『墓の建立と継承 「家」の解体と祭祀の永続性をめぐる社会学』(辻井敦大著)からの転載です。
経済構造の変動と継承を前提としない葬送・墓制の社会的広がりでみてきたように、バブル景気の崩壊以降には、上地価格が下落すると同時に墓の生前建立の霊要は大きく減少した。すなわち、バブル景気の崩壊にともない「要不急のものは求めないという風潮」から人々は生前での墓の購入をひかえるようになったのである。この状況に加えて、墓石の加工・輸入体制の変化から墓石小売業に異業種が参入し、墓石の値下げ競争が起こった。これらの点から、石材店は墓石の大量生産体制に基づき、都市郊外に新たに大規模な墓地を開発し、墓の生前建立を促進することが困難となったのである。
しかし、その経済構造の変化のなか、石材店はただ衰退するのではなく、新たな墓の生前建立の需要を喚起させようとする。そのなかで、石材店は女性に焦点を当て、都市近郊の住宅地の近隣で墓地を開発し、ガーデニング墓地をはじめとした個性的な墓・墓地の「商品化」を試みたのである。
それに加えて、石材店や墓地開発のデベロッパーは、一九八〇年代から都心部の寺院墓地の再開発において重要性を認識ていた永代供養墓に目をつけた。そして、墓の継承者がいない/期待できない人々が増加していくことを見越して、一九九〇年代から永代供養墓の「商品化」を進めたのである。また、一九九一年に日本で散骨が実施されたことで、葬儀社は本業である葬祭業の付帯事業として散骨を事業化した。そのなかで、散骨の需要が増してきたため、独立した事業としての可能性が検討され、二〇〇〇年代から観光業などと結びつけて「商品化」が進められた。こうして一九九〇年代以降、石材店をけじめとした民間企業は、それまで蓄積した広告宣伝のノウハウを生かして個性的な墓・墓地の建立を促すとともに、「菓地に墓石を建てる」ことに代わる選択肢の「商品化」を試みたのである。
これらの石材店をけじめとした民間企業の動きはバブル景気の崩壊にともなう墓の生前建立の需要の減少、墓石の値下げ競争に対する新たな需要の掘り起こしとして展開したものであった。すなわち、生前に「墓地に墓石を建てる」需要が減少したことに対し、石材店が新たなマーケティング戦略を設定した結果、継承を前提としない葬送・墓制を「商品化」したのであった。そして、こうした民間企業による「商品化」の実践は、継承を前提としない葬送・墓制を社会的に広げていったのである。このように、一九九〇年代以降に進んだ葬送・墓制の多様化を新たな「商品」の展開としてみていくと、生前に「墓地に墓石を建てる」という選択肢が縮減された結果として現れた現象と捉えることができる。それゆえに、個人の墓の選択という点では、従来の墓の生前建立と、継承を前提としない葬送・墓制の選択は、ある種の連続性をもっていた。すなわち、個人の生前に基が選択され、社会的に広がりをみせたという点では、従来の墓の生前建立も継承を前提としない葬送・墓制も大きく変わらないのである。とはいえ、もちろん一九九〇年代以降の石材店のマーケティング戦略は、女性層の需要を対象化するなど家族構造・意識の変化と結びついていた。だが、この動きは決して、戦後囗本において残存していた「家」が解体した結果と論じ切ることはできないのである。すなわち、継承を前提としない葬送・墓制は、戦後に残存していた「家」が解体したからではなく、バブル景気の崩壊という経済構造の変化や海外での墓石加工体制の確立と関わった上で「商品化」され、社会的に広がったのである。
