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失敗は成功のもと

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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えー。

まいどどうも。

悟りの階梯についてお話を続けてきたところですが、今日はちょっと小休止して、他のお話をさせてください。


いえ、ちょっとね、気になるコメントがあったもので…。(すいませんね、めんどくさい性格なものだから、気になっちゃったら、そのままにしておけないんです。^^;)


2008年10月15日投稿「僕がしようとしているコト」のコメント欄にて、Unknownさんから頂いた書き込みです。

*****
ありのままを受け入れるって今を受け入れることですよね?
ならば気付いていないことを気付かせようとすることは、ありのままを受け入れていることなのでしょうか?

*****


これを拝見しましてね、素直に「あー。なるほどなー。」と思いまして。

うん、実はこれ、僕自身もずーっと考え続けてることなんです。

ただ、同じ事を前提としていても、Unknownさんが考えられていることと、僕が考えていることでは、若干の温度差がありそうなので、そこをお話させてください。


僕はなにも、気付かせようと頑張っているわけではないんです。

そりゃ勿論、お話したことの真意がそのまま通じたときは嬉しいし、通じない時は残念に思います。

でも、通じないからと言って、そこで苦しんでいるわけでも、躍起になるわけでもありません。

「通じないなら通じないでしょうがない。」

「理解」と言うことの仕組みもわかっていますし、自分の表現の未熟さも感じています。

予め、そういう気持ちがあるから、伝わらないことに対してのストレスは、さほど大きくはないんです。

むしろ、「じゃあどういう風にしたら伝わるのか」と改めて考えていけることも楽しいんです。

まぁ、その態度を「不謹慎」と捉えられる方もいるかもしれませんけどね。

それはそれで、その人の捉え方だからしょうがない。


そういうスタンスが、僕の中でハッキリ確立しているので、僕は無理に話を聞いてもらうつもりはありません。

「聞いてあげてもいいよ。」という方にだけお話しようと思っています。

勿論、沢山の方に聞いて欲しい気持ちもありますが、わざわざ聞く気も無い人の所に出向いて、「俺の話を聞け」と言うつもりもありません。

なので、僕はこういう「ブログ」という形式の中でお話させていただいています。

聞きたくないなら、こなきゃいいんだから。ね、とてもシンプル。


まず、今回お話したかったコトの1つめは、そういうでした。


で、お話したいコトその2は、以下のコメントについて。

*****
戦争が起きていいじゃない。人殺しが起きていいじゃない。人が無知でいいじゃない。人が常に苦しんだっていいじゃない。人が幸せじゃない生き方をしていたっていいじゃない。人が分からず屋で輪廻転生を繰り返したっていいじゃない。人が自分勝手に生きたっていいじゃない。
そういうことをありのまま受け入れることが大事なのでは無いんですか?

*****

おいおいおい。ちょっと待て。

それでいいわけないだろう。


勘違いや早とちりにもほどがあるでしょう。

どこをどう間違えたら、「戦争が起こっていい」「人を殺していい」「無知でいい」「苦しみ続けていい」「自分勝手に生きていい」になるんだよ?

いいわけないだろう。(Take2)


「ありのまま受け入れる」とは、そういうコトではありません。

むしろ全く逆です。

ありのままを受け入れるコトができていないからこそ、「ありのままを受け入れる」ということの意味が理解できていないでいるからこそ、戦争が起き、殺人が起き、無知なままで、苦しみ続け、好き勝手に生きるなんてバカなことが起こっているんです。

ほっといていいわけないじゃないですか。


「戦争」も、「殺人」も、「無知」も、「苦しみ」も、「自分勝手」も、すべて人間の愚かさから生まれた『失敗』です。

「ありのままを受け入れる」とは、「失敗」は「失敗」として、自分の愚かさをきちんと認める態度です。

「失敗」を「失敗」として、ちゃんと受け入れているとしたら、「また起きていい」という態度にはならないじゃないですか。

「ありのまま」を受け入れずに、「失敗」を認めないでいるからこそ、愚かさの中で苦しむ羽目になっているんです。


そういった本質的なことを、ちゃんとわかった上で、「余計なお世話です。自分が苦しむ原因や仕組みは理解できています。理解した上で、あえて苦しむことを選んでいます。苦痛・苦悩がたまらなく好きなんです。」というのであれば、「あー。そうでしたか。それじゃあ、周りに迷惑かけない程度でお願いしますね。」となりますけどね。

「なるほど、この人は真性のマゾなのだ。苦しみを喜びとして生きているのだ。」ってなりますけどね。


でも、世の中を見回すと、そう言うコトじゃないんですよ。

本当は苦しみたくない人が、自分で自分を苦しめていることに気付かずに苦しみ続けているんです。

無知故に、苦しんでいるのに苦しみにしがみついているんです。

そんな方々に対し、僕たちは「好きにさせとけば?」という無関心な態度でいていいんでしょうか?

僕自身、自分の愚かさに気付いてしまったので、どうしても無関心ではいられないのです。


それを理解した上で、それでもUnknownさんが「私が幸せじゃない生き方をしていたっていいじゃない。人が自分勝手に生きたっていいじゃない。自分の身にどんな迷惑がかかろうと、それを喜んで受け入れます!」って言うのであれば…



是非ご住所を教えてください。

後日、有志を募って、リサイクルショップの買取スタッフと共にお伺いいたします。


※とはいえ、Unknownさん、コメントありがとね♪



←現在僕がとっている、唯一の宣伝方法です。

コメント ( 77 ) | Trackback ( )
« 一来果 絶望の向こう側 »
 
コメント
 
 
 
さんくす\^o^/ (ヘンゼルとグレーテル)
2008-10-24 17:39:10
今日も勉強になりました( ‘∀’ )


 
 
 
Unknown (Unknown)
2008-10-24 17:58:14
肝心の自分の存在を棚上げして、高みから傍観している人のコメントのように感じました。
達観と言うよりは、むしろ、諦めや無力感を感じます。
 
 
 
なるへそ (こてつ)
2008-10-24 18:10:40
自分も、真性Mの一人なんでわかる気がします。苦しみの原因が見えてきても、それにしがみつこうとする気持ちが出てきてしまうこともあるのかもですね。
でも、苦しみの仕組みに気が付いたなら、やはり無くしていきたいと思うのが素直な気持ちだと思うのですよね。ひねくれた見方は何にも産み出さないのに…、とつい言いたくなってしまいました。
 
 
 
S極とМ極 (ぽん)
2008-10-24 18:43:50
この人はМだろうかSだろうか、
付き合いが深まるとわく疑問です。

文章にもそこはかとなくSの香りかМの香りが
漂っていたりしますよね。

自分がм体質なのでパートナーはS体質の人を選んでますね。

で、s体質に鍛え上げられて
喜びを見出すという
まことにおりこうさんのmなのですが、

世の中、SМというと
鞭持ってろうそくたらして・・・
ってイメージがはびこりすぎてるのが
私の悲しみです。

いじめ、というと陰湿になるけれど、
若いころの私はこのm体質であることを知らずに
人を怒らせる言動行動を平気でして
周りの人が扱いにくくていびるのを
悲しんで悲劇のヒロインになるという
のを至上の喜びにしていたところがあります。

