旅限無(りょげむ)

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支持率よりも安全保障を 其の壱

2010-12-21 16:00:08 | 歴史
■大国を巻き込んだ上で痛み分けの休戦状態の国と世にも珍しい国家としての生存権を放棄したような憲法を後生大事にしている国とは行動原理が根本的に違うのは当然なのでしょうが、国連安保理の小田原評定には目もくれずに計画通りに自国領内での射撃訓練をする韓国と、役にも立たない「情報収集」を外務省に命じておいて首相官邸にクラッシャー小沢を呼びつけて1時間半も無駄話をしている日本とを比べてみますと、日米安保と米韓同盟とを結びつけて東アジアの安全保障体制を万全なものにする事など到底無理だと分かりますなあ。

北朝鮮が延坪島砲撃など黄海で軍事緊張を高めている背景には、朝鮮戦争休戦(1953年)以来、不利になっている領海の拡大などに向けた軍事的、政治的面での多目的作戦がある。軍事的緊張激化で海の南北境界線の“紛争化”を米国など国際社会に印象付ける一方、韓国に対しては“戦争の恐怖”で世論を対北平和・対話ムードに誘導し、李明博・保守政権を揺さぶる狙いがある。一方、北朝鮮では対外的緊張で国民の危機感を高め、後継体制づくりという不安定な権力過渡期を国民団結で乗り切る考えだ。こうした作戦が結果的に金正恩後継者の手柄として、その崇拝・神格化につながるというわけだ。したがって北朝鮮の狙いはあくまで局地紛争による“政治的効果”であって、本格的な軍事衝突や全面戦を考えてのことではない。 

■ラングーンでの韓国大統領爆殺未遂事件や、最近もテレビで映像化された大韓航空機爆破テロを命じたのは、今の将軍様が継承した権力を強化するための傍迷惑な儀式だったことが判明しているのですから、三代目襲名!にも同じお披露目の儀式が必要なのでしょう。柳の下に2匹目3匹目の泥鰌を探す気持ちは、日本の菅アルイミ首相の「小沢を叩けば指示が上がる」という断末魔の信仰心とも共通しているのかもしれませんが、どちらにしても国の愚策に翻弄される側の国民にとっては有難くない話でありましょう。


北朝鮮が最近、軍事挑発を繰り返している北方限界線(NLL)は朝鮮戦争休戦に由来する。休戦当時、北朝鮮周辺の制海権は韓国・国連軍が握っていて、北朝鮮軍はどの島も支配していなかった。このため国連軍司令官は延坪島や白●島など西海5島と北朝鮮本土の中間を海の境界線として、一方的にNLLLを設定した。これに対し北朝鮮は当然、不満だったが海上支配力がなかったため事実上認めてきた。艦艇や漁船などNLL外への進出も控えてきた。 

■渋るスターリンから強引に戦車や飛行機を借り出して韓国に攻め入った自称・金日成には最初から海上兵力の備えは無く、元々、ソマ満国境の森林地帯での軍人体験しか持たない指導者の限界が露呈したいたようなもので、二代目になっても奇怪な工作船やドラム缶みたいな小型潜水艦より立派な軍艦を並べることは無かったのでした。形勢が逆転して自国の国境に国連軍が迫った時に、毛沢東の独断で「義勇軍」300万人を送り込んだ中華人民共和国も、旧日本軍が残した武器やソ連から援助された兵器を寄せ集めていた段階で、とても大海軍を作り上げる能力はありませんでしたからなあ。


しかし近年、西海5島を含む周辺海域は北朝鮮の領海だとしてNLL無視の動きを見せ、南北間で衝突が相次いでいた。哨戒艦撃沈や延坪島砲撃はその延長線上にある。北朝鮮は60年続いた休戦体制を力で変更しようというわけだ。現在のNLL体制では最北端の白●島から北朝鮮の首都・平壌までは150キロ、韓国のソウルまでは210キロ。北にとっては気になる距離だ。しかし北が新たに主張している境界線だと、ソウルは北の領海から約100キロで、韓国の対北防衛体制は大きく揺らぐ。仁川国際空港などすぐそこだ。 

