読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

江戸の暮らし(2)

2006年02月16日 | 人文科学系
石川英輔『江戸のまかない―大江戸庶民事情』(講談社、2002年)

夜の9時であろうと配達してくれる郵便、翌々日には配達してくれる宅配便、24時間開いているコンビニ、そしてそこで廃棄される大量の弁当類、この程度のことは、環境問題とか経済問題に詳しくなくても、日常生活のなかで見聞できる現代社会の姿だが、専門家たちはもっとすごい実態を知っているのだろう。たとえば農薬散布の恐ろしい実態、大量生産する食料品工場の実態(そこの従業員は、そこで作られたものは食べない)などなど。人間が人間を滅ぼすような現代社会の行き詰まりを打開する道はだれにも見えていないが、なにも見えない未来ばかりに目をむけないで、優れた手本をもつ過去、しかも自分たちの過去から学ぶことも必要になっている。そしてその手本が江戸時代の生活だということをこの著者は提起している。

生産力を伸ばすことばかり考えるのはやめよう、生産力はもう十分人間を生活させていけるだけの段階にきているのだから、それを適切に分配し、地球環境に過大な負荷をかけないような生活様式の探求に力を向けよう、衣食住に手間ひまかけないで、大量に廃棄物を放置するだけの、そしてその放置の仕方にばかり目をむけることはやめよう、ということをこの著者は訴えている。

前回のブログで私はそうした生活は自由な時間がなくなって、一日中日常茶飯事に時間が取られるのではないかという疑問を出したのだが、今回の著作はそれに江戸時代の人々はわりと暇だった、だからこそ文化が花開いたのだし、伊勢参りをはじめとて旅がブームになって何百万人という人が旅をしていたという話で答えてくれている。

しかしまた新たな疑問も湧いてきた。それは現代の銀座などに負けないくらいの賑わいを見せた江戸の日本橋あたりの、今で言う商店街とか、花見の名所などでは、当然、弁当売りをはじめとした食べ物売りがたくさん出ただろう。そうなれば、それを商売とする人たちは、当てがはずれてたくさんの売れ残りが出たとしよう、それはどうしていたのか。またそうした弁当のために今日だったらプラスチックのパックのようなものを何かで作っていたとすれば、そうした廃棄物が大量に出ただろうから、それらをどう処分していたのか。大量の人間が集まるところは必然的に大量のゴミが出ると思うのだが、それをどのように処分していたのかという疑問である。

それにしても石川英輔氏の著書は読めば読むほど面白い。今度は氏が最初に出版した小説『大江戸神仙伝』をはじめとして、大江戸○○事情シリーズを読んでみたいものだ。

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