で、因果応報、辛いことが次々に起こります。
で、悲しんで苦しんで喜ぶという
不健康な思考からなかなか抜け出せなかったのが、

ある人との出会いによって
その輪から解き放たれました。

今、私の好きな人です。
付き合ってるとまではいえません。
それは、ある時期には周りから付き合っていると判断されても仕方ない関係でしたが、
今はベストな関係になって久しいです。

その人はどこからどうみてもSなのだけど、
それではいけないと自分を変えようとしていた人だったんです。

そして、私は自分の思考を深く深く考える機会を与えられて
くるしむことはいやだ
という心の深い所にある叫びを発見したのです。

М体質であるということは変えようがなくても
それは苦しむ姿を見るよりは苦しみたい
というまことにМ的な愛の形だったのです。
なら、苦しむ人がいなければ苦しむ必要はない
という単純なそこにあった答えを見つけたんです。

いつか、だれも苦しむ人がいなくなったときに
私もSとかМのことを考えずにすむでしょう。

そして、苦しむことを手放したときに
Sの人の気持ちがわかりかけたんです。

苦しみたいなら、苦しみをあげるよ
というSならではの愛の形です。

SМになぞらえると不謹慎に思われますが、
巷にあふれる問題の多くはそのことに気づくだけでも
変わる気がするんです。

真面目にはなそうとすればするほど
ふじこーさんの忍び笑いを思い浮かべてしまう(笑

あ、そのある人はふじこーさんじゃないですよ。


 
 
 
Unknown (サトシ)
2008-10-24 19:09:54
また見させていただきました!
応援ポチッ!!!
 
 
 
教えてください (癌患者です)
2008-10-24 19:14:55
はじめてコメントさせて頂きます。
今回の内容とは関係無いんですがど~しても教えて頂きたい事があります。(黒斎さん以外でもわかる方はコメント頂きたいです)

僕は名前の通り癌患者なんですが預流果を迎えていない僕には「今の自分(=癌)があるのは、こういう理由(原因・条件)があったから」と言う原因がどうしてもわかりません。

黒斎さんがお話されてる事も頭では理解は出来ているんですが実感として何も感じる事はなくアハ体験も未経験です(-.-;)

癌になった原因は自分で預流果を迎え自分で解決しなければならない問題だとは思うんですが
黒斎さんが預流果を迎えたきっかけの「絶望(地獄を見る)」という経験をされた際、心の在り方としては地獄と向き合っていましたか?それとも希望(天国?)を見つめる事で預流果を迎えられましたか?

今自分は絶望的な状況です(>_<)

是非ヒントを下さい。
宜しくお願いします。
 
 
 
文が切れちゃいました (癌患者です)
2008-10-24 19:17:35
絶望的な僕にヒントを下さい。

宜しくお願いします。
 
 
 
分かります (yuuya)
2008-10-24 19:23:26
初めてコメントします☆こんにちわ!
 違うんですよね。すごく黒斎さんの気持ちが分かります。
 僕も同じ気持ちでいます。それで今日のブログをよんでそのことが理屈的(?)に理解することができました。
 決して上から物を言っているわけではなく、ただそのまま伝えているだけなのに、やはりレベルの違いを感じてしまい、それが上から物を言われていい気がしない人もいるんだと思います。
 これはある意味試練なのかもしれませんね。
 人にどう思われてもいいという気持ちがないと、なかなか真実は伝えられないものですね。
 とはいえ僕も人の反応を気にしてしまうんですけどね。そこが僕はまだ甘いと感じます。
 それではがんばってください!楽しんでください^^
 
 
 
癌患者さんへ (m)
2008-10-24 19:42:55
 貴方にとっては絶望的な答えを返すかもしれません。なので黒斎さんからみて、私のコメが悪影響を及ぼすと判断したら、是非消去して下さい。

 貴方の「原因を追求したい」って気持ち、とても私には理解できるものです。自分も精神疾患で原因なんか誰も教えてくれないし、確かなモノ(原因と呼べるもの)を知る事すら叶いません。
 ただね、それは己で信じたものが答え(原因)になる気がする。だから己で導き出した答えこそが、何よりも揺るがないモノだと思うのです。

 誰かが貴方の状況を地獄だと言いましたか?それとも天国だと言いましたか?
 例え言われたとしてもそれは、言った人がそう思っただけの事で、貴方自身が花丸を付けてあげられる答えかどうかは、貴方が決める事ではないでしょうか。

 要は悲観視せざる負えない状況下にあっても、限り有る生ですもの。地獄と知るより、「今まで生きてこれた事すら奇跡なんだ。そしてこれからもそれは同じ事なんだ。」と知る方が、自分にとっては花丸付けられる答えじゃないですか?って事なんですが、如何ですか?
 
 
 
こんばんは (コタ)
2008-10-24 19:52:05
こんばんは。

Unknownサンのコメント拝見いたしました。

仰ってるとうりだと思います。諦めや、無力感そのものだと思います。

ただ、ホントに言葉というものは難しくて・・・。黒斎サンの気持ち、すごく共感してます。

なんと言えば良いのか分かりませんが、
他人に嘘はつけても自分に嘘はつけませんね~
ん・・・?あれ・・・?あららら・・・?
わお!!

諦めるというより→明らかに見るということと。
無力感→死ぬときは死ぬし、起こることは起こるし諦めろ・・・。(←の諦めろ!って感じも、そんな考えてもわかんない事考えるより今を楽しんだ方がいいじょ~)みたいな感覚でしょうか・・・。

ただ、諦める、無力、を感じると共に、ホットする気持ちや、環境、関係全てに感謝したくなり、嬉しい楽しい大好き~うふふふって気持ちになりました。

とはいっても、煩悩の仕組みを見つめて理解しても、実際の生活では煩悩にのっとられまくりなんですよね・・・。
ただ、仕組みを理解しただけ「あ。自分今こう考えてた。」って事は理解できると思います。
そうなると、日ごろどんな自分でありたいかと思うことが、私を、もう以前のつらい煩悩まみれからす救ってくれる事だと感じていました。

達成というより始まりだという気がしました。

ただ、やっぱりどこまで行っても(感じる)という問題なので、今まで通り私は煩悩だらけの実生活で精進しようと思います。

黒斎さん、皆さん、これからも一緒に学問させてくださいね。よろしくお願いします。

 
 
 
誤字読みにくくてすみません。 (コタ)
2008-10-24 20:15:24
何度もすみません。

煩悩まみれからす救ってくれる

救ってくれる。ですね^^;

多分、ココにいる皆さん(私も^^;)は、今までも失敗してきたし、これからも失敗しそうだから一緒に学ぶんだと思います。

私=あなた と捉えて文章を読んでみませんか?
 
