読書な日々

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『プライヴァシーの誕生 モデル小説のトラブル史』

2021年11月27日 | 人文科学系
日比嘉高『プライヴァシーの誕生 モデル小説のトラブル史』(新曜社、2020年)

日本には根強い「私小説」のジャンルの伝統があり、通常は作家が自分自身の身辺のことを題材とするから、問題にならないのだが、それが身近な他者を主題にしたような場合には、モデルとなった人のプライヴァシーの問題が生じて、トラブルの原因になってきたということを取り上げた本である。

古くは明治時代の内田魯庵の『破垣』から、有名な島崎藤村の『破戒』や『新生』、漱石の弟子たちの紛争、戦後は三島由紀夫の『宴のあと』、柳美里の『石に泳ぐ魚』などが取り上げられている。

ふと思い出すのは、最近テレビで、たぶん再放送だと思うのだが、金閣寺放火事件に材をとった三島由紀夫の『金閣寺』や水上勉の『金閣炎上』での、放火犯の林養賢や金閣寺住職の描き方を取り上げていたことだ。

ふたりとも金閣寺住職を堕落した僧侶のように描き出し、さらに1958年の市川崑による映画でもそれに輪をかけたような坊主として描き出していたことから、当初はこの住職はずいぶんと迷惑を受けたようだが、一切言い訳のようなことをせず、債権のための喜捨活動を一人でも黙々としたような人であったらしい。(って、本当のことは私も知らないのだが。)普通なら、この二人の作家や市川崑を訴えてもいいようなものだが、そんなことはしなかった。

ここで取り上げられたトラブルを見ていると、あれこれ言い訳しても、一番悪いのは作家であるとしか私には思えない。いくら構想の材料にしただけで、小説ではまったく別の人間として造形したなどという言い訳をしても、それと分かるような書き方がしてあるかぎり、モデルとなった人物の受ける不快感、社会的地位の低下、社会的バッシングなどによるストレスは計り知れないものがある。

『プライヴァシーの誕生―モデル小説のトラブル史』へはこちらをクリック

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