アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

稲武の大きな石窯で楽しむ会を開きます。

2016-04-14 14:54:37 | イベント出店情報とそのほかのお知らせ
   昨年末から予告していた、稲武の大きな石窯で楽しむ会の詳細を決めましたので、告知いたします。

   今年度第一回目は、下記の通りの日時と内容で行います。

   *日時 5月29日 日曜日 午前10時~午後3時過ぎ
   *場所 豊田市夏焼町 ハウスポニー(旧稲武町)
   *参加費 3500円
   *定員 10組(先着順)
   *内容 ピザ、大きなカンパーニュ、焼き菓子、スープをつくります。
       昼ご飯はピザとスープ。パンと焼き菓子は持ち帰りです。
       ピザとスープのみ:ひとり分800円で申し込みのおりに追加できます。
   *講師 後藤雅子・村田牧子・奥田清美
   *申し込みと問い合わせ アンティマキ auntie-maki@cb.wakwak.com

    石窯で焼くピザの味は格別。寝かせて置いた生地を、おひとりずつ伸ばしてトッピング。高温であっというまにできあがり。アツアツをほおばります。

    野趣あふれる天然酵母のカンパーニュは、全くこねずに仕込んで発酵。ライ麦と全粒粉がたっぷり入っているので、香ばしくて栄養価もたっぷりです。生地量、ほぼ800g相当。ひとかかえもある大きなパンです。稲武の石窯だと、いちどきに10個以上入れられます。

    焼き菓子は、スコーン、ケーキ、クッキーのうち、どれか一つを焼きます。いずれも、卵、乳製品は不使用。体に負担のない、おいしい焼き菓子を作ります。

    5月のあとは、9月ごろ、そののちは冬になる前に開く予定です。石窯のあるハウスポニーは、城ケ山のふもと、裏には雑木林が続く、気持ちのいい場所にあります。初夏の1日、ぜひお誘いあわせの上、楽しみにおいでください。
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郡上割り箸のお話会に参加しました。

2016-04-14 11:26:37 | アンティマキ風自然的生活
   一昨日、友人が主催した「郡上割り箸を作っている方から、森の話を聞く会」に参加しました。遠く、郡上八幡からお越しくださったのは、株式会社郡上割り箸の小森胤樹さんです。

     最初に見せられたのは、数枚の森の写真。すがすがしく感じる森の写真もあれば、気味悪くて、不快に思える森の写真も。

    上は心地よい森。適度に間伐した人工林です。下の写真は、間伐がなされなかったため、下草がはえず、表土が流れて根っこがむき出しになった木々です。緑がないので、モノクロ写真のよう。気持ちのよい森ではありません。

   むかし、鞍馬山の僧正が谷でこの光景を見たことがあります。薄気味悪くて、まさに天狗が出そうな森だ!と思ったことを思い出しました。

   小森さんのお話は、びっくりの連続。以下、彼の話をごく一部ですが列挙します。
    
      日本の森林面積は国土の68%を占めている。そのうち4割が人工林。昭和40年代の、国の拡大造林の方針のため、これだけ広がった。当時は山に仕事がなく、苗を植えると1本いくらで日当が出たため、大きな収入になった。

      しかし、このすぐあと、外国の木材が大変安い値段で輸入されるようになり、国産材は競争できなくなった。せっかく植えた苗は間伐されず、どんどん成長。その結果、現在の日本の森の体積は、過去2000年の歴史の中でもっとも多くなった。

      石油や電気、石炭などのエネルギーにとってかわられるまで、薪と炭は、人々の生活になくてはならないものだった。東海道五十三次の絵に描かれている松は、たいていほんの数本。これは実際の風景を省略したのではなく、薪炭用の木の伐採が激しかったという証拠。

       現在、日本では、エネルギー源としての薪炭の需要は減ったが、住宅は、木造家屋の建設がいまでもかなりの割合を占めている。ところが、日本は自国の木材をたった30%しか使っていない。森に木があるのに、使っていない。

       世界の木材自給率の筆頭は、森林伐採が極度に進んでいるマレーシア。そのあとに続くのは、カナダやスウェーデンなどの先進国。自国内の需要にこたえたうえで、十分輸出もできている国々だ。日本は、自国の木を放置したまま、7割もの木材を海外に頼っている。おかしなことだ。自国の森の木々に対しての利用率は、わずか0.53%。