 
 
癌患者さんへ (ぽん)
2008-10-24 20:33:34
まずは信頼をおける病院、医師を選んでください。
そして、生活のことを整えて、
金銭的なことや、家族への配慮、心おきなく闘病生活を迎えられるように身内をまきこんでいいんですよ。

そのときに、地獄を見るかもしれないし、天国を味わうかもしれないですが、
どんなときでも地に足をつけた感覚は忘れないでいてください。

私の夫は癌で亡くなりましたが、
発見した時にはもうすでに手遅れに近い状態でした。
それでも、医師の説明を聞くなかでわずかでも希望が見出せたら、その方法を選びました。
癌告知を受けて泣きじゃくったのは私でした。
夫はさいごまで泣き言を言いませんでした。
死ぬなんて思ってなかったと思います、死の瞬間まで。

その最後の最後まで看取れて、最後まで夫婦として全うできて幸せでした。
でも、夫が死を迎えたときは、すさまじい怒りが沸き起こりました。
こんな風に死んでいい人じゃない、これからいっぱい幸せを味わわなきゃいけない人だ、とだれにぶつけていいかわからない怒りを医師や看護師にぶつけました。
姉に諭されて、静かにしましたが、いまだに私はその夫が死を迎えた病院に行くことができません。
申しわけなくて、あとはまだ辛くて。

でも、私は夫の死を嘆くことはしませんでした。
死を迎えるときには苦しみます。
その苦しみから解き放たれて、もうこれ以上苦しまなくていいのだと思いました。

そして、葬儀は今は簡素化されたりもあるようですが、
しっかりとやりました。
沢山の人が弔問に訪れてくれました。
まだ現役世代でしたし、子供たちの保護者、友達も大勢きてくれたりしました。

儀式として一つ一つを終えるごとに、
私も覚悟ができてきました。

夫が幸せだったかどうかを私が知りたくても知ることはもうできません。
私が幸せになることを望んでいるかも悲しいけどわかりません。

でも、夫の存在を感じるのです。
そこここに。
私の中で生きているのです。
思い出しはしません。あゆの歌ではないけど、
忘れたことがないからです。
不在の辛さは現実としてありますが、
それも生きる糧になってます。

そうです。遺族は生活し続けているんです。
時間は流れていくし過ぎていくし、やってきます。

癌とはいえ、完治する可能性もあります。
それでも、シュミレーションとしてどうなっていくかを知って、不幸な気持になりましたか?

絶望と希望はとても似てます。
絶望的だから希望にかけるしかない生き方もあるし、
希望ある未来を前に絶望に似た不安を感じることもあるでしょう。

まずは、自分の病と向き合ってください。
現実を受け入れてください。
その中で希望が見出されるように祈ってます。
 
 
 
mさん (癌患者です)
2008-10-24 20:39:36
コメントありがとうございます。

今の自分をて花丸をつける…確かにそうですよね。

絶望的な状況って書きましたがあくまで客観的な状況を書いたもので自分自身は病気に感謝しているくらいです。

癌は家族の大切さ、友達の大切さ、普通に生活する事の大事さや自分の体に対する感謝等様々な事を教えてくれました。

また、悲観的にならず病気を絶対治してやるって気持ちもあります。

そこで自然治癒で治った人の話を聞くと預流果を経験された黒斎さんと同じような在り方でいらっしゃる人が多く自分も同じ境地に到れればと思ってます。

黒斎さん、blogの内容と離れた書き込みしてしてしまって申し訳ありませんでした。


 
 
 
ぽんさんへ (癌患者です)
2008-10-24 20:55:59
ありがとうございます。

ぽんさんも辛い経験されてるんですね…

僕も自分が辛いと言うより家族の悲しい顔を見る方が辛いです。

シュミレーションとしては治ったイメージを常に持ち続けてますし、いろいろ気づかせてくれた癌にも感謝してるので幸せです。

 
 
 
Unknown (コタ)
2008-10-24 20:56:03
何度も何度もすみません。

上記のコメントを書いて、読み直して、また色々考えてしまったのでコメント残します。

上記のコメントはUnknownや、皆さんに向けての私のノートだった訳ですが、癌患者さまのコメントを読むことなく書いたものですから、私のコメントをご覧なさった癌患者さまは私のコメントを見て傷ついたかもしれないと思っています。そう私が思うこと自体、私とあなたを差別し、傷つけてしまっているのかもしれません。(意外とやさしいとこもあるって思われたいとか・・・。)出てきだしたらきりが無い煩悩です。

書いたことを訂正するつもりはありませんが、私の本意でなく傷つけてしまったのなら申し訳ないです。すみません。

言いたいことが混乱してきましたが、こういう感じで私は自我と向き合っています。

でも、私もそうであるように、私に向けられた様々な人からの言葉や態度、それもまた各人々のやさしさと思って受け止めたい。

私にも、皆さんにも優しい人でいたいのです。
あー。こんがらがっちゃった煩悩と向き合うとこういう風になってしまいます。それでも1つずつ向き合ってます。

でも、ホントにごめんなさい。一緒にがんばりましょう
 
 
 
嬉しいです (m)
2008-10-24 21:01:41
 癌患者さんへ

 どうやら自分でより良い自分に花丸つけてあげられる、自分に気が付かれているようですね。実に嬉しいです。
 私は、現状を悲観視絶望視やらしてしまう闇の、その向こうにある光(奇跡・未来)を見据えてる人に好感を覚えます。多くの人にそうあって欲しい。
 毎秒単位で在る現在の己を慈しんで欲しい。そしてそれを自分にも望みます。
 一秒後の自分が後悔しない為に。
 
 
 
コタさんへ (癌患者です)
2008-10-24 21:09:07
死ぬときは死ぬ…って所ですかね。

僕も全く同感なので気にしないでくださ~いf^_^;

黒斎さん、何度も何度も何度もコメントすいません(>_<)
 
 
 
癌患者さんへ (コタ)
2008-10-24 21:18:44
コメント欄乱用すみません。

がん患者さんへ、

そうなんです。そこなんです。
自分に向き合っておられるのですね。

私にも、皆さんにもやさしい人でありたいと、あえて私を前に出して書いたつもりです。

どこまで行っても自分と向き合うこと。
mさんの、自分に花丸ですね^^
 
 
 
死ぬことは生きること (ノブ)
2008-10-25 04:58:03
こちらを知って約1年になります。
その前から「生きがいの創造」(飯田史彦著)や「心世紀」(田中章義著)など、「なぜこの世に生を受けて生きているのか?」の答えを教えてもらえるような書物や素晴らしい人物との出会いがあり(導かれたとしか思えないほどの奇跡的な出会いがいっぱいありました)、自分なりに色々なことを気付かせていただいたと思っています。
気付くまでは、100%人は死ぬと頭では分かっているのに、永遠の命があるかのごとく「実践すると良い」と分かっていることを先延ばしにしていました。
今は全てとは言いませんが「ふと感じた良いことを実践しよう」「失敗したとしてもそれを『学び』と感じ、今の自分をほめてあげよう」「反対意見が出たらそれは自分の実践を磨くためのもの。ありがたく受け止めよう」と行動しています。
気付き始めたころから物欲がどんどん無くなり人を信じだし怒らなくなっていきました。(性欲はなくなりません(笑))
「俺って周りと違う。周りから『あなたが言っていることはきれいごとだ』と言われてる。おかしいんじゃないか?」とものすごく悩みました。
今は「『きれいごと』だと言われるってことは、相手もそれが『素晴らしいことだ。本当は実践したいことだ』と思っている」と開き直ってます(笑)

