礼儀作法は、時とともに移りかわります。わたし自身、少し「?」を感じらがら行動することがあります。その1つが、玄関からの上がりです。
『文化としてのマナー』 (岩波人文書セレクション・2014/1/25 熊倉 功夫著) に、“「国民礼法」の成立”をいう章があり、戦前、『日常礼法の心得』実業之日本社(1941年)や『新国民礼法』目黒書店(1942年)などを執筆された、徳川 義親(とくがわ よしちか・尾張徳川家第19代当主で生物学者としては、昭和天皇の兄弟弟子にあたる)の言葉を引用して、作法の移り変わりを書いています。
まずは徳川 義親がいうところの戦前の常識です。
履物は表向きの客として行った場合には、キチンと揃へて脱ぎ、そのまま上ればよい。すなわち家の中の方へ向いて脱いだままでよろしい。それを直すのは主人の側の礼である。普通の場合もそれでよいのであるが、家人になるべく世話をかけないといふ意味で、ことに婦人などは、上ってから振り返って直すのはよいことである。よく玄関で後向きになってすなわち家の中へ尻を向けて脱ぐ人があるが、あれは一種の便法である。後向きに脱いで、足先でチョッチョッと靴を揃へるなどといふのは甚だ失礼である。直すならば、上がってから振り返って手で直すのが本当である。(以上)
それに対して著者のコメントが続きます。
今、誰でもか[足先でチョツチョツと靴を揃へる]けれど、いわれてみれば、実にみっともない。失礼といって誰に対して失礼というわけではないが、確かに見苦しい。と思って私はあらためた。ただ、戦前の中流家庭なら客の靴を直してくれる女中や書生がどこの家にもいただろうが、今日では主人がぬっと玄関に登場する時代だから、自分で直すほかはない。(以上)
私も、草履は後ろ向きで脱いではならないということを知っていますが、徳川氏が言う「それを直すのは主人の側の礼である」という前提となる礼儀が失われているのですから、臨機応変でやっています。ただ寺院へ布教行った折など、下足を整える人があれば、そのまま上がることにしています。
もう一つ、言葉の作法ですが、これなどは「昔はそうだったんだ」というところです。(続く)
『文化としてのマナー』 (岩波人文書セレクション・2014/1/25 熊倉 功夫著) に、“「国民礼法」の成立”をいう章があり、戦前、『日常礼法の心得』実業之日本社(1941年)や『新国民礼法』目黒書店(1942年)などを執筆された、徳川 義親(とくがわ よしちか・尾張徳川家第19代当主で生物学者としては、昭和天皇の兄弟弟子にあたる)の言葉を引用して、作法の移り変わりを書いています。
まずは徳川 義親がいうところの戦前の常識です。
履物は表向きの客として行った場合には、キチンと揃へて脱ぎ、そのまま上ればよい。すなわち家の中の方へ向いて脱いだままでよろしい。それを直すのは主人の側の礼である。普通の場合もそれでよいのであるが、家人になるべく世話をかけないといふ意味で、ことに婦人などは、上ってから振り返って直すのはよいことである。よく玄関で後向きになってすなわち家の中へ尻を向けて脱ぐ人があるが、あれは一種の便法である。後向きに脱いで、足先でチョッチョッと靴を揃へるなどといふのは甚だ失礼である。直すならば、上がってから振り返って手で直すのが本当である。(以上)
それに対して著者のコメントが続きます。
今、誰でもか[足先でチョツチョツと靴を揃へる]けれど、いわれてみれば、実にみっともない。失礼といって誰に対して失礼というわけではないが、確かに見苦しい。と思って私はあらためた。ただ、戦前の中流家庭なら客の靴を直してくれる女中や書生がどこの家にもいただろうが、今日では主人がぬっと玄関に登場する時代だから、自分で直すほかはない。(以上)
私も、草履は後ろ向きで脱いではならないということを知っていますが、徳川氏が言う「それを直すのは主人の側の礼である」という前提となる礼儀が失われているのですから、臨機応変でやっています。ただ寺院へ布教行った折など、下足を整える人があれば、そのまま上がることにしています。
もう一つ、言葉の作法ですが、これなどは「昔はそうだったんだ」というところです。(続く)
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