このように継承を前提としない葬送・墓制は、慕の継承者がいない/期待できない人々が増加するなかで、石材店をけじめとした民間企業によって「商品化」され、社会的に広がった。しかしながら、先行研究が指摘してきたように葬送の自由をすすめる会は、ある種の理念のもとで散骨を実施し、それを社会的に広げようとしていた。その理念とは墓に表象される「家」の価値とは毘(なる死後の自己決定を重視する「市民」としての価値を追求したものである。その理念から、会としては、墓を作らず、遺骨を撒いた場所を訪れないなど従来の葬送儀礼を「行わない」ことを追求した。すなわち、散骨の推進運動では、「家」に内在していた先祖祭祀、すなわち〈祭祀の永続性〉の放棄を理念として追及したのである。一方で、先行研究では同じく「家」の解体・変容と結びつけて考えられてきた、継承を前提としない墓制の一つである永代供養墓は、その名の通り「永代」に供養されることに価値を置いている。この点からうかがえるように、永代供養墓では死後の〈祭祀の永続性〉が保証されることが重視されている。すなわち、散骨と永代供養墓の社会的広がりは、先行研究では「脱継承」とまとめて理解されているが、同じものとしてその展開を分析することは難しいのである。
こうした永代供養墓のもつ〈祭祀の永続性〉という要素を考えるならば、一九九〇年代以降に増加した理由には市場の論理だけでは掴むことができない意味が存在するはずである。すなわち、永代供養墓が安価であり、無縁墓の整理という墓地経営上のメリットがあるだけで建立が進められたわけではないと考えられるのである。それならば、先祖祭祀の変容、すなわち〈祭祀の永続性〉の現代的位相を分析するという本書の立場からは、永代供養墓の建立が進んだ社会的な意味を検討する必要がある。そこで、続く第六章では、永代供養墓の建立が進む理由を捉える上で、永代供養墓の建立に大きく関わる社会的アクターである、仏教寺院による先祖祭祀への参与の実践に注目する。その点から、人口減少地域と都市部で永代供養墓の建立を進める仏教寺院が、いかなる意図のもとで永代供養墓の建立を勧めているかを分析する。そして、墓の継承者がいない/期待できない人々が増加するなかで、仏教寺院側かいかなる論理から永代供養墓の建立を進めたのかを描き出す。すなわち、民間企業の実践から永代供養墓の「商品化」が進められるなかで、先祖祭祀に参にナし、永代供養墓に別の意味づけを付与しようとする仏教寺院の実践を明らかにするのである。(つづく)
経済構造の変動と継承を前提としない葬送・墓制の社会的広がりでみてきたように、バブル景気の崩壊以降には、上地価格が下落すると同時に墓の生前建立の霊要は大きく減少した。すなわち、バブル景気の崩壊にともない「要不急のものは求めないという風潮」から人々は生前での墓の購入をひかえるようになったのである。この状況に加えて、墓石の加工・輸入体制の変化から墓石小売業に異業種が参入し、墓石の値下げ競争が起こった。これらの点から、石材店は墓石の大量生産体制に基づき、都市郊外に新たに大規模な墓地を開発し、墓の生前建立を促進することが困難となったのである。
しかし、その経済構造の変化のなか、石材店はただ衰退するのではなく、新たな墓の生前建立の需要を喚起させようとする。そのなかで、石材店は女性に焦点を当て、都市近郊の住宅地の近隣で墓地を開発し、ガーデニング墓地をはじめとした個性的な墓・墓地の「商品化」を試みたのである。
それに加えて、石材店や墓地開発のデベロッパーは、一九八〇年代から都心部の寺院墓地の再開発において重要性を認識ていた永代供養墓に目をつけた。そして、墓の継承者がいない/期待できない人々が増加していくことを見越して、一九九〇年代から永代供養墓の「商品化」を進めたのである。また、一九九一年に日本で散骨が実施されたことで、葬儀社は本業である葬祭業の付帯事業として散骨を事業化した。そのなかで、散骨の需要が増してきたため、独立した事業としての可能性が検討され、二〇〇〇年代から観光業などと結びつけて「商品化」が進められた。こうして一九九〇年代以降、石材店をけじめとした民間企業は、それまで蓄積した広告宣伝のノウハウを生かして個性的な墓・墓地の建立を促すとともに、「菓地に墓石を建てる」ことに代わる選択肢の「商品化」を試みたのである。
