
5月15日のブログで「“目に見えない存在を感じる若者が増えて”いるということは、お寺への需要も、権威や歴史、伽藍といった目に見える物質的なものから、お寺が本来伝えようとしてきた精神性(み教えや考え方)が求められる時代となってきているということでもあります。」と書いています。
これからの浄土真宗は、浄土真宗の在家主義の面を、どう効果的に展開させるかです。その意味でも、仏教婦人会や仏教壮年会などの在家者の活動は重要です。
築地本願寺では毎日、ボランティアの門信徒が式章をつけて説明要員が配置され、接客をしています。40ほど名が登録されていて毎日2人が出勤しています。大変喜ばれているとともに、色々な出会いがあって、その出会いの感動を伺ったことがあります。
先日は、この接客ボランティアをした僧侶から「接客ボランティアで、布袍輪袈裟をつけていて話しかけようとすると、引かれてしまう」と聴きました。布袍輪袈裟・僧侶というのは一つの権威の象徴です。その権威的な部分が、日常生活の中では重く感じられてしまうということがあるようです。在家主義の面とは、そうした権威の部分をそぎ落としてところで、どう真宗が展開していくかということでもあります。
これからの浄土真宗は、浄土真宗の在家主義の面を、どう効果的に展開させるかです。その意味でも、仏教婦人会や仏教壮年会などの在家者の活動は重要です。
築地本願寺では毎日、ボランティアの門信徒が式章をつけて説明要員が配置され、接客をしています。40ほど名が登録されていて毎日2人が出勤しています。大変喜ばれているとともに、色々な出会いがあって、その出会いの感動を伺ったことがあります。
先日は、この接客ボランティアをした僧侶から「接客ボランティアで、布袍輪袈裟をつけていて話しかけようとすると、引かれてしまう」と聴きました。布袍輪袈裟・僧侶というのは一つの権威の象徴です。その権威的な部分が、日常生活の中では重く感じられてしまうということがあるようです。在家主義の面とは、そうした権威の部分をそぎ落としてところで、どう真宗が展開していくかということでもあります。
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