いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

市民感覚の起訴。 prosecution of civic sense

2022-03-17 20:36:50 | 日記
 (1)日本の風土、社会慣習、体制、規範から裁判員裁判制度よりも市民参加の検察審査会制度の方が適していると書いたが、その傾向、特徴は出ている。裁判に市民感覚(civic sense)を取り入れるとした裁判員制度は、実は日本も訴訟社会となり従来よりも話し合い、協議ではなく裁判で決着しようという社会認識の高まりの中で裁判官不足が出てきて、ひとりの裁判官がいくつものの訴訟を受け持ち多忙になってきて米国の市民が裁判にかかわる陪審員制度を参考にして裁判員制度が設けられた。

 (2)近年は裁判官など法曹人育成の法科大学院も出願者が減少して定員割れが目立ち、募集停止に追い込まれて、司法試験の合格率も低下傾向で裁判官不足は解消できていない。一方で米国社会は保安官時代から法律というよりは自分、市民の論理、目線で決める力、銃による安全社会を維持する歴史があり、現在も銃規制は甘く市民の多くが安全防衛のために銃を保持できる銃社会を構成して、警官による市民抑圧、市民による銃使用事件が後を絶たない。

 (3)そういう市民が銃を持ち自身、社会の安全、自己防衛を果たす社会制度として市民参加の陪審員制度が定着している。日本では社会の安全を維持するのは「お上」の仕事であり封建的な服従が社会思想に定着した歴史があり、専門的知識、判断能力を持った裁判官が審理して善悪を決める社会制度だ。

 裁判員制度でも事件資料の表現、映像などでドギツイものが裁判員にはなじまずに改善に迫られたり、裁判員の出した判断、判決(1審)が専門的裁判官(2審)によりくつがえるということもあり、裁判に市民感覚を取り入れる理念は生かされているとはいえない。

 (4)検察審査会は検察が専門的、法律的見地、判断から不起訴処分としたものを市民感覚、感情で見直して、起訴相当とするかどうかの判断をするものであり、社会生活を営む市民として仮に法律になじまないとしても正義、道理、道義としてあってはならない行為、行動を許さない市民感情を生かす社会正義の実現で日本人の人間性、国民性にはあっていると考える。

 (5)今回広島選挙区での元法相の妻の選挙での県議買収事件ではあきらかに100名にも及ぶ県議などが現金を受け取りながら、一方的にポケットに現金をねじ込められたとか政治活動資金だと理解したとか選挙投票依頼とは思わなかったとして全員不起訴処分となっていた。

 どうも検察側の司法取引との憶測も伝えられているが、市民参加の検察審査会では市民感覚、感情からこの事件は起訴相当と判断され、その後検察は再捜査の上、一転全員不起訴処分から34名の起訴が決定した。市民参加の検察審査会の市民感覚、感情が働いた結果の判断だ。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 戦時下の美しいジャズ。 beau... | トップ | オンラインによる国会演説。 ... »

日記」カテゴリの最新記事