仏教では、私の行為を“有漏”の行であると説きます。しっかりと決心しても漏れて変わってしまうのが私の心だというのです。仏さまは“無漏”です。不変です。仏教はこの無漏の智慧を拠り処として生きよと説いています。
2016.4.16日のブログに次のようなことを書いています。
今月は(株)ミツトヨの宇都宮、呉、溝の口本社の3箇所で、創業者恵範忌の出向しました。三か所で、メートルの話をしたので、しっかり「一メートルは光が真空中を一秒間に進む299792458分の一」ということが記憶されました。ひと月も経てば忘れることでしょう。
(以下省略)
(株)ミツトヨはマイクロメータ―の会社です。宇都宮工場で講話が終わってお茶を飲んでいると、工場長が一メートルの根拠の話となり「私たちは恵まれています。一メートルの単位がどこで測っても一メートルは一メートルで不変です。これが重さとなると地球には重力があるので、計る場所によって重さが違ってきます」とのことでした。
今朝、布団の中で、ふとそのことを思い出して、ネットで「赤道直下と北極点の重力の相違」を検索してみました。
やっぱり疑問を持つ人がいるらしく次のようにありました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314101653?__ysp=6LWk6YGT55u05LiL44Go5YyX5qW154K544Gu6YeN5Yqb44Gu55u46YGV
wikiで「重力」をひくと
「赤道上では 9.7799 m/s2と最も小さくなり、北極、南極の極地では 9.83 m/s2と最も大きくなる。」そうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%8A%9B
なので赤道上での体重を1とすれば
極地での体重は9.83/9.7799≒1.005
つまり0.5%程度増える。
仮に赤道上で70kgの人は、
極地に行けば体重が350g増える(以上)
だから物の重さは、計る場所によって相違するということです。物の重さを計る場合、重力を加味していない重量計は、物の重さを正確に測る拠り処とはならないということです。どこでも、だれにでも、どのような状態にあっての通用するより所、それが無漏の智慧ということなのでしょう。
2016.4.16日のブログに次のようなことを書いています。
今月は(株)ミツトヨの宇都宮、呉、溝の口本社の3箇所で、創業者恵範忌の出向しました。三か所で、メートルの話をしたので、しっかり「一メートルは光が真空中を一秒間に進む299792458分の一」ということが記憶されました。ひと月も経てば忘れることでしょう。
(以下省略)
(株)ミツトヨはマイクロメータ―の会社です。宇都宮工場で講話が終わってお茶を飲んでいると、工場長が一メートルの根拠の話となり「私たちは恵まれています。一メートルの単位がどこで測っても一メートルは一メートルで不変です。これが重さとなると地球には重力があるので、計る場所によって重さが違ってきます」とのことでした。
今朝、布団の中で、ふとそのことを思い出して、ネットで「赤道直下と北極点の重力の相違」を検索してみました。
やっぱり疑問を持つ人がいるらしく次のようにありました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314101653?__ysp=6LWk6YGT55u05LiL44Go5YyX5qW154K544Gu6YeN5Yqb44Gu55u46YGV
wikiで「重力」をひくと
「赤道上では 9.7799 m/s2と最も小さくなり、北極、南極の極地では 9.83 m/s2と最も大きくなる。」そうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%8A%9B
なので赤道上での体重を1とすれば
極地での体重は9.83/9.7799≒1.005
つまり0.5%程度増える。
仮に赤道上で70kgの人は、
極地に行けば体重が350g増える(以上)
だから物の重さは、計る場所によって相違するということです。物の重さを計る場合、重力を加味していない重量計は、物の重さを正確に測る拠り処とはならないということです。どこでも、だれにでも、どのような状態にあっての通用するより所、それが無漏の智慧ということなのでしょう。
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