これらの石材店をけじめとした民間企業の動きはバブル景気の崩壊にともなう墓の生前建立の需要の減少、墓石の値下げ競争に対する新たな需要の掘り起こしとして展開したものであった。すなわち、生前に「墓地に墓石を建てる」需要が減少したことに対し、石材店が新たなマーケティング戦略を設定した結果、継承を前提としない葬送・墓制を「商品化」したのであった。そして、こうした民間企業による「商品化」の実践は、継承を前提としない葬送・墓制を社会的に広げていったのである。このように、一九九〇年代以降に進んだ葬送・墓制の多様化を新たな「商品」の展開としてみていくと、生前に「墓地に墓石を建てる」という選択肢が縮減された結果として現れた現象と捉えることができる。それゆえに、個人の墓の選択という点では、従来の墓の生前建立と、継承を前提としない葬送・墓制の選択は、ある種の連続性をもっていた。すなわち、個人の生前に基が選択され、社会的に広がりをみせたという点では、従来の墓の生前建立も継承を前提としない葬送・墓制も大きく変わらないのである。とはいえ、もちろん一九九〇年代以降の石材店のマーケティング戦略は、女性層の需要を対象化するなど家族構造・意識の変化と結びついていた。だが、この動きは決して、戦後囗本において残存していた「家」が解体した結果と論じ切ることはできないのである。すなわち、継承を前提としない葬送・墓制は、戦後に残存していた「家」が解体したからではなく、バブル景気の崩壊という経済構造の変化や海外での墓石加工体制の確立と関わった上で「商品化」され、社会的に広がったのである。
このように継承を前提としない葬送・墓制は、慕の継承者がいない/期待できない人々が増加するなかで、石材店をけじめとした民間企業によって「商品化」され、社会的に広がった。しかしながら、先行研究が指摘してきたように葬送の自由をすすめる会は、ある種の理念のもとで散骨を実施し、それを社会的に広げようとしていた。その理念とは墓に表象される「家」の価値とは毘(なる死後の自己決定を重視する「市民」としての価値を追求したものである。その理念から、会としては、墓を作らず、遺骨を撒いた場所を訪れないなど従来の葬送儀礼を「行わない」ことを追求した。すなわち、散骨の推進運動では、「家」に内在していた先祖祭祀、すなわち〈祭祀の永続性〉の放棄を理念として追及したのである。一方で、先行研究では同じく「家」の解体・変容と結びつけて考えられてきた、継承を前提としない墓制の一つである永代供養墓は、その名の通り「永代」に供養されることに価値を置いている。この点からうかがえるように、永代供養墓では死後の〈祭祀の永続性〉が保証されることが重視されている。すなわち、散骨と永代供養墓の社会的広がりは、先行研究では「脱継承」とまとめて理解されているが、同じものとしてその展開を分析することは難しいのである。
こうした永代供養墓のもつ〈祭祀の永続性〉という要素を考えるならば、一九九〇年代以降に増加した理由には市場の論理だけでは掴むことができない意味が存在するはずである。すなわち、永代供養墓が安価であり、無縁墓の整理という墓地経営上のメリットがあるだけで建立が進められたわけではないと考えられるのである。それならば、先祖祭祀の変容、すなわち〈祭祀の永続性〉の現代的位相を分析するという本書の立場からは、永代供養墓の建立が進んだ社会的な意味を検討する必要がある。そこで、続く第六章では、永代供養墓の建立が進む理由を捉える上で、永代供養墓の建立に大きく関わる社会的アクターである、仏教寺院による先祖祭祀への参与の実践に注目する。その点から、人口減少地域と都市部で永代供養墓の建立を進める仏教寺院が、いかなる意図のもとで永代供養墓の建立を勧めているかを分析する。そして、墓の継承者がいない/期待できない人々が増加するなかで、仏教寺院側かいかなる論理から永代供養墓の建立を進めたのかを描き出す。すなわち、民間企業の実践から永代供養墓の「商品化」が進められるなかで、先祖祭祀に参にナし、永代供養墓に別の意味づけを付与しようとする仏教寺院の実践を明らかにするのである。(つづく)









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