■発足して馴らし運転・安全運転を続けている野田ドジョウ新首相は、慎重な言動と実直・低姿勢に徹して粛々と誰かさんの指示通りに増税路線を突き進んでいるようです。民主党の三代目首相が誕生したことよりも経産省の改革派官僚だった古賀茂明氏が辞表を出したことの方が、日本の政治を考える上では遥かに重大な意味を持つと思うのですが、この件をずっと考えているうちにブログが開店休業状態になってしまいました。考え事の整理がつき次第、別項で取り上げようと思っております。
■さてさて、外交デビューを果たした野田ドジョウ新首相が帰国してワイドショー系の報道では首相夫人の方が注目されていたようですが、国連での初演説がパレスチナ代表の後という貧乏籤に当たったこともあって八百長問題の発覚以来ずっと閑古鳥が鳴いている大相撲の会場よりも空席が目立つ、実に寂しいものになったのは残念でありました。折角、菅アルイミ前首相の脱原発政策をなし崩しに無視する二枚舌演説で原発推進派の国々から拍手して貰おうと原稿を練り上げて臨んだのに無駄骨に終わってしまったようです。何事につけ前政権に比べられている限りは「マトモ」と思って貰える間が華なので、せっせと国連外交で点数を稼いでおきたかった計算が狂ってしまった野田ドジョウ新首相としましては、前前政権がぶっ壊して前政権が事務的に先送りして放っておいた普天間基地移設問題を筆頭に、2年余りの外交空白を大急ぎで埋める算段をしなければならず、財務省に続いて今度は外務省の官僚からいろいろと教えて貰わねばならなくなりそうです。幸か不幸か民主党の『マニフェスト』には外交と安全保障に関しては何も書いてないも同然ですから、独自色を出そうと少しばかり思い付きで動いても問題はないような気もしますが、2人の前任者のように知ったかぶりして慣れない事をして国益を失い大恥を掻くようなことはないでしょうなあ?
■その2人の前任者、菅直人前首相、鳩山由紀夫元首相は9月5日付けで民主党最高顧問に就任していたのですが、知っている人はほとんど居ないかも?これまでの民主党最高顧問は単なるお飾りでしたが、これからはかつての自民党時代のように「総理経験者」が現首相を囲んで会議をしたら、さぞやマスコミ受けして選挙向けの宣伝にもなるなどと能天気なことを考えてはいないでしょうな!?大失政を山のように重ねたという意味での大先輩2人から言われた事の正反対に行動すれば大過なく政権運営が出来る可能性は高いでしょうが、既に鳩山サセテイタダク元総理などが「ぶら下がり取材は鬼門だ」などと自分自身の愚かさを棚に上げて助言しているようですが、慎重居士の野田ドジョウ新首相は鼻も引っ掛けずに黙殺している由。自民党政権時代、小泉プレスリー元首相はぶら下がり取材を徹底的に利用して高い支持率を維持していたのですから、鳩山サセテイタダク元首相が辞任に追い込まれたのは発言がころころ変わって政治が大混乱したことが原因であるのは明らかです。御本人だけが真実を理解していないのは恐ろしい話であります。
■日本の憲政史上「鳩山は最低、菅は最悪」と身内の幹部からも断罪された片割れの菅アルイミ前首相の方は、影が薄いどころか総理大臣だったことさえも間も無く忘れ去られそうな気配でありましたが、やはり、他にやるべき事も無いらしく初めての「有言実行」となるお遍路さんを再開したのだそうです。まあ、政治資金規正法違反で告発されている身ですから本格的な取調べが始まり、起訴でもされたらお遍路さんなどしている暇はなくなるでしょうから、一つくらいは公言した約束を守ってみせるためにも今しか歩き出す機会は無いのかも知れません。
退陣してから約1カ月の菅直人前首相が、中断していた四国八十八カ所霊場巡りを再開した。白装束に「同行二人」と書かれた菅笠(すげがさ)をかぶり、3日には愛媛県今治市の五十四番札所「延命寺」を訪れ、歩いての札所巡り「歩き遍路」を再スタートさせた。SPを連れてはいるが、東京の事務所にも詳しい日程は知らせていない一人旅で、9日までかけて香川県へ入る予定。この日午前は、延命寺や五十五番札所「南光坊」など今治市内の札所を巡った。……