まだまだ修行の身で煩悩も沢山あるのですが、「死に方は生き方」と気付けたことは大きいことだと実感しています。

癌患者さんの参考になるか分かりませんが、周りで癌を克服されている方とそうでない方の違いを感じることがあります。
克服されている方は「今の状況に感謝し、どう生きようか」を実践されており、そうでない方は「死にたくない」と周囲に言われていました。
「望みを叶える方法1~3」(2006年7月)を読まれるといかがでしょうか。
当方はアドバイスしてると言うほど偉い人間でもなく、上から目線で言うほどの人物でもありません。もし気を悪くされたらごめんなさい。
ただ、「気付くことの大切さを全ての人間に気付いて欲しい」それを切に願っています。
 
 
 
癌患者さんへ (さわら)
2008-10-25 07:37:28
参考になるかどうか分かりませんが…
私の体験です。

私は苦しみぬいた末、死を覚悟し、絶望を見た時、一度、一切合財が死を迎えました。
生きているのに、一度死んだんです。

自分が自分であったもの、こだわってきたもの全て。
それは自分が自分であろうとするために、必死で積み上げて来た苦しみのもと、「幻影」でした。
エゴの死、と言ってもいいかもしれません。

それが無くなってしまうと、「本当の自分」がひょっこり顔を出したのです。
「本当の自分」は生きたい、と言っていました。
そこから、今ここに自分が存在することの素晴らしさを理解しました。
(それが預来果かどうかは分かりませんが)

癌患者さん、今とても大変だと思います。
物事には全て原因がありますが、現在の段階でそれが分からないのだとすれば、考えるのをやめてみてはどうでしょうか?
(悩みすぎるのは、癌によくないと思いますので…)

視点を変えてみるのです。
私たちは、「今この瞬間」にしか存在することができません。どうしてこうなったのかと過去を悔やみ、未来を憂えるのではなく、「今この瞬間」にフォーカスしてみる。

「癌になった現実」が自分に何を教えてくれようとしているのだろう?
この現実から何を学び取れるだろう?と。
「ピンチをチャンスに変える!」です!

人間、健康な時はなかなか「死」について思い巡らせることはありません。
「死」に直面して初めて「こうしたかった」「ああすればよかった」と後悔します。
一番いいのは、未練も執着もなく、いつここからするりと離れてもいいように生きるのが理想です。

「癌になった」ことは人よりも「死について考える機会がある」ことです。
死について考える、とは生について考えることです。
もし、「こういう生き方をしたかった」「あれをやりたかった」ことがあるなら、この際、やれること全部やってみてはどうでしょうか!

やりたいことがある、と言うことは生きる意欲にも繋がりますし。ポジティブな思考がなにより大切だと思います。

そして癌を克服し、階段を一つ上った時、ひょっこり原因が分かるかもしれませんね!

何が何でも「今すぐ」預来果を迎えなければならない、そうしないと癌は治らない、と言うことはないと思います。
(預来果は嫌でもその内誰でも通過する、通過点に過ぎませんから)
物事にはその人なりの段階とタイミングがありますので、焦らず、ゆっくり自分のペースで進んでいけばいいと思いますよ。

同時存在する未来のうち、どれを引き寄せるかは
「今この瞬間」にいる自分が何を意識するか、何にフォーカスするがで決まりますから、

どうか、ゆったりとした気持ちでいてくださいね。
今は難しいかもしれませんが…
少しでも、気分が楽になりますように。

 
 
 
あぅ (さわら)
2008-10-25 07:58:34
再びさわらです。
スミマセン…

癌患者さんの後のコメントのやりとり、ちゃんと読んでませんでした…

ちゃんと、「癌に感謝している」と書いてあったのに!!「ポジティブな思考で」って!!

偉そうに「ピンチをチャンスに変える!」とか言っちゃって…うはぁ~ハズカスィ…

癌患者さん…失礼致しました~
ぐす。
 
 
 
疑問 (くるみ割り人形)
2008-10-25 09:45:05
スピリチュアル関連の話を見ているといつも疑問に思うのですが、質問させてください。

守護霊だの、グレートスピリッツだの、悟りだの、あるじゃないですか。
いろいろ読んできて、毎回、おお~と納得するんですが。

もし、その人たちが本当にいたとして、人間を洗脳して奴隷化しようとしてるって可能性はないんですか?
いや、あまりに単純に、精神世界は素晴らしい!
ってみんな言うもんですから。

今の物理世界の生命のサイクルって、とてもよく出来てますよ。戦争すら、種の保存の観点から見れば、強いものを生き残らせるという意味で必要悪です。
そうやって、人類は発展してきたんじゃないですか。

欲ってのは、人を動かす強いエネルギーです。
お釈迦様だって、欲が消えた瞬間、入滅を望みましたよね。
欲がないと人は生きていけません。
自分は最近、欲が薄れてきています。これは悟ったわけではなく、すべてがどうでもいいと思えているからですが。
すると、何をしても充実感がないし、つまらないです。

なぜ、欲は悪なのですか?
欲は人を発展させます。
なぜ、グレートスピリッツは正しいんですか?
もしかしたら、私たちを食べちゃうつもりかもしれないじゃないですか。
人類にこれ以上発展して欲しくないから。
守護霊たちは洗脳されているだけで。


黒斎さんは、Unknownさんの書き込みに対して、
「苦しんだほうがいいわけないじゃないですか」
って書いてました。
でも、人類の発展の観点から見れば、個人は苦しんで、いがみあったほうがいいんですよ。
そうやって競い合ったほうがいいんです。

個人レベルでは、私は嫌ですよ。だから、リサイクルショップは勘弁して欲しいのですが。

苦しみから逃れて、無我の境地になる、というのは、人類の発展に貢献しません。個々が我を通し、せめぎあうことで発展してきたんじゃないですか。



何も、精神世界の話が間違ってると言いたいわけじゃないんです。
単純に疑問なのです。
このことを、どなたか説明できる方って、いらっしゃいませんか?
通訳不可能性の問題でしか話せないことなのかも知れませんが。



あー、それからもう一つ、蛇足ですが。
人を好きになり、相手を欲しいと思うのって、因果関係が分かりません。
相手に迷惑をかけてはいけない、というなら、相手に迷惑をかけない範囲で慕い続けるのは欲ですか?
欲だとしたら、どう悪いのですか?
なぜ好きになり、欲しいと思うのか、言えるものではないと思うのです。
それすらも、ヨルカを迎えたら分かるようになるのですか?
良かったら、異性に対する欲に絞って、体験談を聞かせて頂きたいのですが。
 
