旅限無(りょげむ)

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史上最悪の大統領 其の八

2008-10-28 17:54:13 | 外交・情勢(アメリカ)
■ちょっと手先の器用な日本の詐欺師が、CIAが秘密裏に使用している100万ドル紙幣という奇天烈な物を発明したそうですが、過去に10万ドル紙幣は発行されていると言いますから、この21世紀初頭に世界中が迷惑を被った大統領が存在したことを忘れないように、ブッシュ二代目の肖像画を刷り込んだ本物の100万ドル札を発行したら如何でしょう?また、数十年後に奇怪なバブルが膨らんだ時に、大金持ちになった愚か者が詐欺やお手盛り昇給でブッシュ紙幣を手にする時、はっとする効用ぐらいはあるのではないでしょうか?

■安藤茂彌さんの『シリコンバレーで考える』の続きです。


投資銀行という業種がなぜ消滅したのだろうか。モルガンの歴史を紐解くと1930年代の大恐慌に辿り着く。銀行に自由を許しすぎた大恐慌の教訓から銀行業務と証券業務に垣根を設けるグラススティーガル法が制定された。そして新法のもとでモルガン銀行は銀行業務の専業になることを決定した。当時モルガン銀行の幹部であったヘンリー・モルガンとハロルド・スタンレーは、モルガン銀行を退職して証券業務を行うモルガン・スタンレーを1935年に設立した。

■日本もバブル崩壊後にスキャンダルが噴出したのを追い風にして、大蔵省の財政と金融の機能を分割したのでしたが、麻生新首相は思うところあって盟友の中川さんに財務と金融の両方を担当させる事にしました。あまりマスコミが騒がないのが不思議なのですが、役所が分割されているから以前のような唯我独尊の暴走はしないと誰もが安心しているという事なのでしょうなあ。先の事は分かりませんが、麻生さんはキャリア官僚と非常に仲が良いという噂が絶えないことが心配です。

■日本の証券会社はバブル時代までは「株屋」という一種の蔑称で呼ばれていたものですが、当時は有名大学の、それも理系の大卒就職希望のトップが証券会社になった!と新聞などが書き立てたものです。その後、日本の証券会社は米国に生まれた怪しげな金融派生商品だの金融工学だのに押しまくられて、政府が主導した「貯蓄から投資へ」運動に助けられて、団塊の世代を相手に投資信託で地道に?稼いでいたようですが、優秀な日本の若者は蛮勇を奮って「外資系」の証券会社に職を求める時代が続いておりましたなあ。

■バブル期に大量採用された若きエリート達は、青田刈り・囲い込み・リゾート合宿で迎え入れられたのは夢物語で、会社の中堅とされる年齢を迎える頃には「窓際族」にされてしまったとか……。外資系に野蛮な夢を懸けた一旗組も、多くは心身を病んで人生を見直すの多大な努力をしているとも聞きます。アメリカの「株屋」が何をしていたのか、本国では議会の調査委員会が開かれて錚々たる面子が呼び付けられて油を絞られる中で、悪事が次々と暴露されている最中であります。


モルガン・スタンレーは、アメリカの大手企業の株式・社債の発行引き受け業務と、企業に財務面の助言を行うアドバイサリー業務を行い、少人数で事業を続けてきた。パートナーシップの形態をとり、……業績がよければパートナーは高額な所得を手に入れられた。モルガン・スタンレーは70年代の初めまで、従業員数は100人前後の小さな会社だった。著名なビジネススクールを優秀な成績で卒業した毛並みの良いWASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)しか採用しなかった。

■文中の「企業の株式・社債の発行引き受け業務」というのは、日本でも「エクィティファイナンス」というカタカナ語で呼ばれた株式市場から企業が直接資金を手に入れる打ち出の小槌みたいに持て囃された「財テク」時代の流行語になったものです。これによって銀行は借り手を失って土地の投機に走るヤクザや不動産屋を新しい客としてつかんでしまったのでしたなあ。農協まで調子に乗って農家から預かったカネを住専に貸し込んで大火傷を負って、それが最初の「公的資金」騒ぎの元になったのでした。


……そもそも投資銀行は金融機関から借金して資金調達しているので、資金コストは高く、借入枠は限られており、自己勘定で取引することは難しかった。当時はM&A(合併買収仲介業務)にも進出していたが、これも数十名の小さな部門であった。……その後、モルガン・スタンレーは1971年に東京に最初の海外駐在員事務所を開いたのを皮切りに、次々と海外拠点を開設していった。1986年には株式会社に改組し、ニューヨーク証券取引所に上場した。事業内容も資産運用部門、投資部門を急拡大し、現在の従業員数は48000人……。

■モルガン・スタンレーが急成長する時期は第40代ロナルド・レーガン大統領の時代(1981年1月~1989年1月)と重なっています。その頃、今の大統領は何をしていたのか?一族の家業である石油関連企業の社長や最高経営責任者になっていますが、原油安の影響もあって失敗続き、経営していたハーケン社の株取引で大儲けしたのが「インサイダー取引」の嫌疑を受けてしまった!でも、副大統領だったパパやパパの友達の力は絶大で、調査に当たった証券取引委員会(SEC)は、怪しい株取り引きの「前に」インサイダー情報を得た証拠が無い!と無罪放免を言い渡しています。それがレーガン時代のブッシュ息子のやった事です。