いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

戦時下の美しいジャズ。 beautiful jazz under the war

2022-03-16 20:15:50 | 日記
 (1)以前、FM番組の「ジャズ・トゥナイト」を聞いていたら第2次世界大戦下の米国でのレコーディングのビッグバンドジャズの曲が盛んに流れていて、その陽気で楽しい、美しいジャズに戦時下の重苦しさはまったく感じられないものだった。

 そんな非常時でも米国でビッグバンドジャズがレコーディングされていたという政治と芸術、音楽は別という社会理念なのか、自由国家としての自由思想理念なのか、マリリン・モンローなど俳優、音楽家が米軍前線基地を激励、慰問する映像もみかける。

 (2)そこだけは別世界、平和が漂っている。第2次世界大戦は欧米連合国と日独伊3国が戦うというあきらかな戦力の違いから米国内、国民から深刻さが消えていたのかはわからないが、戦時下でも社会は日常性を失わずに旧日本軍が真珠湾を急襲していざ開戦となれば国家として結束して海外前線で戦う米軍を芸術、音楽が激励、応援する姿は、戦中の日本では国民、芸術まで戦争一色で唯心論的志向に染まって統制された国家、社会として見られなかったものだ。

 (3)戦争の中でも明るい米国と暗い重苦しい日本の印象はある。しかし、その米国も覇権国家となり、自由主義、経済、エネルギー独占、宗教対立を巡り世界各地で米国と対立する勢力、組織、テロ、ゲリラとの戦闘、戦争に向かい関与して若い米軍人の被害、犠牲も多く重ねて、近年は米国民、社会にも厭世(えんせい)気分が高まっているといわれる。

 (4)今回の露によるウクライナ軍事侵攻でもウクライナは米国などの軍事支援を望んでいるが、世論調査では米国民の6割はこれに関与するべきでないと回答している。
 今芸術、スポーツの世界でも露の芸術家、スポーツ選手を国際イベント、大会から排除、排斥する動き(報道)が活発、高くなっている。

 露国内でも芸術家、演劇人からウクライナ軍事侵攻に抗議して要職辞任、即時停戦を求める署名が「続々」(同)集まっているといわれる。

 (5)政治と芸術、スポーツは別との普遍論(generality)はあるが、情報化時代、グローバル時代で政治と芸術、スポーツはすべて一体化して影響している現実がある。戦争、人権批判、抑圧には有効な対抗手段、方法論ではあるが、芸術、スポーツも政治の犠牲者であり弱者リスクへの手段、方法を選ばない抑圧だ。

 (6)政治と芸術、スポーツは別で芸術、スポーツ自体、自身が自主的に決断して実行することだ。あってはならないことだが、戦時下でも日常性、自由を失わない国民、社会はすばらしい。
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