いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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財津作詞講座。 zaitsu lectureship of lyrics

2017-03-22 20:24:30 | 日記
 (1)財津和夫さんが生まれ育った福岡名島界隈で作詞講座を開催した。財津さんは希代のメロディメーカーとして数多くの楽曲をつくりだし作詞力も高く、日本のポピュラー音楽として初めて洋楽旋律に日本語を無理なく自然に見事に乗せた先駆者(frontier)としてニューミュージックをリードしてきたミュージシャンだ。

 言葉を活かすためにすばらしいメロディをつくりだしてきた。東海ラジオ元ディレクターの塩瀬修充さんは作詞家としての財津和夫さんの能力を高く評価しています。

 (2)「言葉が歌になる時」と題した財津和夫さんの作詞講座は、ヒットする言葉(詞)は「刺激的」なことが求められるとして俳人2人の代表的な俳句を紹介して比較論を展開します。

 松尾芭蕉の「五月雨を 集めて早し 最上川」は刺激的で、与謝野蕪村の「五月雨や 大河を前に 家二軒」は生活観があると分析します。財津さんは蕪村の句の方が好きだと解説します。財津さんの作風からすれば芭蕉風だ。

 (3)ブログ筆者からみれば、芭蕉の句には映像美が優れて「早し」が刺激的、写実的臨場感を強調してもたらし、蕪村の句には思索、思想観があふれて漂い、財津さんは蕪村の「家二軒」が1軒だったかもしれないし3軒だったかもしれないが2軒であることに生活観を考えさせるものだと解説します。

 (4)その後、財津和夫さんは自作曲の「虹とスニーカーの頃」が意図してつくってヒットした代表作と話し、「わがままは 男の罪」と折り返し出てくるフレーズ(phrase)の「わか(若)かった 何もかもが」がすべて「あ」音で統一されて韻を踏んで効果があったと解説します。

 財津和夫さんの言葉は映像美学に優れて、言葉を聞いてすぐにふっと映像として浮かぶすばらしさがあり、それが長く愛される理由です。

 (5)「虹とスニーカーの頃」では、白いスニーカーを汚さないように2人は裸足で雨の中を歩いたという映像美学がヒットを後押ししたこともあると考える。

 白いスニーカーが若者の無垢(innocence)の気持ちをあらわし、それを汚す雨が社会の打算、計算、醜(みにく)さを示し、雨の中を裸足で歩くことで若者の社会に対する純真性、それを守る反抗心を象徴的にあらわしている映像美学と受け止めている。

 (6)財津和夫さんの言葉(詞)の映像美学は「サボテンの花」の洗いかけの洗濯物、シャボンの泡が揺れていた、君の香りが揺れていた、「冬のメインストリート」の光のシャワーのように幸せを道に捲(ま)いた店の明かりなど印象的なものが他にもたくさんあります。

 財津さんは講座最後に好きな言葉として「風」をあげています。しかし、自分が好きになったら、そこで止まってしまう、終わりだとも言っています。

 (7)財津和夫さんがこういう講座をすることは意義がある。45年の音楽活動の蓄積、財産を社会に還元することは特別に与えられた人の仕事の大きな意義だ。

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