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『交響曲の生涯』

2011年03月23日 | 人文科学系
石多正男『交響曲の生涯』(東京書籍、2006年)

最初は、オペラの序曲として、オペラの開幕を知らせる音楽のようなものだったシンフォニーアが、徐々に独立して、ソナタ形式を取り入れたり、メヌエットを取り入れたりして、大規模な交響曲になっていく過程をイタリアとドイツ、そしてフランスの音楽を中心にして解説した本なのだが、たくさんの原書も資料として読んであり、面白い内容だった。

オペラの序曲ということでいえば、リュリが確立したフランス風序曲とイタリアでできあがったイタリア風序曲がある。そうはいってもフランス風序曲のほうも原型はリュリがフランスに来るまえの1640年代から50年代のイタリアで用いられていたオペラの序曲だったことを考えるとどちらもイタリアから誕生したと考えていい。

ただ一時期フランスだけではなくヨーロッパの全域に覇権を誇ったフランス風序曲が衰退してイタリア風序曲に取って代わられたのは、まさに音楽がバロックから古典派に変わっていく時代の流れをイデオロギー的にも音楽発展的にもしめしていて非常に興味深い。

《緩・急・緩》という三つの部分によって形成されるフランス風序曲は、多くのヨーロッパ人にとって芸術の庇護者である王侯貴族を称えるため、威厳に満ちたものであった。だから、ゲーテの時代になってさえも、フランス風序曲を聞くと「華やかで気品に満ちて」おり、「着飾った人々が整然と列をなし、広い階段を下りてくる姿が目に浮かぶようだ」ったという。

それが18世紀も中頃になって、もちろん社会の体制としては王政であっても、市民階級が経済的に力をもってきて音楽芸術の分野にも進出してくるようになると、もっと気楽に自由に聴ける器楽曲を求めるようになる。そうした変化が王侯貴族のためのフランス風序曲からイタリア風序曲へ流行を変えていくことになった。

しかもこうしたイデオロギー的なことだけでなくて、自由で気楽に聴けるというためには、表現形式そのものが自由でなければならないが、フランス風序曲にはそうした自由がなかった。フランス風序曲では、最初の「緩」部分を、付点リズムを特徴的に用いて厳粛な感じにする。次の「急」部分は、フーガというやがて18泄紀後半には時代遅れとなる、あるいは教会などで厳粛な印象を与える作曲技法で書かれなければならなかった。しかも、最後の「緩」部分は最初の「緩」にリピートするか、最初と同じ曲想を持っていなければならなかった。(p.65)

それにたいして、イタリア風序曲のほうはホモフォニックな音楽を取り入れることで、四つの声部が使われていても、低音部と中間声部は渾然一体となって一つの響きを出すことで、旋律ラインを受け持つ最上声部を支える形になり、聞き手のほうも最上声部だけに耳を傾けていればいいことになる。

そしてそこにソナタ形式が加わったり、さらに展開部が複雑になったりして、当初はオペラの開幕を知らせる音楽だった序曲が、コンサートの開幕と終幕を縁取る交響曲になり、ついにはそれだけを聴くために聴衆が集まるような自立した交響曲になっていった。

慶応大学で一般教養科目としてもこのような内容の授業を持っている人らしいが、こういう人の授業をうけることができる学生は本当に幸せだね。


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