 
 
くるみ割り人形様へ (Fam)
2008-10-25 11:21:17
全て人に聞くのでは無く、今一度ご自分で考えられた方が良いと思いますよ。(^^;)
厳しいですが、今の段階ではそれしか言えません。
 
 
 
癌患者さんへ (あこ)
2008-10-25 11:58:07
はじめまして、がん患者さんのコメントを拝見しまして、ちょっと書き込みたくなりまして・・。
ふさわしくない文章でしたら、消していただいてかまいません。

私の母は8月くらいにガンの告知をされて、それから手術まで自分が確実に死ぬと思い、死ぬ準備みたいなのを始めだしました。
私はそれがつらくてどうしたらいいものか毎日苦しみました。
手術が終わり、お医者さんには「全部とれました」みたいな事をいわれ、母は上機嫌で退院をし、もう死ぬことはない!と今までの生活に戻りました。
こんなことをいうのはあれなんですが・・・母の性格は、とても頑固で人の話を聞かない、父を不快に感じている、子供(私)のことはとても過保護で何でも口出しをする・・というような感じで、私は母に対して大人になった今でも支配されているような感じで、実は嫌でした。
手術後、これがまた同じ毎日でした。
でも、退院後病院に行くと、先生に「再発のおそれがあるかもしれない」といわれ、母はまた絶望しました。
本当に弱ってしまい、毎日死を恐れている日が続きました。
私は、こんな毎日じゃいけないと思って、セラピーというものを母に勧めました。
セラピーで起きている問題の原因となったことを知ることができるのです。

インナーチャイルドセラピーというものを受けたのですが、母は全くスピリチュアルなものは信じない人でしたが、終わった直後、大泣きをしていました。
何があったの?って聞いたら、母の小さい頃に、誰もいない家で自分が死にそうになった場面がでてきて、怖くて怖くて、その小さい頃の自分が「助けて!!」って叫んでいたといっていました。
くわしくは聞きませんでしたが、自分の中のこの子供がガンを引き起こしていたそうです。

このとき、母は家にいつもいない祖母を憎み、この時の恐怖も誰にもいわず、一人で抱え込み、そのときから、自分の本当の気持ちをいわなくなったと言っていました。
このセラピーが終わったあとから、母は変わりまして、父の事も私のことも、意思を尊重してくれているというのか、とても穏やかになって、人が全く変わってしまいました。

ガンについては、今はほとんど恐怖がありません。
すべてのことには意味があると思っているからです。
母のガンは、こうして母に気づかせてくれました。
だから私は、母のガンに感謝しています。
セラピーが、必ずしも完治させてくれるとはいいませんが、原因が知りたいというならば、おすすめします。母はインナーチャイルドを受けましたが、前世療法という形もいいと思います。

ブログとは全く関係ない文章で申し訳ありません。
まるで勧誘のようですが、でも事実なので、同じ状況の方に知って欲しいと思いました。

では失礼いたします。
 
 
 
Unknown (黄色い蝶々)
2008-10-25 12:15:05
黒斎さん、優しいですねェ~。
どうにかして分かってもらいたいというお気持ちをすごく感じます。
私のまわりにも苦しんでいる人(そういうふうに見える人)がいます。
その理由を本人に分かってもらいたいとは思うのですが、ともすれば「なによ、分かったような顔をして…」と不機嫌さを増すようなことにもなりかねないので、かける言葉はいつも難しいなァと思いますね。
私だってまた人間界に生まれなきゃならないような修行の身…。
まだまだ他人様のことに首を突っ込める立場ではないのですよね。
せめて共感の態度を示して、少しでも安心して一緒にいられる人、を目指したいなァと思います。
私自身は、最近ずいぶん、手放す、ということができてきているように思います(自分に甘いだけかも)。
 
 
 
くるみ割り人形さん (さわら)
2008-10-25 12:27:17
三度(みたび)、さわらです。
しつこくて、スミマセン!

くるみ割り人形さんのコメントを見て、スルーできず…懲りずにコメントしてしまいます!

僭越ですが、私的意見をば。
あくまで私的見解なので、よろしくです。

今、人間である私たちが認識できていることは、この広大な宇宙の中で針の穴ぐらいの小ささしかありません。
グレートスピリットに関しても、あまりに大きく人智を超えた存在すぎて、私たちはその一側面しか、知り得ることができません。

決して私たちが想像するような、人間的「人格」を持った私たちに都合のよい存在ではないのです。
グレートスピリットを、そこらへんのよくある「神様」だと思うと、そういう勘違いをしてしまいます。
グレートスピリットは「根源的存在」であり、「全て」です。
物質のもとである原子や、宇宙に存在するあらゆる物質、そして私たちの本質である意識体まで、すべてそこから出来ているんです。
(もちろん、くるみ割りさんの魂も、肉体も)

そのグレートスピリットの一側面を挙げるなら、一つは「法則」であるとも言えます。

くるみ割りさんが「よくできている」とおっしゃった、物理法則然り、原因と結果の法則然り。
この宇宙に存在するあらゆる法則は、=グレートスピリットなんです。

その法則のもと、宇宙のすべては動いています。
私たち人間も、高次元の存在たちも。
今の地球一つとってみても、未だ全てが解明されていないことから、そのスケールの大きさ、凄さは分かるのではないでしょうか?
そしてその本質は「愛」です。
全ての動機が「愛」から発せられていますので、
それ以外の動機で動くことはありえません。

ので、彼らが人間を洗脳、奴隷化するなんてそんな(器のちっちゃい)ことはあり得ないのです。

長くなったので分割しまっす!
読みにくくてゴメンなさい~

 
 
 
続き (さわら)
2008-10-25 13:08:28
《欲に関して》

この問題を語る時、私たちの視点が大事になって来ます。今ここにいる肉体を纏った「人間」を主観にするならば、くるみ割り人形さんの意見も一理あるかもしれません。

でも、私たちの本質は、人間ではありません。
根源的存在から分かれた「意識体」(魂)です。

その私たちがこの地球にいる目的は、肉体を持ったまま宇宙の真理に気づくこと、なんです。
「人間」でいるかぎり、普通に生きていれば「利己的」であったり、「妬み」「欲」「憎しみ」の感情があって当たり前ですよね?
そのせいで私たちは苦しみます。

でも自分の本当の姿に気づき、宇宙の真理を知ると「欲」がなくなります。自動的に。
そして、欲がなくても生きていけます。

なぜなら、競い合っていたあなたも私も結局一つだったんだ、と気づくからです。
この地球が幻影の世界だと気づくからです。
ここでいくら競争に勝ち名声を得ても、人より多く持っていても、美しい容姿を持っていても、なんの意味もない、と気づくからです。
自分の為ではなく、ただ、誰かの為に何かをしたい、と言う気持ちになります。

