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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

教育の日常と聖域。 daily sanctuary of education

2010-12-25 19:43:46 | 日記
 (1)教育機関(大学、高校、中学、小学校)の社会における役割、立場(ハード面)は、
時代感覚、変遷にともなって順化、同化、変化、対応して当然のものだが、ソフト面の学問
そのものは普遍的な知識、真理、真実探求のもので、恒常的、一貫性、継続性の中にある。

 教育、教授する側の人材は、教育、教授の仕方、方法には、教育水準の中であれば独自
性、工夫があって当然だが、教育、学問の普遍的価値については時代感覚、変遷に流され
ない確固なるもの信念、信条が求められる。

 とは言っても、教育、教授する側の人材も時代感覚、変遷の荒波、または「子育て不在」
の親権責任希薄の中で成長してきた影響は人格形成に避けられないと言われる。だから資
格、任命、選抜試験のハードルが設けられているのだ。

 (2)近年のメディアに露出する教育機関に従事する人材、教員の何とレベルの低い低俗行
為、犯罪行為の目に付くことかだ。犯罪行為だから低俗で劣悪なのは当然だが、パラドック
ス(paradox)としての普遍的な知識、学問の教育、教授に従事する立場の者との余りの落
差に事態の深刻さ、深化が浮かび上がる。

 09年に精神疾患で休職した公立学校(小、中、高)教員が5500人と17年連続の増加
で過去最多を記録した。(報道) 「17年連続」というところが、事態の深刻さ、深化を示し
ている。
 初等、中等教育の教育内容については、「詰め込み」から「ゆとり」教育へ、学級定員の
見直しと教育方針(指導要綱)の変更は見直されてきたが(教育効果とは別もの)教育す
る人材の「教育」については、効果的な取組み効果がなされてこなかった現実の反動が
「17年連続」だ。
 手を打ってこなかったかどうか以前に、教員資質の恒常的劣化に危機管理が不十分で
あったことは間違いない。

 (3)教員も「人の子」だと言って、現在社会に同化することを人間性の尊厳だと見誤った教
育論理がある。教育とは、普遍的価値(希少価値)を成長過程の人間に教育、教授する特
別の環境の中に生活がある。だから、資格、任命、選抜もあれば、自ら望んでその環境の
中に価値を求めている目的意識、意欲を本来は持っている。

 純粋な教育目的意識、意欲は、現在社会とは一線を画して同化することはない価値観で、
これを社会差別とか区別と考える現在の教育環境、取組み方に教育の混乱の元凶はある。

 いつのまにか、教室内に教員の事務デスクはなくなり、運動会は日曜の自由な発想展開
から平日のレギュラーに移行されて学校教育が教員の週間レギュラータイムテーブルに組
み込まれていった。
 この教育思考の「偏り」が学校教育に「17年」の恒常的劣化と、結果としての「放置」を甘
受してきたのだ。

 (4)学校教育事件は、作為であったり不作為であったり、教育を受ける側(生徒)に向けら
れたものが圧倒的だった。教員、教育は「自分」を見つめる前に、目の前にいる成長過程の
「存在」に能力と知力を向けるべく「日常」聖域(daily sanctuary of education)を取り戻す必
要がある。教育の力、援助を求めているのは、教員「自ら」ではなく、目に前にいる彼らだ。

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