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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

鎮魂とは何か

2011年08月10日 | 現代の病理
四国の阿波踊りは、東日本大震災で亡くなった方々の鎮魂を掲げて、昨日(23.8.9)から始まったという。

ラジオを聴きながら、鎮魂とは何かと思いました。一般的な感触では、広島の原爆死没者慰霊碑の石室前面にある「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」 という、死者の思いを受け止めて自分が強くなるという方向に語られることが多い。

浄土真宗的な受け止め方としては、死を受け止めて自分が強くなるのではなく、死や死者への働ききかけは無力であるという自分の無力さが明らかになるという方向で語られます。

自分の無力さが明らかになるとは、その無力な私を支え、励まし包んでいる大きな力や働きが明らかになって行くということです。

そんなことを想い、ウオーキングから帰院して朝の勤行。その朝のお勤めご和讃(正信偈)に

娑婆永劫の苦をすてて
 浄土無為を期すること
 本師釈迦のちからなり
 長時に慈恩を報ずべし

のご和讃がありました。「生死の苦海ほとりなし」のご和讃を含めて味わうと、自分の抱えている苦しみは、自分では未来永劫にわたって解決の糸口さえ見つけることができないほど、限りなく深く大きいとのことです。

自己の行動原理のより処を、その苦しみの一表現である喜怒哀楽に置かないということでもあります。

朝刊(23.8.10産経)に、私の住む柏市でおきた事件が報道されていました。“逮捕の父「長男より、ネコの方がかわいい」”5月、2歳10カ月の長男に十分な食事を与えずに餓死させたとして、県警柏署に保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された父親で無職、小坂雄造容疑者(39)=同市豊四季=が「(長男よりも)ネコの方がかわいいと思っていた」などと供述していることが9日、捜査関係者への取材で分かった。(以上)

上記の事件は、一個人の問題にとどまらず、自分の喜怒哀楽がすべてであるといった価値観が敷衍しているように思われます。
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