        割り箸を作り始めたのは、間伐材を消費して、森にお金をもどし森を元気にするための資金としたいから。「割り箸は使い捨てだからもったいない、環境に悪い」という考えがあるが、国産割り箸と洗い箸の環境への負荷を計算したところ、ほとんどかわらないことがわかった。外食産業で、人が使った箸を洗うためには、大量の水と熱と洗剤が必要。そのことを勘案して計算してみた結果がこれ。国産割り箸の需要を伸ばせば、間伐のためのお金が生まれ、森が元気になる。

        外国で作られた割り箸は、遠くまで運んでくる過程でかびる心配がある。だから、かび防止剤を大量に使う。それが人体に悪影響を及ぼす。外国産の割り箸は100膳100円ちょっと。郡上の割り箸はその4,5倍。高いと思うのだろうが、一膳はわずか4円か5円。その程度を価格に上乗せしても、安全性と自国の森のことを考慮したら高いものとは言えない。

   小森さんは、林業のかたわら、地元の集落で冒険の森を主宰しています。工夫を凝らしたアスレチックの設備がしつらえられているみたいですが、彼の大きな目的は、子供たちに森に親しんでもらうことと。

   昔は薪や柴の調達のため集落のそばには里山がありました。柴刈りやごかき(落ち葉拾い)は、子供たちの仕事でもあったはず。そこでは、遊びも次々に生まれたことと思います。

   さらに、森に人が入ることで、獣たちにストレスを与えるという利点もあります。昔は、里山があったので、獣は森からなかなか出ることができなかった。でもいまは、里のそばにすぐに森が出現したため、獣は里に出やすくなりました。

    小森さんの話は途切れることなく続き、お話会終了後の質疑応答、その後は、参加者たちの持ちよりご飯を食べながらのお話と、ほぼたっぷり3時間以上、実のあるお話をお聞きできました。 

    もちよりご飯には、主催者の友人が仕込んだ味噌と、その場で削った本枯れ節の鰹節で作ったあたたかい味噌汁が提供。どれもおいしく、たのしいひと時となりました。

    ちなみに私が持参したのは、おからと甘酒のケイクサレと、甘酒ケーキ。どちらも卵、乳製品不使用なのですが、いまいち満足できない仕上がりになり、ちょっと残念。さらに改良し、講習会メニューにしたいと思っています。

さて、この郡上割り箸、来週日曜日24日に開催されるあすけ夢里まつりから、アンティマキの出店するイベントにて、わたしのブースのなかで販売します。ひと束100膳が450円。ほぼ実費でおわけいたします。予約注文も承りますので、注文なさりたい方はアンティマキの問い合わせからメイルをください。         
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岩波講座「憲法」1 まえがき

2016-04-07 00:20:09 | 映画とドラマと本と絵画
  先だって、豊田の若いお母さんグループ・グリーンママン主催の憲法カフェに参加しました。若い弁護士さんのお話はわかりやすく、緊急事態条項のあやうさや、個々に至った歴史的経緯など、あれこればらばらだった知識をコンパクトにまとめてもらえたという印象をもちました。

  しらないこともいくつかあって、びっくり。もっともおどろいたのは、公職選挙法が、大正末期に成立したままの法律であること。しかも、この法律、普通選挙法と抱き合わせにできた治安維持法と一緒に成立したのだそう。たとえば、イギリスなどでは許されている候補者の戸別訪問は、この大正時代にできた公職選挙法によって禁止されているのだそうです。選挙活動資金の少ない候補者を支援する人たちは、口コミで多くの人に伝えたいと思っても、それができない。なぜだろうとおもっていましたが、普選法と一緒に成立したと知って、納得できました。

  「憲法とは為政者をしばるもの」という主張がなされる一方、現与党の憲法改正案では、「国民を縛るもの」という考えで作られていると聞きます。真反対の定義が、一般の法律の頂点に立つ憲法についてなされているのに、驚きます。では、憲法とはなんなのかしりたくて、こんな本を図書館で借りてきて、前書きだけ読みました。

   「岩波講座 憲法1」難しい言葉がたくさんあって、細部までは理解できなかったけれど、とてもおもしろかった。ちょっと紹介します。

    全6巻のうちの最初の講座で、「立憲主義の哲学的地平」という副題がついています。

   冒頭から論者は、「憲法の存在理由と意義を、原点に立ち返って根本的に反省するのは悪いことではない」としながら、「戦後憲法は紙屑だといい放つ人々」にたいして、このように反論しています。

