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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

新たな欲望

2012年02月18日 | 都市開教
午前4時からのラジオ放送「深夜便」、冬場は、床の中で聴きます。といっても、寝ながらなので、ところどころ耳に入るといった方が正確です。

昨日(24.2.17)は、「素顔のブータンに魅せられた私」と題して写真家である石川直樹さんのインタビュー放送でした。と言ってもこれまた、番組や出演者には大変失礼なのですが、インタビューの3.4か所だけ、記憶にあるという聴き方でした。

石川直樹さんとは、どんな方だろうとネットでみると「22歳で北極点から南極点を人力で踏破、23歳で七大陸の最高峰に登頂するなど、石川さんは世界各地を旅し続けてきた。その過程で知ったのは、自分の身ひとつで生きる知恵。つまり身体知の大切さだったという」とあります。


放送の中で記憶に残っている言葉が「ブータンは幸せのハードルがとても低い。東京は、欲望が極度に肥大化した場所です。自由であるがゆえに、欲望はどんどん大きくなる。それをかなえていけなければ、自分は不幸だと思い込む。ブータンは選択できる自由の度合いは低く、人の耳目に入って来る情報も少ないので、ちょっとしたことで幸せを感じることができます。」(意趣)で、“東京は、欲望が極度に肥大化した場所”という言葉が、ブータンの良さを印象的に際立たせていました。

番組を聴いて思ったことは、社会の中において欲望には2種類あるということです。2種類とは、物質的なものへの欲と、精神的な世界への欲です。

以前(22.1.6)、「オンリー・ワンへの強迫観念」を紹介したことがあります。『〝個性〟を煽らされる子どもたち』(土井隆義著)のなかにある言葉です。 以下、上記図書よりの転載です。

 二〇〇二年に『世界に一つだけの花』という歌がヒットしました。
「そのままの存在でいいんだよ」という癒やしの歌は、「特別なオンリー・ワン」を見いだせない自分には、価値がないという煽りでもあります。物質的な欲望がほぼ飽和状態に達した今は、それに代わって〝自分らしさ〟の発現へとその眼差しを変え始め、個性の探求という新たな欲望に向かっています。 (以上)

欲望は物質的なものが飽和状態になると精神性に向かう傾向があるということでしょう。さてブータンの話です。ラジオの話を聴いて思ったことは、欲望が極度に肥大化した社会とその対極にあるブータン、そのブータンを理想化して、その世界も求めるとなると、土井隆義さんが説く「新たな欲望に向かう」ことになるということです。ブータンは悪く言っているのではありません。ブータンの存在は、欲望が肥大化した東京、その東京に象徴される闇が明らかになる意味でも、大切な存在です。

しかしブータンを理想化してしまうと、そこに大きな落とし穴があるということです。「新たな欲望」という落とし穴です。

多くの新宗教や、かねて流行した自己啓発セミナーなどの方向性は「新たな欲望をもとめる」という範疇になるのだと思われます。

思ったことの結論を言えば、都市化した社会の中で、寺院の役割は「新たな欲望を提供する場所」であってなならないということです。寺院の存在そのものが、癒しでなければならないのでしょう。
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