宮下奈都『羊と鋼の森』(文藝春秋、2015年)
北海道の小さな都市を舞台に調律師として生きていくことを決心した若者の成長を描いた小説で、本屋大賞を始めとして三つの賞を受賞した。
この小説で私が付箋を張って読み返したのは、めったに一緒になることがない板鳥が有名なピアニストのコンサートチューナーをすることになって、同伴させてもらった時に、板鳥が言った「あきらめないことです」という言葉だ。能力があるとか・ないとか言う前に、とにかく諦めないで続けること、これだけが一つの仕事を成し遂げるために必要なことだという話に、私も納得した。
私の場合、オイルショック後の就職氷河期に大学を卒業する時期だったからではなく、一般企業に就職する(父親が田舎にある銀行に就職を決めていた)のがいやで、ぼんやりと研究を続けてみたいと思っていた。しかし実際に大学院に入ってみると、私なんかよりもできる人たちばかり。彼らの話を聞いていると私の知らないことばかり。いかに自分が無教養で無知かを思い知らされた。
だからといって娑婆にでる勇気はない。私にはここにしかいるところがない、そんな思いで離れなかったというのが本音のところだった。
世の中には一つのことだけでなく、複数のことを成し遂げる人もいる、若くして仕事を成し遂げる人もいる。周りの人たちが、研究職についたり、欧米に留学に行ったりするのを横目にして、私はただ黙々と「あきらめない」で続けてきた。
しかしだからこそ、50歳目前になって、博士論文を出すことができたし、それはそれで一つの仕事を成し遂げたと自分で言えると思う。
小説では「あきらめないことです」という言葉を聞いた外村が「多くのものをあきらめてきたと思う」と述懐する。そしていろんなことを諦めてきが、調律の仕事だけは諦めないで続けていこうと踏ん張る。
私の場合も、諦めるのが早すぎたようなこともあったかもしれない、でも多くのことを諦めたけど、今につながるこの仕事だけは「あきらめない」で続けてきた。
この小説は、調律師という仕事が本当に自分に合っているか、能力があるのかと逡巡しながら続けてきた外村に新しい世界が開けるのを描いて終わっている。私にはそんな新しい世界が開けたわけではないが、これでよかったと思う。
なかなかいい小説だった。
『羊と鋼の森 (文春文庫)』へはこちらをクリック
北海道の小さな都市を舞台に調律師として生きていくことを決心した若者の成長を描いた小説で、本屋大賞を始めとして三つの賞を受賞した。
この小説で私が付箋を張って読み返したのは、めったに一緒になることがない板鳥が有名なピアニストのコンサートチューナーをすることになって、同伴させてもらった時に、板鳥が言った「あきらめないことです」という言葉だ。能力があるとか・ないとか言う前に、とにかく諦めないで続けること、これだけが一つの仕事を成し遂げるために必要なことだという話に、私も納得した。
私の場合、オイルショック後の就職氷河期に大学を卒業する時期だったからではなく、一般企業に就職する(父親が田舎にある銀行に就職を決めていた)のがいやで、ぼんやりと研究を続けてみたいと思っていた。しかし実際に大学院に入ってみると、私なんかよりもできる人たちばかり。彼らの話を聞いていると私の知らないことばかり。いかに自分が無教養で無知かを思い知らされた。
だからといって娑婆にでる勇気はない。私にはここにしかいるところがない、そんな思いで離れなかったというのが本音のところだった。
世の中には一つのことだけでなく、複数のことを成し遂げる人もいる、若くして仕事を成し遂げる人もいる。周りの人たちが、研究職についたり、欧米に留学に行ったりするのを横目にして、私はただ黙々と「あきらめない」で続けてきた。
しかしだからこそ、50歳目前になって、博士論文を出すことができたし、それはそれで一つの仕事を成し遂げたと自分で言えると思う。
小説では「あきらめないことです」という言葉を聞いた外村が「多くのものをあきらめてきたと思う」と述懐する。そしていろんなことを諦めてきが、調律の仕事だけは諦めないで続けていこうと踏ん張る。
私の場合も、諦めるのが早すぎたようなこともあったかもしれない、でも多くのことを諦めたけど、今につながるこの仕事だけは「あきらめない」で続けてきた。
この小説は、調律師という仕事が本当に自分に合っているか、能力があるのかと逡巡しながら続けてきた外村に新しい世界が開けるのを描いて終わっている。私にはそんな新しい世界が開けたわけではないが、これでよかったと思う。
なかなかいい小説だった。
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