うろ覚えライフ。

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血液型分類日本人

2009年02月10日 | 時事社会ログ

○日本の「血液型性格診断」ブーム、米国でも強い関心を集める

        米大手通信社のAP通信が今月に報じた日本の「血液型性格診断」ブームに関する記事が多くの米国人に読まれ、反響を呼んでいる。その記事は「日本では、人は血液型によって決まる」と題したもので、2008年の年間ベストセラー10冊に文芸社の「血液型自分の説明書」シリーズ4冊がランクインしたことや、日本では雑談などで「あなたは何型? 」などと血液型の話がよく話題になる事実を伝えている。

 また日本の幼稚園や保育園において血液型によって園児がクラス分けをされたり、北京オリンピックで金メダルを獲得した日本女子ソフトボールチームがトレーニングメニューを組む際に、各プレーヤーの血液型をひとつの情報として考慮していたこともエピソードとして挙げ、科学的に証明されていないのにもかかわらず、血液型を重要視する考えが国民の間で広く浸透していると紹介している。

 血液型の話題になじみのない米国では、「血液型性格診断」や「血液型占い」が日本で浸透している事実が、興味深く受け止められたようで、AP通信の記事に対し、掲示板などでユーザーから多くのコメントが寄せられている。

 寄せられたコメントには「たった4種類に人間の性格が分けられるはずがない」や「日本人はなぜ血液型に固執するの? 」などと、血液型による性格診断や占いに対しその信憑性を疑問視する内容が目立った。また「3ヵ月ほど日本にいた時に少なくとも5回以上、血液型をたずねられて驚いた」という意見もあった。

 日本では血液型占いのブームは以前からあったが、07年に発売した血液型に関する書籍「B型自分の説明書」(文芸社)が08年春から夏にかけてヒットし、同年の年間ベストセラー(トーハン調べ)で第3位となり、続くO型、A型、AB型の3作もすべて10位以内に入り、類似本の出版も相次いでいる。

 血液型と気質の関連を科学的な研究対象にしようとする試みは国内で1900年代前半に当時の医師らによって行われていたが、結果的に科学的に差異が認められなかった経緯がある。しかし血液型関連の書籍が多数出版され、またテレビなどのマスメディアでもさかんに報道されてきたため信じる人も多く、携帯サイトをはじめ、血液型占いに関連したコンテンツが数多く流通するなど一つの市場を形成している。

 僕もね、昔から血液型と性格というのは信じてました。僕はもう古く、昔から、まだ僕が十代末頃のン十年前から、血液型と性格の、新書判ハウツータイプ本を買って来て読んでました。それで読んでは、うんうん、もっともだ、そのとおりだ、と思っていて、結局、血液型コンプレックスに掛かっていました。いわく、俺はA型だから駄目なんだ、と。

 僕が血液型性格本を初めて買って来て読んだのは、何十年も前の昭和の、最初の血液型ブームの時代でしょう。僕の周囲でもまだ、あんまり血液型と性格なんて、そんなに話題にしてなかった。当時は研究家として、能見正比古さんと鈴木芳正さんという二人の本が出ていて、能見正比古さんの方が有名だったかな。僕はどっちの著書も読んでました。

 当時の僕の一番仲の良かった友達がB型で、友達付き合いの中で、僕の方が精神的に優位に、何ていうか上位に居る、と何の根拠もなく思って居たのですが、鈴木芳正さんの方の著書に、はっきりと「A型はB型よりも弱い」と書いていて、僕は愕然とし、こんなものデタラメだ、と本をバリバリ破いて捨てちゃいました。よく憶えている僕の狂気の行動です。

 当時はねえ、もともと悲観的な方でクヨクヨ悩むネクラぎみな僕は、本に書いてあるA型の悪いところを全部信じて、良いところも悪い方に取って、俺はA型だから駄目、という病気に掛かってましたね。そのとき冷静によく考えたら、日本人の4割、4千万人強がA型なのにね。馬鹿そのものですね。

 以前、何かで読んだのですが、どうして日本人にだけ、占い的に血液型性格が流行るのか?という理由は、日本人て世界でもごく珍しい、A・O・B・ABの4型が全部揃った国民だからだそうですね。他の国はたいていは、Oが極端に多いとか、Aが極端に多いとかで、何処の国もAB型が居ない。B型の多い中国はAB型が多い、と聞いたことがありますが、中国は今度はOが居ないらしい。つまり日本は4つ全部揃っているから占いになるらしいですね。AとOだけの社会では、どっちか、ということになるから占いとか人間学とか性格学とかで、話題や流行になりにくい。

 それから歳を重ねるごとに、僕のA型コンプレックスもしだいに薄くなって行って、自分でも自分の血液型とかをあんまり気にしなくなりました。サラリーマン時代は転勤の多い会社に居て、大企業を辞めてからも転職を繰り返した僕は、行く職場ごとに、聞かれるままに自分の血液型を話してました。というか、つまり、聞く相手が先に、「O型でしょ?」とか「B型でしょ?」と言って来るので、当時、面倒くさがりな僕はいつでも「はい」と答えてました。そうしたら何処の職場でもそれで、そのまま通るんですよね。だから僕は職場に寄って、血液型はO型、B型、AB型で通ってました。ある職場でなんて、典型的なB型、と言われてました。

 勿論、僕のコトをA型だと言う人も居ましたよ。人によって、いろいろ居るんです。僕は自分がひどく神経質だと思ってますが、おおざっぱなO型だとか、ちゃらんぽらんなB型だとか、二重人格のAB型だとか言われて来ました。多分、どの要素も僕にはあるんでしょうね。それは誰もそうなんで、そのときどういう面が表に出て印象付けたか、ということと後は、クチコミ、ウワサ、世間話。僕も、半信半疑的に信じているトコロもない訳じゃないけど、普段、特には気にしてないなあ。

 僕は自分は神経質なA型だと思っていますが、長い人生で、神経質なO型の人も、神経質なB型の人にも出会っています。

 世間話で、普段の何でもない会話で、血液型性格を言うのは、まあ、面白いときもあるし、普通のコミュニュケーションの一場面で良いんですけど、就職や教育で血液型性格を持ち出すのはやり過ぎなんじゃないか、と思います。「B型の人、求む!」とか血液型で児童の教育法を変える、なんていうのは。「B型の人、求む!」という求人の面接で、私はA型だけどものすごくヤル気があります!と言って熱意で、そこの企業に受かった、という話を聞いたことがあるけど、いや~、今の僕はよく、O型って言われますけど、AだろうがOだろうがいろんな人が居ますよ。

 

 

 


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