『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理 上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』(2023/12/20・ジョセフ。ヘンリック著),今西康子翻訳)からの転載です。
ウォーミングアップのためにまず、紀元後第二千年紀にヨーロッパで確立された公式制度に多大な影響を及ぼした可能性の高い、WEIKD心理の四つの側面について考えよう。
①分析的思考 密接な社会的つながりを欠いた個々人からなる世界をうまく渡っていくために、人々はしだいに、関係性を重視して包括的に考えるのではなく、もっと分析的に世界を捉えるようになっていった。分析的にものを考える人は、個人と個人、あるいは事例と事例などの関連性に焦点を当てるのではなく、個人、事例、状況、あるいは物体をそれぞれ別個のカテゴリー(たいてい独特の性質をもっている)に割り振ることによって、物事を説明しようとする。したがって、個人の行動や物体の振る舞いは、その性質やカテゴリー分類(たとえば「彼は外向的だ」「それは電子である」など)によって分析的に説明される。分析的傾向がさらに強まると、矛盾が生じた場合に、より上位または下位のカテゴリーや相違点を見つけ出して、それを「解決」しようとする。それに対し、包括的にものを考える人は、矛盾を見て取ることも、それに取り組むこともない。ヨーロッパではしだいに、分析的アプローチのほうが包括的アプローチよりも優れていると考えられるようになっていった。つまり、分析的アプローチこそが正しいものとして認識され、高く評価されるようになったのである。
② 内的属性への帰属 社会生活の基礎をなすものが、人間関係から個々人へとシフトするにつれてしだいに、個人の内的属性との関連性が重視されるようになっていった。こうした内的属性には、傾向性、選好、パーソナリティのような安定した特質に加え、信念や意図のような心的状態も含まれた。やがて、法律家や神学者たちは、個人には「権利」が備わっているとまで考えるようになった。
③ 独立志向と非同調 自分の独自性を倍うとする人々に駆られた人々は、由緒ある伝統や先人の知恵を尊び、賻識の年長者を敬う気持ちをしだいに失っていった。どんな地域に暮らす人類も、仲間に合わせ、年長者を敬い、長年変わらぬ伝統に従う傾向があるが、それは十分に進化上の理由があってのことなのだ。ところが、親族の絆が弱まり、非人格的市場に支配されるようになった社会のインセンティブが、こうした傾向を押し止めて、個人主義、独立志向、非同調、さらには自信過剰な自己宣伝の広がりを促しか。
④ 非人格的向社会性 日々の暮らしがしだいに、非親族や見ず知らずの他人と付き合うための非人格的規範に統制されるようになるにつれて、人々は、公平な規則や非人格的な法律を好むようになっていった。それは、社会関係、部族意識、社会階級といったものとは無関係の集団や共同体(都市、ギルド、修道院など)に属する人々に適用される規則や法律だった。
もちろん、こうした姿を見せ始めたばかりのルールを、人間の権利や平等性牛公平性を謳う、現代世界の本格的にリベラルな諸原則と混同してはならないことは言うまでもない。
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