■鳩山サセテイタダク前首相を謀(たばか)って不信任案を否決して政権にしがみ付いていた頃から次の札所は「延命寺だ」と冗談みたいに報じられていたものですが、本当に延命寺から再スタートだったのですなあ。居座りに成功した最後の3箇月を延命寺のご本尊に感謝したかどうかは不明ですが、腐っても鯛ならぬ失政を重ねた前首相でも税金を使ってSPを付けなねばならないというのは行財政改革の範疇には含まれないようですなあ。原発事故で人生を大きく狂わされた被災者の中には菅アルイミ前首相を深く恨んでいる人物がいるでしょうから、山道を一人で歩かせるわけにも行かないのでしょうが……。
南光坊で取材に応じた菅前首相は心境を問われ、「東日本大震災からの復旧・復興と、犠牲者の冥福。それから原発事故の収束。それだけです」と穏やかに語った。更に脱・原発依存については「(首相)在職中にある程度、方向が示されたと思う。最終的には国民が決める」と述べた。菅前首相のお遍路は、年金未納問題で民主党代表辞任に追い込まれ、「自分自身を見つめ直す」と髪を短く刈り上げて04年7月に一番札所「霊山寺」(徳島県鳴門市)からスタート。その後も断続的に続け、党代表代行時代の08年7月に、五十三番札所「円明寺」(松山市)まで達していた。
2011年10月3日(月) 毎日新聞
■四国のお遍路と言えばショーケンこと萩原健一さんが1990年代前半に突如として白装束に身を包んで密かに歩いていたことが芸能ニュースとして大きく取り上げられたことがありましたから菅アルイミ首相がお遍路姿になった時には軽薄な二番煎じのような印象を受けた記憶があります。その菅アルイミ首相はショーケンの4歳年上で、興味深いことに二人は厳密な意味での「団塊の世代」を前後に挟んでいるのであります。終戦後の第一次ベビーブームと呼ばれる1947年から1949年に出生した約806万人が団塊の世代とされているそうですから、1946年生まれの菅アルイミ前首相と1950年生まれのショーケンは巨大な集団を挟んで育って来たことになります。因みに初代民主党オーナー首相として散々な悪評のみを残した鳩山由紀夫さんは1947年(昭和22年)生まれで「団塊の世代」の代表でもあったのでした。そして、野田ドジョウ新首相は10歳年下で1957年(昭和32年)の生まれですから、小学校に入学した時には団塊の世代は全員が中学校に上がってしまい校内には残っていなかったことになります。順に鳩山・菅・ショーケン・野田と並べると手軽な世代論が作れるかも知れませんぞ。
■民主党最高顧問の菅アルイミ首相は神奈川県の住民らが政治資金規正法違反罪(虚偽記載)で、菅氏に対する告発状を東京地検特捜部に提出して受理されており、首の辺りにひんやりしたものを感じながら四国を歩いている一方、クラッシャー小沢一郎・民主党元代表の方は資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われた衆院議員、石川知裕被告(38)ら元秘書3人の判決が26日午後、東京地裁(登石郁朗裁判長)で言い渡されまして、大方の予想を裏切って石川被告と大久保法規(50)、池田光智被告(34)の3人が全員「有罪」となりました。「政治とカネ」の問題を声高に叫んでは政権交代を成功させた最大の功労者であるクラッシャー小沢を生贄にして「反小沢」で支持率を引き上げようと躍起になって民主党内部に深刻な対立を作ってしまったのが菅アルイミ前首相で、その後始末を押し付けられた野田ドジョウ新首相は大変な苦労をしております。思いつきの「脱・原発依存」は継承されているとは思えず、「ある程度、方向が示された」などと陰湿な自画自賛に浸っていられるような状態ではありますまい。本当に菅アルイミ内閣は何をやっていたのでしょう?!既に思い出したくもない政権として記憶の外に排除されてしまいそうですが、民主党政権が続く限りは菅アルイミ内閣の問題は決して忘れてはならないと思うのであります。
