仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

極楽の余り風

2020年07月08日 | 日記
暑き折りに涼風が吹いてくるとき、これを「極楽の余り風」と言います。極楽浄土から余った風がすこしだけ地上に吹いて、心を和せるといった趣です。

親鸞聖人が東国の「枕石寺」で、一夜の宿を頼まれたとき断られ、 雪中で休まれた親鸞が詠まれた「寒くとも たもとに入れよ 西の風 弥陀の 国より 吹くと思えば」という歌もあります。

平安、鎌倉時代の人は、吹く風に対して、現代とは違った思いを持っていたようです。

図書館から借りてきた「大岡信 『折々のうた』選 短歌(一)」 (2020/2/22・水原 紫苑編集)から風にまつわるうたを二題。


 東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
                                菅原道真

 『拾遺集』巻十六雑春。藤原時平に謀られて道真が失脚し、九州大宰府に流された話はあまりに有名だが、彼が梅を熱愛したこともよく知られている。『大鏡』時平伝に語られる道真悲話とともにおなじみになっている歌。「おこす」は「遣す」で、送ってよこす。春の東風が吹いたら、忘れずに咲いてお前の芳香と都の便りを遥か西まで送ってくれ、と梅によびかげる。太宰府天満宮名物の「飛び梅」伝説心、この歌から生まれたもの。


 秋来(こ)ぬと目にはさやかに見えねど心風のおとにぞおどろかれぬる
                                藤原敏行
 
『古今集』秋歌巻頭の立秋の歌。「おどろく」はにわかに気づく。まだ目にはありありと見えないが、ああもう風の音が秋をつげている。目に見えるものより先に、「風」という「気配」によって秋の到来を知るという発見が、この有名な歌のかなめである。つまり「時」の移り行きを目ではなく耳で聴き取る行き方で、より内面的な感じ方である。これが後世の美学にも影響を与えたのだった。(以上)

秋の風とは、お盆の頃に吹く東風 涼風 のことでしょう。
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