報道番組(27.1.13)をつけると安部首相が施政演説(27.2.12)「努力が必ず報われる社会を…」という場面が映っていました。
首相の言葉と、前日、図書館で借りてきて読んだ『こどもに「ホームレス」をどう伝えるかーいじめ・襲撃をなくすたまに』(ホームレス問題授業づくり全国ネット編)の一節がダブりました。以下、まずは本より転載。
なぜホームレス問題だけが、いままで教育現場でタブーであったのか。そこには「あの人たちは、努力して、がんばらなかったから」という、自業自得論、自己責任論が根強くありました。
わたしは、この「カンバリズム」と「自己責任」論が、日本の子どもたち若者たちの自殺問題に直結している、と感じています。期待どおりの進路にすすめない自分、就職できない自分を、それほど責めて抹殺するほどの意識。いじめられても死ぬほど苦しくても学校に通いつづけ、生きるためなら逃げてめてもいい、不登校になってもいい。と思えない。「やらなくち、がんばらなくっちゃ、かたなくっちゃ、いじめてないか、自分で自分を」。これは10歳の男の子が、書いた詩の言葉です。
まさに、そのなかで、「がんばらなかった人生の落伍者」の象徴のようにあつかわれてきた「野宿者」の問題、その人たちの権利・人権について真剣に取りあげ教えるということは、努力し、がんばることこそ大事で価値あるものと教えてきた学校社会、日本社会のなかでは、長い長い間、認められることのないタブーだったわけです。(以上)
格差の固定化を防ぐ意味でも、社会システムとしては「努力が必ず報われる社会」であるべきです。逆に「努力が必ず報われる社会」という考え方そのものは、社会の落伍者と思われる人を「努力しなかった人」という烙印となって行くという矛盾を持っています。
問題は「努力したら報われる」という社会システムと共に「努力しても報われないこともある」という事実を許容できるおおらかの精神風土をつくっていくことではないでしょうか。
首相の言葉と、前日、図書館で借りてきて読んだ『こどもに「ホームレス」をどう伝えるかーいじめ・襲撃をなくすたまに』(ホームレス問題授業づくり全国ネット編)の一節がダブりました。以下、まずは本より転載。
なぜホームレス問題だけが、いままで教育現場でタブーであったのか。そこには「あの人たちは、努力して、がんばらなかったから」という、自業自得論、自己責任論が根強くありました。
わたしは、この「カンバリズム」と「自己責任」論が、日本の子どもたち若者たちの自殺問題に直結している、と感じています。期待どおりの進路にすすめない自分、就職できない自分を、それほど責めて抹殺するほどの意識。いじめられても死ぬほど苦しくても学校に通いつづけ、生きるためなら逃げてめてもいい、不登校になってもいい。と思えない。「やらなくち、がんばらなくっちゃ、かたなくっちゃ、いじめてないか、自分で自分を」。これは10歳の男の子が、書いた詩の言葉です。
まさに、そのなかで、「がんばらなかった人生の落伍者」の象徴のようにあつかわれてきた「野宿者」の問題、その人たちの権利・人権について真剣に取りあげ教えるということは、努力し、がんばることこそ大事で価値あるものと教えてきた学校社会、日本社会のなかでは、長い長い間、認められることのないタブーだったわけです。(以上)
格差の固定化を防ぐ意味でも、社会システムとしては「努力が必ず報われる社会」であるべきです。逆に「努力が必ず報われる社会」という考え方そのものは、社会の落伍者と思われる人を「努力しなかった人」という烙印となって行くという矛盾を持っています。
問題は「努力したら報われる」という社会システムと共に「努力しても報われないこともある」という事実を許容できるおおらかの精神風土をつくっていくことではないでしょうか。
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