■さてさて、外交デビューを果たした野田ドジョウ新首相が帰国してワイドショー系の報道では首相夫人の方が注目されていたようですが、国連での初演説がパレスチナ代表の後という貧乏籤に当たったこともあって八百長問題の発覚以来ずっと閑古鳥が鳴いている大相撲の会場よりも空席が目立つ、実に寂しいものになったのは残念でありました。折角、菅アルイミ前首相の脱原発政策をなし崩しに無視する二枚舌演説で原発推進派の国々から拍手して貰おうと原稿を練り上げて臨んだのに無駄骨に終わってしまったようです。何事につけ前政権に比べられている限りは「マトモ」と思って貰える間が華なので、せっせと国連外交で点数を稼いでおきたかった計算が狂ってしまった野田ドジョウ新首相としましては、前前政権がぶっ壊して前政権が事務的に先送りして放っておいた普天間基地移設問題を筆頭に、2年余りの外交空白を大急ぎで埋める算段をしなければならず、財務省に続いて今度は外務省の官僚からいろいろと教えて貰わねばならなくなりそうです。幸か不幸か民主党の『マニフェスト』には外交と安全保障に関しては何も書いてないも同然ですから、独自色を出そうと少しばかり思い付きで動いても問題はないような気もしますが、2人の前任者のように知ったかぶりして慣れない事をして国益を失い大恥を掻くようなことはないでしょうなあ?
■その2人の前任者、菅直人前首相、鳩山由紀夫元首相は9月5日付けで民主党最高顧問に就任していたのですが、知っている人はほとんど居ないかも?これまでの民主党最高顧問は単なるお飾りでしたが、これからはかつての自民党時代のように「総理経験者」が現首相を囲んで会議をしたら、さぞやマスコミ受けして選挙向けの宣伝にもなるなどと能天気なことを考えてはいないでしょうな!?大失政を山のように重ねたという意味での大先輩2人から言われた事の正反対に行動すれば大過なく政権運営が出来る可能性は高いでしょうが、既に鳩山サセテイタダク元総理などが「ぶら下がり取材は鬼門だ」などと自分自身の愚かさを棚に上げて助言しているようですが、慎重居士の野田ドジョウ新首相は鼻も引っ掛けずに黙殺している由。自民党政権時代、小泉プレスリー元首相はぶら下がり取材を徹底的に利用して高い支持率を維持していたのですから、鳩山サセテイタダク元首相が辞任に追い込まれたのは発言がころころ変わって政治が大混乱したことが原因であるのは明らかです。御本人だけが真実を理解していないのは恐ろしい話であります。
■日本の憲政史上「鳩山は最低、菅は最悪」と身内の幹部からも断罪された片割れの菅アルイミ前首相の方は、影が薄いどころか総理大臣だったことさえも間も無く忘れ去られそうな気配でありましたが、やはり、他にやるべき事も無いらしく初めての「有言実行」となるお遍路さんを再開したのだそうです。まあ、政治資金規正法違反で告発されている身ですから本格的な取調べが始まり、起訴でもされたらお遍路さんなどしている暇はなくなるでしょうから、一つくらいは公言した約束を守ってみせるためにも今しか歩き出す機会は無いのかも知れません。
退陣してから約1カ月の菅直人前首相が、中断していた四国八十八カ所霊場巡りを再開した。白装束に「同行二人」と書かれた菅笠(すげがさ)をかぶり、3日には愛媛県今治市の五十四番札所「延命寺」を訪れ、歩いての札所巡り「歩き遍路」を再スタートさせた。SPを連れてはいるが、東京の事務所にも詳しい日程は知らせていない一人旅で、9日までかけて香川県へ入る予定。この日午前は、延命寺や五十五番札所「南光坊」など今治市内の札所を巡った。……
