法話メモ帳より
『珠玉編心のしみるいい話』より
生まれてきて良かった 筒井典子(主婦・36歳 高知県高知市)
私の娘は現在、小学四年生です。冗談を言って笑わせてくれたり、怒られて泣いたりする彼女ですが、走り回ったりすることはできません。なぜなら彼女は、手足が普通の子のように動かせないー重度の障害児なのです。
彼女がまだ保育園にいたろのことです。クリスマス会で、生まれて初めての振り袖を着せてもらい、女の子三人で踊りを披露しました。といっても娘は車イスに座り、桜の枝を持った右腕をわずかに振るだけでしたが……。左右の友達が交互に曲に合わせて車イスを動かし、全体をうまくまとめてくれていたのが印象的でした。
しばらくして、村のティーサービスで、保育園でやった演目を見ていただくことになりました。その日の夕方、娘を迎えに行くと先生がうれしい話をしてくださいました。
娘の、不自由な体ながら一生懸命踊る姿に感動なさったおばあさんが、帰り際に娘の手をとり、「がんばりよ、がんばりよ」と涙ぐまれたそうなのです。
それを聞いた私の胸にも、熱いものがこみ上げてきました。そして、自分自身、三十何年生きてきて、他人にそれほどの感動を与えられたことが果たしてあっただろうかと思いました。
それなのに、娘はわずか六歳にしてそれを自然にやったのだ、と考えるとあらためてすごいことだと感じられたのです。
小学校に入る年齢になったころには、彼女にどんな学校が向いているのか悩みました。考えた末、ある養護学校の体育祭に足を運んでみることにしました。初めて見る養護学校の運動会。そこでは小学部から高等部までの児童生徒が、それぞれの障害に応じて頑張る姿がありました。
娘のように動けない子を、ボードに乗せて先生が引っ張り、顔を上げさせる。何分もかけて寝返りをうったり、あるいははって懸命にゴールを目指す子供たち。車イスで風のように走りぬける子とデッドヒートを演じる松葉杖の高校生……。
流れる汗。目標を達成した輝く笑顔。そこには私の経験してきた一番、二番を競う運動会とはまったく別の世界がありました。あまりにもひたむきな、ほとばしるような情熱を目のあたりにして、私は完全に圧倒されてしまったのでした。
(ぜひとも、この学校へ娘を入れたい!)
やがて、娘は無事に念願の小学校の一年生になりました。入学してみて驚いたのは、先生方の子供たちへの接し方です。子供たちの目線はもちろん、まばたき一つにまで、
「あ、いま、返事をしたよ」などと意思を読み取ろうとしてくださる細やかな愛情には、本当に頭が下がりました。まさに、教育の原点を見た思いでした。こんなすてきな学校があるなんて、娘がいなければ決して知ることはなかったでしょう。
「人間にとって、何か一番大切なことか」
ということを、娘が生まれてから何度となく考えるようになりました。しかし、それがあまりにも根源的な問題で、私はつい忙しい日常の中で、見失いがちになってもいます。
娘が小学三年生のある日、何気なくこう言いました。
「ママ」
「何?」
「……生まれてきて、良かった」
あまりに思いがけない言葉に、私は絶句してしまいました。決して平坦ではなかったはずの彼女の人生を、そんな二言で言い切ってくれたこと。そして、それへの感謝で、胸が一杯になりました。
「ありがとう。ママの所へ生まれてきてくれて。本当にありがとう」
私は涙をこらえて、そう返すのが精一杯でした。
(なんて素晴らしい宝物を、私は神様からゆだねられたのだろう)
そして同時に、こう願わずにはいられませんでした。
どうかこの子が大人になってからも、今と同じ言葉が言えますように。(以上)