本願寺派部卿婦人会総連盟の講師をしています。その総連盟から「法話集」が出ました。コロナ渦で自宅待機を余儀なくされている会員向けに出されたものです。総連盟講師7人が、それぞれ短い法話を書いています。以下は私の分です。
阿弥陀仏
『言語生活』(1988年3月休刊)に連載されて文を集めた『ことばのくずかご』(見坊 豪紀著)という本があります。時とともに忘れられ捨てられていく言葉を集めた本です。愉快なところを拾ってみます。
・どこかの学校の国語テストに、こんな珍回答が教師をうららせた。問題は<用意〇〇>。〇に「ドン」と記入した学生がいた。正解は「用意周到」です。
・卒業式で歌って涙し、「先生、いい歌ですね。あおげば尊し、和菓子の恩」と手紙に書いた学生がいた。
・バスに傘を忘れて電話したら「似たのはあるけどモリハナエさんという人のだ」と言われて説明に苦労した。
・「第一印象」を「第一ゾージルシ」と読んだ新人類がいた。
・入社試験に「弱肉強食」にカナをふる出題があり、その漢字に「やきにくていしょく」とカナがふってあった。(以上)
失敗もユニークだと、違った意味で評価の対象となります。ユニーク、「ほかに類のないさま、独特、独自」(広辞苑)という意味です。
浄土真宗のご本尊は、阿弥陀如来です。この仏さまほどユニークな仏さまはおられません。ご本尊というと礼拝の対象物と限定しがちですが、本尊とは「本当に尊いことがら」のことです。阿弥陀仏という「尊いことがら」は、清らかな心とはほど遠い私をして阿弥陀仏の名を称え、礼拝せしめる力そのものであり、ありのままの私を摂取して下さる仏さまです。
他の仏さまは、私が努力・修行して出会っていきます。ところが阿弥陀如来一仏だけは、仏さが、私の身の上に、念仏となって至り届いてくださっているのです。それが「南無阿弥陀仏」です。姿で示せば、捨ててはおけないと、立ちあがった姿です。親鸞聖人は「至心に回向したまへり」と、そのユニークな仏さまのはたらきを慶ばれました。
新型コロナウイルス感染をどう意味づけるのか。それは、私たちのこれからの生き方にほかなりません。不安の渦巻く今こそ、しっかりとお聴聞いたしましょう。