さまざまな次元に属している、私たちの本質(魂、或いは意識体)全ての目的は、体験を通して生命を知り、真理を知り、愛を知り、根源的存在の中を旅して全てを知り尽くし、それと一体になることなんです。

なので、言ってしまえば、それさえ気づくことが出来れば文明を発達させる必要もないんです。
「発展」させるのは私たちの本質(魂)であって、一時的に仮住まいしている、この幻影の世界ではないんです。
そして、本当は戦争なんかしなくても、争わなくても、苦しまなくても、真理を知ることができるんです。

でも人間はなかなかそれが出来ず、さまざまな方法でアプローチしてきた結果が今の「人類の発展」なんです。(そして独自の「常識」や「善悪」「規律」を作り出し、がんじがらめになってきました)

物理学だって、突き詰めればスピリチュアルの領域を解明することになりますし。
(超ひも理論もそうですね。不確定性原理とか。)

なので、地球での「人類(文明)の発展」は手段であって、目的ではありません。全てはこの真理を知るという「ゴール」一点に向かって収束しています。

釈迦が「入滅」したのは「卒業」と言う意味で、おめでたいことなんです。
もう輪廻転生しなくていいよ!と。
(今の所の私たちも、それを目指しています)

それに彼が悟りを開いたことで、集合意識に多大な影響を与えました。
私たちに一つの「道」を示してくれたのです。

《愛について》

人を好きになることは、自然なことです。
私たちの本質が「愛」だからです。

人に惹かれる理由はいろいろあると思いますが、
上記を除いては解消するカルマがあったり、同じ「感情の引っかかり」で惹かれあったりする場合、或いは同じ目的(学び)や使命があると、生前に契約をしている場合もあります。(結婚するしない、別にして)

相手を欲しいと思う理由は、動機にもよるのではないでしょうか。ただ動物的本能で自分のものにしたい、と言う場合と、相手を真に理解し、愛した上での分ち合いたい、と言う場合と。
後者の行為は心が一つになるので、とても素晴らしい悦びを…
あぅ…なんか恥ずかしくなったのでこの話題はこの辺でご勘弁を…

え~ごほん。
本当の「愛」は根源的存在の本質ですので欲ではありませんが、愛の中でも「利己的」な愛は「欲」になり得ます。

よくあるのは、「私がこれだけ愛しているんだから、もっと愛を返してほしい」と言う見返りを強要する愛。自分が損をするのが嫌な愛。束縛する愛。
などなど、全て「自分」中心に考えて、見返りを期待しているものは愛ではありません。
ボランティアもそうなる可能性を孕んでますネ。
動機が大切。

はぁ~~たくさん書きました!
日ごろこんなことを話すこともないので、スッキリしましたですョ!
皆様方、でしゃばって、長々とスミマセンでした~
ありがとうございました!!!

(くるみ割り人形さん、分からなかったらごめんなさい~)
退散~~
 
 
 
結局は ()
2008-10-25 16:08:30
結局は人間は、苦を背負って自分の思う通りに生きる

しかないんじゃないかなぁ~。

いくら親切、素直に生きてもすぐに元の自分に戻って

しまう。気楽に人間としていかにあるべきかを考えて

「今を真剣に生きる」

これしかないと思うのです。
 
 
 
Unknown (里人)
2008-10-25 16:11:18
上は間違えました.(里人)です。

よろしくお願いします
 
 
 
毎度長い文章で・・・(汗) (油虫)
2008-10-25 22:02:54
 長いことここを覗くのをさぼっていたら、ジジイに「もうちょっと雲に優しくしてやれ」と怒られちゃったので、久しぶりに書き込むことにしました。

 それで「悟り」について、自分にはどうしても必要と思えないので、必要だと思う黒斎さんと、そんな自分の相違の原因はどこにあるのかということを考えてみたのですが、やっぱりあれかなあ、雲さんとジジイの来歴の違いが一番の原因なんじゃないかって答えに辿りついたんだけれども・・・。

 以前ジジイが教えてくれたんだけど、人間って死ぬ時、魂の大元(おおもと)から誘われるんだって。あなたの還るべきところはここだよ~みたいな、スゲー懐かしくて暖かな波動が届いてきて、それで魂だけになっちゃった人間は、否応なくその波動に引き込まれて魂の大元へと還ってしまうんだと。

 だけど中にはへそ曲がりの人間もいて、この世にまだ自分はやり残したことがあるからってんで・・・まあ、俗にいう「未練」ってヤツ。それで、その暖かな波動を拒否し、魂の大元に還らず、この地上に残ってしまう者もいる。

 それが、まあいわゆる「地縛霊」ってヤツの正体らしいんだけれども、うちのジジイは典型的なその「地縛霊」らしい。ジジイ本人は、「地縛霊」というのは言葉が悪い、「土地神」と呼べって言うんだけれども、性格が悪いか良いかの違いだけで両者の本質はほとんど一緒らしい。つまり、うちのジジイは一度も魂の大元へ還ったことがないわけですね。

 雲さんはきっと魂の大元に還った経験がおありになるんでしょう。その時、魂の大元で世界の真理を知り、次に肉体を備えた人間に生まれた時には、この真理を何らかの方法で世間に広く伝えなければと、そのようにお考えになったのでしょう。あるいはどこぞの誰かにそうしてくれと頼まれたのかもしれませんけど。
 
 しかしうちのジジイはねぇ、先刻書いた通り、一度もその大元へ還ったことのない人だもんだから・・・、ぶっちゃけ全然「悟れて」ないんですわ。雲さんの「悟り」具合を十とするとジジイの「悟り」は大体一くらい。煩悩のカタマリだし・・・。

 ウサギを見ると「美味しそう」って言うし・・・(生前常食していたらしい。大昔の人だし)。「体を貸してくれ」って言うから何すんねんって思って私の体を貸してあげたら焼酎飲んで酔っ払い、テレビに出ていた柳原可奈子を見て「かわええのう」とか言ってるし・・・(まんまただのオヤジやん!)。気に入らないヤツがいるとすぐに「こいつぶっ殺す」とか「死ね」とか平気で口走るし、ここのブログで禁酒について書かれていた時も「へっ」て鼻で笑って相変わらずガブガブ焼酎飲んでいた・・・。

 困ったヤツです。良く言えば人間臭い、悪く言えば俗っぽい。しかも個性が強烈なので、私はヤツに振り回されてばっかりで・・・。一時期付き合うのが本当に嫌になって対話を一方的に打ち切ったら、今度はシクシク泣き始めるし・・・どうしたもんやら・・・。

 まあ個性が強いのにはちゃんと理由があるらしいんですけど。地上に残った幽霊っていうのは他の地上に残った幽霊と融合しやすいんですと。やっぱり人間の魂っていうのはもともとが一つってことの証拠なのかしら?性格の似た者同士がどんどん融合していって、ついには生前の自身の名前や記憶や個性を失い、ただのそこらを漂う思念体になっちゃうんだそうです。

