内田樹『最終講義』(技術評論社、2011年)
自分はなぜこんなことをしているのかつねに問い続けている必要がある。よく言われることだが、それを実践することはそんなに簡単なことではない。こんなことを書くのは内田樹の「日本人はなぜユダヤ人に関心をもつのか」のなかで彼がなぜユダヤ研究と武道をするようになったかを自分なりに分析しているのを読んだからだが、度重なる反米闘争に負けた当時の敗北感から彼らを睥睨する思想と一体化したかったがゆえに、レヴィナス研究を始めたというのも、興味深い。
また「日本の人文科学に明日はあるのか」も興味深かった。とくに仏文学会(それだけではないだろうけど)における研究者のあり方を批判する論旨―いったい誰のために誰に向かって誰を背負って研究しているのかをたえず自らに問い続けていなければ研究者は堕落する―は、私のような愚かな者でさえも、たえず気になっていたことを、ズバリ指摘されたようで体が震えるようであった。本当に多くの「優秀な」研究者の多くの姿がここに描かれている。私などはそういう人たちの足元にも及ばないので、そういった範疇にさえ入らないが、研究の意欲ではけっして引けを取ることはないと思っていただけに、研究というものが本来持つ公共性を意識していなければ、研究そのものが堕落するという指摘は、実に深い。
私の父親は脱サラして苦労して畳の会社を起こし、さらにインテリアにまで手を広げて、ちょっとした規模の会社を経営していた。だから息子にもそれを継がせたかっただろうし、その息子が大学に進学したいと言い出したときには、経済とかを勉強してもらいたいと思っていたのだろう。それが直截に出たのは、息子が大学四年になって就職活動をする時期になったときのことだった。私に何も知らせずに、その地方の銀行(ということはもちろん父親の会社が資金のやりくりなどで世話になっている銀行ということだ)に私の就職内定をもらっていた。九月に大学院入試があって合格したことを知らせると、実はこれこれの銀行から内定をもらっているが断っておくと残念そうに言っていた。それにしても父親としては、どうして文学などというようなゼニにもならないことをやろうとするのか、わからなかっただろう。
私の大学時代はいわゆるニクソン・ショックというやつで、初めて就職氷河期を迎えた時代だった。いまのそれに比べたらたいしたものではなかったのかもしれないが、それまでずっと高度経済成長を続けてきて、右肩上がりの時代に合わせて、就職率だってたぶん100%だったのだろう。ところが、ニクソン・ショックで原油価格が高騰し、それまでのように無尽蔵にエネルギーを消費して生産をすることができなくなり、御堂筋線の駅なんか蛍光灯を間引いて、薄暗くなっていた。トイレットペーパーはスーパーからなくなるなどの騒動も起きた。そういう中で初めての就職氷河期を迎えた大学生たちは必死になって就職活動をしていた。そういう状況で銀行の内定をもらえたということは別世界のような話だった。もちろん銀行の権威もそのころはまだあって、今のようにボロボロではなかった。
たぶんそういう世間の地は這うようなコセコセした生き方を見下しているようなところがあったのだと思う。文学なんて言うようなまったく金にならないような学問をすることに意義があると思っていたような気がする。そういうものの考え方そのものがそういった時代の影響を受けているということもわからずに、時代の影響を受けないような超越的なことがしたい(文学研究にさえそんなものはありはしないということも知らずに)と思っていたようだ。
それにしても「日本はこれからどうなるのか」の北方領土と沖縄問題のところを読み出したら、「箸がとまらない」。これからしないといけないことがあるのに。またあとのお楽しみにとっておこう。
最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書) | |
内田 樹 | |
技術評論社 |
また「日本の人文科学に明日はあるのか」も興味深かった。とくに仏文学会(それだけではないだろうけど)における研究者のあり方を批判する論旨―いったい誰のために誰に向かって誰を背負って研究しているのかをたえず自らに問い続けていなければ研究者は堕落する―は、私のような愚かな者でさえも、たえず気になっていたことを、ズバリ指摘されたようで体が震えるようであった。本当に多くの「優秀な」研究者の多くの姿がここに描かれている。私などはそういう人たちの足元にも及ばないので、そういった範疇にさえ入らないが、研究の意欲ではけっして引けを取ることはないと思っていただけに、研究というものが本来持つ公共性を意識していなければ、研究そのものが堕落するという指摘は、実に深い。
私の父親は脱サラして苦労して畳の会社を起こし、さらにインテリアにまで手を広げて、ちょっとした規模の会社を経営していた。だから息子にもそれを継がせたかっただろうし、その息子が大学に進学したいと言い出したときには、経済とかを勉強してもらいたいと思っていたのだろう。それが直截に出たのは、息子が大学四年になって就職活動をする時期になったときのことだった。私に何も知らせずに、その地方の銀行(ということはもちろん父親の会社が資金のやりくりなどで世話になっている銀行ということだ)に私の就職内定をもらっていた。九月に大学院入試があって合格したことを知らせると、実はこれこれの銀行から内定をもらっているが断っておくと残念そうに言っていた。それにしても父親としては、どうして文学などというようなゼニにもならないことをやろうとするのか、わからなかっただろう。
私の大学時代はいわゆるニクソン・ショックというやつで、初めて就職氷河期を迎えた時代だった。いまのそれに比べたらたいしたものではなかったのかもしれないが、それまでずっと高度経済成長を続けてきて、右肩上がりの時代に合わせて、就職率だってたぶん100%だったのだろう。ところが、ニクソン・ショックで原油価格が高騰し、それまでのように無尽蔵にエネルギーを消費して生産をすることができなくなり、御堂筋線の駅なんか蛍光灯を間引いて、薄暗くなっていた。トイレットペーパーはスーパーからなくなるなどの騒動も起きた。そういう中で初めての就職氷河期を迎えた大学生たちは必死になって就職活動をしていた。そういう状況で銀行の内定をもらえたということは別世界のような話だった。もちろん銀行の権威もそのころはまだあって、今のようにボロボロではなかった。
たぶんそういう世間の地は這うようなコセコセした生き方を見下しているようなところがあったのだと思う。文学なんて言うようなまったく金にならないような学問をすることに意義があると思っていたような気がする。そういうものの考え方そのものがそういった時代の影響を受けているということもわからずに、時代の影響を受けないような超越的なことがしたい(文学研究にさえそんなものはありはしないということも知らずに)と思っていたようだ。
それにしても「日本はこれからどうなるのか」の北方領土と沖縄問題のところを読み出したら、「箸がとまらない」。これからしないといけないことがあるのに。またあとのお楽しみにとっておこう。