のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『色ー響きと調べ』展

2008-08-04 | 展覧会
京都市美術館コレクション展 色ー響きと調べへ行ってまいりました。

いやあ今回のコレクション展には、京都市美術館の収蔵品の中でものろがとりわけ好きな作品が多く展示されておりまして、大変嬉しうございました。
入ってすぐ左手に展示されていた竹内浩一さんの作品『丹』にはワタクシ今までお目にかかったことがなかったと存じますが、ひと目で氏の作品と分かる独特の色彩に対面して、のっけから心が浮き立ちましたとも。早朝の大気のごとく清澄な画面を前にして、館内に転がりこんでもなお身体にまとわりついていた蒸し暑さもさあっと引いていくような心地がいたしました。

第一室には「飛び動くもの」と題して動物や鳥を描いた作品が集められております。
のろがたまらなく好きな西村五雲の『園裡即興』と竹内栖鳳の『雄風』は並んで展示されておりました。

小さな画像ですが両方ともこちらで見られます。『園裡即興』は第8回、『雄風』は第2回のところ。

『園裡即興』、大きさは目算で80×100センチといったところでしょうか。
無造作に地べたに置かれた竹籠から、数羽の兎が耳をのぞかせております。
右はじの一羽は大きな眼を見開いて、鼻をひくひくさせながら辺りをうかがっております。
籠のかたわらではふわふわと柔らかそうな兎が、うつむいて毛づくろいをしております。
身体を丸めて毛づくろいする兎の、小動物らしいしぐさ。
足下に転がるかじりかけの人参がなんともほほえましく、兎たちの表情も実によろしうございますね。
グレー基調の中に赤茶と緑をふんわりと配した色調はいかにもやさしく、スケッチのような素早いタッチは見る者に生き生きとした印象を与えます。

一方、五雲のお師匠さん竹内栖鳳の『雄風』は二双の大きな屏風絵でございます。
この絵を初めて見たとき、のろはそのあまりの技量の高さに呆然としたもんでございます。
左手の虎はソテツの根元にかったるそうに横たわり、むすっとした顔をこちらにむけております。
右手の虎はソテツに身体をすりつけるようにして悠然と歩きながら、太い首を左手へ向けたところ。
捕食者のしなやかで堂々とした体躯と、猫らしい、どこか親しみのある表情と動きとがみごとに捉えられております。
肩の筋肉の盛り上がりも、しなやかに乱れるソテツの葉も、迷いの無い線でグングンと描かれてります。
水気をたっぷり含んだ筆で一気に描き上げたと思われる大胆な筆致は、淡い色彩と相まって、まさに吹き抜ける風のように爽やかな印象を発しております。

ところで『園裡即興』というタイトルは、文字通り、五雲が動物園へ行った折りに見かけた兎の姿に思わず興をそそられて描いたことからつけられたものでございます。
しかしなぜ「園内」ではなく「園裡」=裏の方、なのか。
実はこの兎たちは展示のために飼育されているのではございませんで、肉食獣の餌になる運命なのでございます。
動物を好んで描いた五雲。何も知らずにのんびり毛づくろいする兎を見て、哀れを感じたのでございましょうか。

栖鳳は旅先で出会った猫をどうしても描きたくなり、飼い主に再三頼み込んで、ついには作品と交換に猫を貰い受けたこともある人でございますが、いくら描きたいからといってまさか自宅で虎を飼いやしなかったでしょうから、この『雄風』のモデルもまた動物園の虎でございましょう。
『園裡即興』が描かれたのは1938年、『雄風』は1940年。
五雲も栖鳳も京都市動物園に通ったはず。
もしかすると栖鳳の絵の中でふてぶてしい表情を見せる虎は、五雲が描いた兎たちをその胃袋におさめているのかもしれませんて。
なんまいだぶ、なんまいだぶ。

それから第一室では富田渓仙の『伝書鳩』が見られたのも嬉しうございました。
ただ映画『プロデューサーズ』を鑑賞して以来、白い鳩を見かけると「アドルフだ」と思ってしまうのろの頭はちと困りもんでございます。

この後にも玉城末吉の『宇吉』や菊池契月の『友禅の少女』、徳岡神泉の『流れ』など、のろ的にはイヤーこの作品ひとつだけでも来たかいがありましたってな作品がぞろぞろ。
長くなりますのでこれらはごそっと割愛させていただいきますが、最後にちと語らせていただきたいのは吉仲太造の『或る時空間1』でございます。
↑リンク先左側の白い方の絵と同じ作風で、大きな縦長の画面の中に、真横を向いた椅子と椅子の上にぽつんと置かれた電球、そしてつり下げられた電球カバーのみを描いた作品でございます。
ワタクシはもし京都市美術館から収蔵作品からどれかひとつだけあげますと言われたら、この作品を選ぼうかと思っております。まあ言われないでしょうが。
白い画面からじわじわと滲み出るような、孤独と安心。
ものがただものとして存在していることの、危うさと確かさ。
ものたちはただそこに在るものとして何の叙情性も付与されずに描かれております。
しかし同時に、詩人・八木重吉が一粒の朝顔の実に対して「あ おまえは わたしじゃなかったのかえ」と語りかけるのにも似た、ものヘの親和性が感じられ、思わずキャンバスを手のひらで撫でたくなります。まあいたしませんが。


ときに本展のテーマは芸術の中の色彩の変遷といったものでございましたっけ。
のろは常のごとくテーマそっちのけで個々の作品に見入ってしまいましたが、より広い視野をお持ちの皆様は色彩と時代について思いを廻らしながら御覧になるといっそうよろしいのではないでしょうか。
のろも時間があったらもう一回行きたいと思っております。
だってコレクション展は友の会の会員証提示で何度でも入れるんでございますもの。
ありがたや、ありがたや。