   「占領が終了してから既に半世紀以上もの間、改正されずに存続している憲法を、いまだに「押し付け憲法」と糾弾する人たちは、何が押し付けられたのか、押し付けられた憲法とは一体いかなる統治の原理なのかを理解していない、あるいは理解する気などないようである」
    
    「理解していれば、憲法改正権力も含む主権を国民に帰している現憲法を彼らに「押し付けて」いるのは、もはや「占領勢力」ではなくて、主権回復後半世紀にわたって憲法改正を阻んできた同胞国民、彼らがまさにその名において改憲を要求している「国民」の構成員たる多くの人々の意思ではないかと、少しは自問・自省する気になったであろう」 

     明瞭な指摘で、読んでいて気持ちいい。さらに読み進むと、こんな文言が。

      「民主主義の優位を説く人々からの、民主的立法に対する立憲主義統制への批判に対して、立憲主義の擁護者はしばしば、「民主主義は民主主義によっては正当化できない」という反論をする。これは正当である。しかし、これに対しては「立憲主義は立憲主義によっては正当化できない」という同型の、やはり正当な反論が突き返されるだろう。さらに言えば、立憲主義は実定憲法によって正当化することもできない。実定憲法の特別な規範的地位の根拠が立憲主義に求められている以上、実定憲法が立憲主義に依拠していることを立憲主義の根拠にするのは、論証さるべきものを前提にして論証する「先決問題要求の虚偽」を犯すものである。したがって、立憲主義の擁護は立憲主義の意義と存在理由についての哲学的考察を必要とする。」

    「立憲主義に対する上述のような懐疑・批判が、立憲主義の支柱をなす哲学的諸原理に向けられている以上、これは当然でもある。立憲主義の擁護は哲学的原理ではなく政治文化や歴史的実践に訴えてなさるべきであるとする立場もまた、哲学的正当化の限界についてのメタ哲学的主張を提示する哲学的省察である。立憲主義の哲学的正当化は不可能であるだけでなく、立憲主義の擁護にとって不必要だという主張自体が、きわめて論争的な哲学的主張であり、哲学的正当化を必要としている」

     わかりづらくて何度も読んだのですが、この一節には強い印象を持ちました。     

      憲法はその国がどういう国であるかを示すもので、すべての法律の上に立ち、為政者の考えや指針は、その憲法のもとにおいてきめられるべきものとおもいます。でも、グローバル化が進み、多国籍企業がどんどん進出し、一方で難民が生まれている現在、国を超える思想がまたれているのではないか、だから、EUやTPPの構想ができたのではないかとおもえます。

     この流れが続けば、いつか、「いまある国を国民の意志で解散して、たとえば国連とか、SF的にいうと世界政府とかをつくろう。そして細かいことは各地域にまかせよう」といった主張が大勢を占めるときが来るかもしれません。人々の多くがそれをのぞめば、そのようにするのが民主主義のわけだから、そういう事態が起きてもおかしくないはず。

     でも、こういう事態にいたったときに、あくまでひとつの国の単位で物事を考えていると、どこまでも民主的であろうとする勢力とぶつかることになるのではなかろうかと、なんとなくおもっていました。その答えとなるのかどうかわかりませんが、立憲主義はだいじだけれど、とらわれていると読み間違えることもあるかもしれない、とおもわせる一節でした。

      グローバル化と立憲主義についても、この講座では、一巻設けています。機会があったらまたまえがきだけ、読んでおきたいとおもいます。

    

      
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ダム湖に沈む集落のウバヒガン桜を見に行きました。

2016-04-06 23:15:57 | 小さな旅
   稲武の隣町・設楽町のダム建設予定地の中にある、八橋地区に行ってきました。一昨年にはほとんど移転を終え、集落は今はもう全く無人。住居跡らしい礎石が、あちこちに残っているだけでした。

   ドライブの目的は、取り壊された八橋小学校のそばにあるという、大木、ウバヒガン桜を見るためです。

   この場所は、戦前まで旧八橋小学校があったところで、高台にあるため、水没からはまぬかれることになったのだとか。学校は下の平地に戦後移転した、と立て札にかかれていました。桜は予想以上に立派でした。

  さて、私は、保育園の年長組の秋から小学校3年生の春まで、設楽町田口に住んいました。中年になって、田舎暮らしをしたくなったときに真っ先に思い浮かべたのは、こどものころに見た、設楽の山や田畑の風景でした。

