティの中から選択され、築かれていったものだったということがよく分かる展覧会でございました。
それを思うと、かの「アダンの木」を前にしたワタクシの感慨もまたひとしおなのでございました。