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石見の国の石橋寿閑

2021年05月11日 | 浄土真宗とは?

法話メモ帳より 

 

妙好人の話

             石見の国の石橋寿閑

 寛延年間(1748-51)に石見の国の邑智郡高見村に石橋寿閑という医者と,柳瀬村に錦織玄周という医者がいた。玄周が高見村に行った時,寿閑の家に泊まった。玄周は熱心な真宗の信者だったので,阿弥陀さんにお参りしようと思ったが、仏間がなかった。どうしてかと尋ねると、寿閑は嘲るように、「地獄極楽などいうのは坊主銭取りのためにいうごとで、学のある医術を行なうものが取りあうものではない」と言った。

玄周は言う言葉もなく寝室にはいり、「こんな縁のない人もいるのに、私は何と幸せなことよ」と考え、静かに念仏して休んだ。

 その後三年経って玄周は高見村に患者の診察にやってきた。寿閑の家に泊まるのは迷惑を掛けるからと思い、ただ挨拶だけと訪れた。寿閑が出てきて是非にと内に招き入れ、そのまま大きな仏壇の前に案内した。寿閑が扉を開くと、中には素晴らしいご本尊が掛かっていた。

 玄周はびっくりして、一体どうしたのかと尋ねた。寿閑は涙を流して次のように話した。「私の可愛がっていた娘が去年六歳で亡なりました。臨終に、「死んだらどこに行くの」と聞くので、胸がつまり、ただ娘の気持ちを休めるために、『極楽という素晴らしいところに行くのよ』と言いました。すると娘は、『どうすればそこに行けるの』と聞くものですから、どう答えでよいか分からないまま、『手を合わせて南無阿弥陀仏と言うと極楽に行けるのよ』と言ってしまいました。すると『ああ有り難いな』と言って、娘は一生懸命に念仏して命が終わりました。これが縁で私も自分の後生のためにと思い、お寺参りをするようになりました。だんだんと法を聞かせてもらううちに、雑行自力の誤りにも気がつき、いまは貴方と同じ信心の喜びを味わうようになりました。そこで本山からご本尊を戴くことになったのです。先年のご無礼をどうぞお許し下さい。」 こう言って寿閑は涙ながらに深い懺悔の気持ちを述べた。それからは玄周と寿閑は生涯の法友として固く結ばれることになった。(以上)

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