「昭和天皇(1901~89)の日々の動静や関わった出来事などを記した「昭和天皇実録」が完成し、21日午後、皇居・御所で、天皇、皇后両陛下に献上された。内容は9月中旬に公表される。大正天皇実録は一部が黒塗りされて公開されたが、今回は黒塗りはないという。」今月21日(26.8)の新聞記事です。計61冊(1冊は目次・凡例)で、分量は「明治天皇紀」の1・5倍にあたる約1万2千ページだとあります。
柏市の図書館に昭和天皇の歌集を掲載した本『歌くらべ明治天皇と昭和天皇』『昭和天皇の和歌』『昭和天皇の〈文学〉』『天皇の短歌は何を語るのか』があります。
6年ほど前であったか、『昭和天皇の和歌』『昭和天皇の〈文学〉』を借りてきて読みました。
『昭和天皇の〈文学〉』には、仏教関連の歌が2首掲載されてみました。
一首は、昭和天皇が昭和63年闘病生活の中で、歌った歌だとされています。
「夏たけて堀のはちすの花みつつ仏のをしへおもふ朝かな」
(ご指摘を受け、語句の違いを訂正 15.7.27)
もう一首は、拙著『光 風のごとく』に掲載しています。(以下転載)
みほとけの教えまもりてすくすくと生ひ育つべき子らにさちあれ
[昭和天皇]『昭和天皇の<文学>』(風濤社刊)より
[一九〇一~一九八九]第一二四代天皇。在位一九二六~八九。第二次大戦後、神格化を否定する「人間宣言」を発表。
「佐賀県因通寺洗心寮」と題された歌である。昭和天皇は外地で両親を失った子どもたちをお世話する佐賀県のあるお寺をご訪問になったという。その折、母と父の位牌を胸にして陛下を迎えた小学校四年生の少女がいた。陛下の「お寂しい」とのお尋ねに対して、少女は少し笑みを浮かべ、「いいえ、寂しいことはありません。私はほとけの子どもです。父も母もほとけの国、阿弥陀如来のお浄土へ参っております。私もお浄土へ参ったとき、その父とも母とも会うことができます。父に会いたいとき、母に会いたいとき、私は南無阿弥陀仏とみほとけの名をとなえます。するときっと父も母もお浄土から話しかけておってくれると聞きました。私はほとけの子どもです、寂しいことはありません」と答えたという。標記の歌は、巡幸から帰られて詠まれた歌だそうだ。(以上)
他の2冊も借りたいと思い、リクエストしました。仏教関連の記述がありましたら紹介します。
柏市の図書館に昭和天皇の歌集を掲載した本『歌くらべ明治天皇と昭和天皇』『昭和天皇の和歌』『昭和天皇の〈文学〉』『天皇の短歌は何を語るのか』があります。
6年ほど前であったか、『昭和天皇の和歌』『昭和天皇の〈文学〉』を借りてきて読みました。
『昭和天皇の〈文学〉』には、仏教関連の歌が2首掲載されてみました。
一首は、昭和天皇が昭和63年闘病生活の中で、歌った歌だとされています。
「夏たけて堀のはちすの花みつつ仏のをしへおもふ朝かな」
(ご指摘を受け、語句の違いを訂正 15.7.27)
もう一首は、拙著『光 風のごとく』に掲載しています。(以下転載)
みほとけの教えまもりてすくすくと生ひ育つべき子らにさちあれ
[昭和天皇]『昭和天皇の<文学>』(風濤社刊)より
[一九〇一~一九八九]第一二四代天皇。在位一九二六~八九。第二次大戦後、神格化を否定する「人間宣言」を発表。
「佐賀県因通寺洗心寮」と題された歌である。昭和天皇は外地で両親を失った子どもたちをお世話する佐賀県のあるお寺をご訪問になったという。その折、母と父の位牌を胸にして陛下を迎えた小学校四年生の少女がいた。陛下の「お寂しい」とのお尋ねに対して、少女は少し笑みを浮かべ、「いいえ、寂しいことはありません。私はほとけの子どもです。父も母もほとけの国、阿弥陀如来のお浄土へ参っております。私もお浄土へ参ったとき、その父とも母とも会うことができます。父に会いたいとき、母に会いたいとき、私は南無阿弥陀仏とみほとけの名をとなえます。するときっと父も母もお浄土から話しかけておってくれると聞きました。私はほとけの子どもです、寂しいことはありません」と答えたという。標記の歌は、巡幸から帰られて詠まれた歌だそうだ。(以上)
他の2冊も借りたいと思い、リクエストしました。仏教関連の記述がありましたら紹介します。
ここにたどり着きました
たいへん興味深く思いましたので、
『昭和天皇の<文学>』を読んでみました
本では
夏たけて堀のはちすの花みつつ仏のをしへおもふ朝かな
となっていました