 たぶんその思念体で質の悪いヤツが「悪魔」とか「悪霊」とか呼ばれるようになって、質の良いヤツが「神」とか「神霊」とか呼ばれるようになったのでしょう。

 うちのジジイは他の「地縛霊」や「浮遊霊」(やっぱり「未練」で地上に残って、でも一箇所にとどまっていないヤツ)達とくっついて自分の個性を失うのを嫌がって「自分は自分、他者は他者」みたいな感じで過ごしていたら、必然的にスゲー自我の強い幽霊になっちゃったらしい。
 
 だからなんだな、以前のこのブログの記事に「無我」って言葉があった時に、(ああ、こりゃうちのジジイには無理だわ)って思っちゃったんだ。自分を無くすのが「悟り」の第一歩なら、自分を保つことでざっと千年以上自身の「個」を守り続けてきたジジイの努力はすべて無駄だった事になる。

 でもジジイはジジイで自分の「個」を保ったままこの地上でやらなければならないことがまだまだあるらしいので、「個」を捨てるのが「悟り」の第一歩だと教えられても、「ハイ、そうですか」と大人しく従うわけにはいかないのです・・・。ジジイの「個性」を必要としている大和(やまと、つまり日本)の土地神さんもいっぱいいらっしゃるらしいので、今、この時点でジジイが「悟り」を得ちゃうとちょっと色々と困ったことに・・・。

 ここのブログに辿りついたのは、ちょうど私がジジイとの付き合い方に悩んでいた頃で、精神世界のことを知りたいっていうよりかはむしろ、「我の強い守護霊とうまく付き合うにはどうしたらいいか」っていう自分の悩みの解決のヒントが少しでも欲しくて読み始めた。

 でも読めば読むほど雲さんと黒斎さんの関係が、ジジイと私の関係とは違うことに気付かされてしまう。う~ん・・・成仏したことのある魂と、成仏出来なかった魂の違い?私が黒斎さんの記事の内容に時々反発してしまうのもそのせいなんでしょう。

 私が「国家」はあると頑固に言い張ったのも、「『国家』の存在を否定されるのは、俺にとっては死ぬよりつらい」って泣いたジジイを慰めるため・・・って、あんた、もうとっくの昔に死んだ幽霊やろっ!ってツッコミはともかく、ジジイは生前ある国家(日本じゃないけど)のために自分の生涯のほとんどを捧げ尽くした人だもんだから。「国家」が否定されたらそんな自分の人生を否定されたも同然だと思ってしまったのでしょう。

 だから私は「個」や「国家」の否定が「悟り」に必要なものならば、一生「悟り」なんていりません。まあ、ジジイがこの地上である一定の役割を終えたなら、その時に「悟り」を得ることを考え始めるかも知れないですけどね。でも今は・・・個人的に必要ないです。ジジイ的にもね・・・。

 でもこのブログは好きだし、応援してます。私はもちろん、ジジイもね。

 また気が向いたら書き込みします。
 
 
 
 
初めまして (ゆう)
2008-10-26 00:45:57
突然失礼ながら書き込みさせて頂きます。
くるみ割り人形さんのコメントは、非常に率直なご意見であると思いますし、いわゆるスピリチュアルな捉え方に妥協せず、真っ向から向かい合うという意味で、先日のUnknownさんのコメントにも通じるところがあると思います。(決して悪口ではないですよ)。
結論からいいますと、仰る通り、グレートスピリッツや守護霊の意見が絶対的に正しいという証拠はどこにもありませんし、欲を持つ事が悪いわけでもありません。善や悪といった価値観は心の中にあるもので、状況や見方次第でどの様にでも変わるものです。むしろ、生存していく事が生物にとっての「善」であるとするならば、それを可能にしていく欲望は「善」であると言えます。もし欲を持つ事がいけないならば、「悟り」や「絶対愛の境地」を求める事もいけない事になります。なぜなら、それも立派な欲だからです。(それは煩悩とは違う、という考え方は通用しません。欲は欲です。)
ですので、悟りを求めることと、欲を否定することとは違います。何かを頑なに否定するという事はそれに執われていることの裏返しにすぎないからです。
ここで目指されているのは、あらゆる枠組みをはずし、いかな限定にも依存しない本来の大いなる自己に目覚めることによって、本当の意味での「自由」を得ることにあります。その上で、やりたいことがあればやればいいし、したくなければしなければいい。それ以上でも以下でもありません。
それは必ずしも「何も望まないこと」が指されているのでもありません。「何も望まない」に執われるならば、それも限定であり、執着だからです。必要に応じて、何事にも執われず、内なる真善美の理念に即して一番良いと思われる行動が出来る。これが真の「自由自在」です。
何もせず、ただ見ていることが「在りのままを受け入れる」ことではないという事です。自分の想うところがあるにも関わらず、なにもしないのであれば、少しも「在りのまま」ではないことになるからです。
付け加えると、Unknownさんの言う様な、世の悲哀に対し、心の底において、何も感じない様な精神がもしあるのであれば、他人が何と言おうと、それがその人にとっての「真実」になります。それは決して悪ではありませんし、否定されるべきものでもありません。否定するなら、むしろ、自分達と毛色の違う見方を排斥しようとするその姿勢自体が争いを生む原因となってしまいます。
それをその身そのままに尊重し、受け入れる。これが「愛」であり、「在りのまま」です。
※長い乱文失礼しました。
癌患者さん、大変素晴らしい心の持ち方であると思います。苦境であるからこそ、他の日常では達成出来ない強さ、輝きを体現出来るのではないかと感じました。今だからこそ見えること、出来ること、をこれからも見つめていかれて下さい。
 
 
 
うーん、ゆう様 (Fam)
2008-10-26 04:11:06
ずれてます(^_^;)
「悟り」を求めることは「欲」これはその通りですね。ですが、求めるものでもないですし、求めてる人は半分くらいしかいないと私は見ています。気づいた人はおのずとそちらに進んでいくのであって、求めて得たり、得ようとしているとは感じません。
>善や悪といった価値観は心の中にあるもので、状況や見方次第でどの様にでも変わるものです。
その通りではあるのですが、善悪で判断しようとしたり、欲を否定することを否定しているゆうさん自身の心の有り様を考えてみたらいかがでしょうか?(自身の考え方の原因、理由を探る旅ですね)
>自分達と毛色の違う見方を排斥しようとするその姿勢自体が争いを生む原因となってしまいます。
もう、お気づきになっているのかもしれませんが、争いを生むこと自体が悪い事だとお気づきになっていらっしゃるようですね。私もそう思います。では、争いが起きないようにするにはどうするべきか?と考えると・・・
長くなりそうですので終わりにしますが、全ての人々が気づいたときに争いは減るでしょう。実際は各国の首脳陣とて気づいているのですが、人の世は色々なしがらみがあり、やらなければいけない!と思い込んでいることに縛られている事が多々あります。このがんじがらめになったしがらみの正体こそが「欲」なのではないでしょうか?と、思います(^^;)
なんか、解って頂けますか??「戦争」などの極端な例で書いてしまいましたがマクロな視点でもミクロな視点でも原因になる事は一緒。って話が延々と語られているのではないかと読んでいましたが、間違っていますでしょうか??どう思います??