■鳩山サセテイタダク前首相を謀(たばか)って不信任案を否決して政権にしがみ付いていた頃から次の札所は「延命寺だ」と冗談みたいに報じられていたものですが、本当に延命寺から再スタートだったのですなあ。居座りに成功した最後の3箇月を延命寺のご本尊に感謝したかどうかは不明ですが、腐っても鯛ならぬ失政を重ねた前首相でも税金を使ってSPを付けなねばならないというのは行財政改革の範疇には含まれないようですなあ。原発事故で人生を大きく狂わされた被災者の中には菅アルイミ前首相を深く恨んでいる人物がいるでしょうから、山道を一人で歩かせるわけにも行かないのでしょうが……。
南光坊で取材に応じた菅前首相は心境を問われ、「東日本大震災からの復旧・復興と、犠牲者の冥福。それから原発事故の収束。それだけです」と穏やかに語った。更に脱・原発依存については「(首相)在職中にある程度、方向が示されたと思う。最終的には国民が決める」と述べた。菅前首相のお遍路は、年金未納問題で民主党代表辞任に追い込まれ、「自分自身を見つめ直す」と髪を短く刈り上げて04年7月に一番札所「霊山寺」(徳島県鳴門市)からスタート。その後も断続的に続け、党代表代行時代の08年7月に、五十三番札所「円明寺」(松山市)まで達していた。
2011年10月3日(月) 毎日新聞
■四国のお遍路と言えばショーケンこと萩原健一さんが1990年代前半に突如として白装束に身を包んで密かに歩いていたことが芸能ニュースとして大きく取り上げられたことがありましたから菅アルイミ首相がお遍路姿になった時には軽薄な二番煎じのような印象を受けた記憶があります。その菅アルイミ首相はショーケンの4歳年上で、興味深いことに二人は厳密な意味での「団塊の世代」を前後に挟んでいるのであります。終戦後の第一次ベビーブームと呼ばれる1947年から1949年に出生した約806万人が団塊の世代とされているそうですから、1946年生まれの菅アルイミ前首相と1950年生まれのショーケンは巨大な集団を挟んで育って来たことになります。因みに初代民主党オーナー首相として散々な悪評のみを残した鳩山由紀夫さんは1947年(昭和22年)生まれで「団塊の世代」の代表でもあったのでした。そして、野田ドジョウ新首相は10歳年下で1957年(昭和32年)の生まれですから、小学校に入学した時には団塊の世代は全員が中学校に上がってしまい校内には残っていなかったことになります。順に鳩山・菅・ショーケン・野田と並べると手軽な世代論が作れるかも知れませんぞ。
■民主党最高顧問の菅アルイミ首相は神奈川県の住民らが政治資金規正法違反罪(虚偽記載)で、菅氏に対する告発状を東京地検特捜部に提出して受理されており、首の辺りにひんやりしたものを感じながら四国を歩いている一方、クラッシャー小沢一郎・民主党元代表の方は資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われた衆院議員、石川知裕被告(38)ら元秘書3人の判決が26日午後、東京地裁(登石郁朗裁判長)で言い渡されまして、大方の予想を裏切って石川被告と大久保法規(50)、池田光智被告(34)の3人が全員「有罪」となりました。「政治とカネ」の問題を声高に叫んでは政権交代を成功させた最大の功労者であるクラッシャー小沢を生贄にして「反小沢」で支持率を引き上げようと躍起になって民主党内部に深刻な対立を作ってしまったのが菅アルイミ前首相で、その後始末を押し付けられた野田ドジョウ新首相は大変な苦労をしております。思いつきの「脱・原発依存」は継承されているとは思えず、「ある程度、方向が示された」などと陰湿な自画自賛に浸っていられるような状態ではありますまい。本当に菅アルイミ内閣は何をやっていたのでしょう?!既に思い出したくもない政権として記憶の外に排除されてしまいそうですが、民主党政権が続く限りは菅アルイミ内閣の問題は決して忘れてはならないと思うのであります。