   その設楽にほど近い稲武にすむようになったのは、12年前。そのころには、すでに設楽ダム建設の話が持ち上がっていました。でも、反対運動も根強くあり、おそらく計画は中断するだろうという噂が聞こえていました。ダムを作ることが、かならずしも、治水や水資源確保に有効とは限らないし、生態系が大幅に変わることになるわけなので、ダム計画がなかなか進まないのは、いいことだと思っていました。

   ところが数年前に突然、ダム建設が本決まりし、急ピッチで工事が進められました。

   私は設楽町の田口小学校時代、八橋小学校に遠足に行ったことがあり、ダム湖に沈むと聞いたときからずっと行ってみたいと思っていました。
 
    先日設楽町関連のフェイスブックで、この八橋小学校のほど近くにあるウバヒガン桜が五分咲きだとの記事をみて、はじめて、学校のそばに、樹齢の古いこの桜があることを知りました。私はずっと、小学校の校庭にある桜見物が、あのときの遠足の目的だと思っていましたが、たぶん、そうではなくて、この大きなヒガン桜を見ることが目的だったのでしょう。

    ウバヒガン桜のある高台からは、あたりの風景が一望できます。小学校跡地らしき場所もだいぶ離れたところに見えます。

    私の記憶では、桜の木の下でお弁当を広げていた時、校舎の中の子供たちの姿も見えたのですが、あれはどうやら偽造記憶のようです。

    こちらがたぶん、学校の跡地。寒村の小さな小学校だったようです。やはり、建っているうちに見にきたらよかった。

    このきれいな川の流れも、昔見たのかもしれません。いずれにしろ、設楽町の中心田口からこちらまでは約6キロ。小学校1年生か2年生の足で、よくあるいたなとおもうのですが、当時としてはたいしたことのない距離だったのでしょうか?

    行きは、稲武から峠を越えて川向から八橋への道をとったのですが、ダム工事のせいで、大型トラックが多くて狭い道を走るのがこわかったので、帰りは逆の道をたどり、津具を抜けて名倉に出ました。

    あぐりステーションなぐらのそばの川岸の桜、5分咲きくらいでしょうか? 約1.3キロ続く桜街道です。一度、端まで歩こうとおもいつつ、毎年はたせずにいます。きょうも、数百メートルで引き返しました。

    稲武の瑞龍寺の枝垂れ桜もそろそろ見ごろのようです。カフェ・ヒトトキのある古橋懐古館周辺も、桜が咲き始めました。山里の春、これからが本番です。
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映画「I am Ichihashi」

2016-04-01 16:19:24 | 映画とドラマと本と絵画
   「I am Ichihashi」NHKの朝ドラ「あさが来た」で、五代友厚を演じたディーン藤岡が主演・監督を務めた作品。数年前に実にあった殺人事件の犯人が主人公。外国人女性を殺したあと失踪し、2年間の逃亡生活の末、自首した、いちはしという男をディーン藤岡が演じています。熱演です。逃亡者の切迫した気分が真に迫っていました。
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まちかど朝市春祭りに出店します

2016-04-01 15:42:11 | イベント出店情報とそのほかのお知らせ
   もう今年はこれで頼むのをやめようと思っていた灯油ですが、まだ気温が不安定のようなので、3分の1だけ注文しました。それでも、今年はいつもの半分くらいしか配達してもらわないで済みました。心配していた薪も、底をつくことなく、なんとか持ちこたえました。すべて暖かすぎた冬のおかげです。懐も体も助かりましたが、この夏はどうなるだろうかと思うと、いささかぞっとします。

    さて、梅は盛りを過ぎましたが、桜はまだ。きょうは、昨日よりかなり気温が低くなり、ただいま雨が降っています。

     春休みの最終週、いつも豊田市街地の数か所で開いているまちかど朝市の、ちょっとした拡大版が開催されます。昨年に引き続き、アンティマキ、今年も出店いたします。

     *日時 4月5日(火)10時から12時ころまで
     *場所 小松さん宅  東山町
           豊田大橋を外環状線に向かって走り、ユニクロやモスバーガーを過ぎて、歩道橋の         ある交差点を左折。少し進み、小さな横断歩道を右折。小さな橋を渡った左側一軒目。

      出店するのは、さなパン、てくてく農園、よし工房、月の虹、整体の一歩、いのはな農園、アンティマキです。

     穀物クッキー、グラノーラのほか、パンやスコーンを持っていきます。静かな住宅街の一角に子供たちのにぎやかな声が聞こえたら、そこがこちらの会場です。みなさまのお越しをお待ちしています。
       
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