■今は立派なハブ空港や港湾を整備した都市の仁川ですが、ここは両国にとって忘れられない「仁川上陸作戦」が実施された歴史的な場所であります。一旦は半島南端の釜山まで包囲された韓国がマッカーサー指揮下の連合軍がノルマンディーさながらの大規模な上陸作戦を敢行したことで救われ、逆に北朝鮮側は伸び切った兵站線を真っ二つに切り離される危機的状況に陥り、命からがら北へ北へと逃げ帰った朝鮮戦争の分水嶺となった記念すべき?場所であります。北朝鮮の軍部などは恨み骨髄の仁川を奪い取って旗でも立てたい心境かのかも知れませんなあ。


北朝鮮はNLLを軍事紛争化し、米国(国連軍)との間で新たな境界線設定など“平和協定交渉”を狙っている。韓国としては軍事挑発を繰り返す金正日・正恩軍事独裁政権を相手に、領海譲歩の現状変更には絶対に応じられない。北朝鮮は一連の軍事挑発でNLLの紛争化に成功しつつあると評価しているはずだ。さらに“戦争脅迫”が韓国世論を李政権批判に向かわせ、新たな対北融和政権誕生につながることを期待している。これに対し韓国政府は「今度こそは断固たる対応」を取ることが北の軍事挑発と狙いを挫く道と判断している。南北の緊張・対決は続きそうだ。
●=領の頁を羽の旧字体に
2010年12月21日 産経新聞 

■勝手な屁理屈で領土・領海を好き勝手に拡張する所業は決して北朝鮮だけのものではなく、救いの主・養い親も同然の北京政府が偉大なる?お手本になっている可能性が高いと思われます。北朝鮮の南侵開始は1950年の6月25日ですが、前年の1949年10月に中国共産党軍は国民党軍を駆逐して全土を掌握すると同時に「チベット解放」を宣言しまして、着々と準備を進めて1950年10月7日に8方向から東チベット地域に侵攻を開始するのであります。世界の目が朝鮮半島に釘付けになっていたからチベットを侵略したのか、チベット併合を見習って半島統一を急いだのか、鶏と卵みたいな話ですが、何らかの連関があったと思われます。

■北朝鮮がNLLにイチャモンを付け始めるのは、北京政府が勝手に『領海法』を制定して南シナ海から日本近海まで、尖閣諸島も西沙諸島も南沙諸島も、全部丸ごと自国の領土だ!と規定したのが1992年で、1997年には軍事的な海洋権益の維持を明記した『国防法』まで制定して、今年の尖閣衝突事件を起こしているのであります。では、北朝鮮がちょっかいを出しているNLLの方はどうかと申しますと、朝鮮戦争の「休戦協定」が締結された1953年7月の翌月に米軍主導の国連軍が独自に設定したもので、70年代半ばからちょいちょい越境事件を起こし始め、チャイナが『国防法』を定めた2年後の1999年9月に、NLL設定は「他人の家の庭にひそかに線を引く白昼強盗のような行為」だった!と北朝鮮は騒ぎ始めました。お手本通りにNLLの南方に「海上軍事境界線」と称する独自の境界線を設定して勝手に「領海だ!」と宣言したのでした。そんな経緯の中で今年3月の韓国海軍哨戒艦撃沈事件が起きて乗員46人が戦死したのであります。

■砲撃事件の後、北京政府が相手を間違えて韓国政府に「自制」を促して埃を被っている6カ国協議を再開しましょうよ、などと能天気なことを言い出したのも、今回の国連安保理で北朝鮮を名指しで非難する文書に断固として反対したのも、本当は自分が手本にされている事が理由なのではないでしょうかな?近々、台湾に向かって「砲撃」するかも知れないし……??。

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