 
 
 
そうですよね (さわら)
2008-10-26 06:27:40
おはようございます。またお邪魔します。

ゆうさんのご意見、とてもよく分かります。
でもFamさんのおっしゃるとおり、なんですよね。

ゆうさんの視点はあくまで「人間」としての「主観」なんです。それであれば、理論的で非の打ち所のない主張だと思われます。

そもそも「グレートスピリットが正しいのか証拠がない」と言うのも…うーん。
正しいって何だろう?
その基準も、グレートスピリットが作ったものだし…

言ってみれば宇宙全体が(多次元宇宙含め)グレートスピリットみたいなもの(強引に例えれば、ですよ!)で、そこから生まれた私たちが「宇宙は正しいのか?」って言ってるようなもので…
そもそもその存在を論じれるほど、私たちは進歩していませんし。

それに善悪はそもそも人間が勝手に作り出した基準で、全体で見れば事実のみがそこにあるだけで、善も悪もありません。
「生存していくことが善」なのであれば、「死ぬことは悪」なのでしょうか?

それにここで問題にしている「欲」は本能的な「欲」に限られています。自分だけが何かを得よう、他人を陥れても得しようとする「欲」です。
生存のための「欲」或いは「食欲」など、人間が生きていくうえで最低限必要な「欲」は、あって然るべきですので。(でないと死んじゃいます。死んじゃったら、酔っ払いも更正できませんしね!)

ここにいる私たち人間は、生存本能に代表される、そういう動物的本能に支配されている今の状況から、「本来の自分」を思い出す、と言う旅なんです。
自由は私たちの与えられた唯一の特権ですが、それが目的ではありません。
(なので、例えてみれば幼稚園児から、小学生になろうね、みたいなことかな~?)

その間、色々な意見があって当然です。それを否定している訳でも、排斥しているわけでもありません。
でも結局、目指しているゴールは同じなんです。

悟りを開いた人が何も望まないのであれば、忙しい中黒斎さんがこのようなブログを書かいて四苦八苦されることもないでしょうし、「何が言いたいかよく分からない」なんて事も言われなくてすむはずですから。

私たちは全部で一つの存在なんです。
(黒斎さんが以前描いた、エヘン虫みたいなイガイガなやつ)それを踏まえた上での「自由」なんです。

また長くなってスミマセン!
伝えるって難しいですね~
 
 
 
もいっちょ (さわら)
2008-10-26 09:28:37
またもや、さわらです。
黒斎さん、コメント欄乱用、ホントすみません…

ゆうさんのコメントをずっとずっと考えていて、ちょっと思いついたことがあったの書きます~。

>ここで目指されているのは、あらゆる枠組みをはずし、いかな限定にも依存しない本来の大いなる自己に目覚めることによって、本当の意味での「自由」を得ることにあります

その通りなんですよね。
その「本来の大いなる自己」に目覚め「自由」を得るために、このブログがあるわけで…

生存欲を含めた「欲」があらゆる執着を生み、本来の自由な自分に戻ることを妨げる要因である、と。

頑なに「欲」を否定しているのではなく、そうなって来るとだんだん「自然に欲が少なくなる」んですよ。
なので、固執でも執着でもないんです。
結果、自由になるってことで。

そして「欲」と言うカテゴリも人間が勝手に決めたものに過ぎません。
悟りへの欲も、絶対愛への欲も、知識欲も自分自身の為だけに得ようとするなら確かに欲と言えるかもしれませんが、それを得た後、
「自分自身ではなく、みんなの為に」使おうとするのならばそれは「欲」ではなく「愛」にカテゴリされるのではないでしょうか。
(マザー・テレサや、ガンジーみたいに)

もちろん、個人の自由がありますから何を考えようが何を思おうが勝手ですし、否定はしません。
する権利もありませんしね!

が!こと「真理を追究する」点に於いてはやはり「道順」がありますので、「戦争が起こってもいいじゃない」「欲まみれでもいいじゃない」と言う考えは「そうじゃないよ~」と言わざるを得ないんです。

「ありのままに受け入れる」は「事実を目を逸らさず、ありのままに認識する」ことはあっても、それを「容認する」ことではないと思います。
それを「愛」と混同すべきではないと。

目の前で子供が河に落ちそうになっていても、或いは誰かが殺人を犯そうとしているのを「何もしないでただ受け入れる」ことが愛だ、と言っているようなものだからです。
「それは違うぜ!」と言えるのもまた愛かと。

と、思った次第であります。

以上でつ。またもや長文失礼しました…
 
 
 
コメント頂いたみなさんへ (癌患者です)
2008-10-26 09:31:39
わざわざ僕の為に温かいコメント頂きましてありがとうございます!

ノブさん

望みを叶える方法1~3読み返してみました。
過去のものはコメント欄は読んでなかったのですが今回読んでみて良い考え方のヒントを頂きました。今後は「僕は癌を治す事が出来る」と言う考えをするようにします。

あこさん

インナーチャイルドセラピー調べてみます。
お母様も良くなられると良いですね。
ありがとうございました。

さわらさん

どれを引き寄せるかは
「今この瞬間」にいる自分が何を意識するか、何にフォーカスするがで決まる、ピンチをチャンスに変える。

そうですよね。
過去、未来で左右されずに今の瞬間を見つめチャンスを引き寄せられる様に自分を見つめたいと思います。

 
 
 
初めまして (知ったかぶり)
2008-10-26 10:59:30
「失敗は成功のもと」の言葉に惹かれてコメントしようと思いました。

私は、いつも息子にこうお説教します
「失敗は成功のもとって言うけど、自分でどこが
間違ってるのか気づかない限り、失敗は失敗のもと
なんだよ」と・・・

漢字を間違えて覚えてしまったら、どこを間違えて
覚えてるのか自分で気づかない限り、また間違った
漢字を書くんだよって・・・

「あるがまま」と「投げやり」は違うと思います。

「あるがまま」の皮をかぶった「投げやり」では
誰のことも、自分のことすら許すことも、受け入れる
こともできないのではないかと思います。

そして、生み出されるのが「苦しみ」ではないでしょうか・・・

苦しみに属する(ネガティブな)感情が、自分の中に
感じるかどうかが「あるがまま」かそうでないのか
を感じる一つの方法かと思っています(汗)


 
 
 
癌患者さんへ (知ったかぶり)
2008-10-26 11:48:32
すみません、続けてコメントさせて頂きます。

癌患者さんの苦しいお気持ちお察しいたします。
自分の身に思いがけない不幸が襲ってきた時
「何で、どうして、私が何したって言うんだ~」って
気分で、怒りと不安と理不尽さを感じないでは
いられないと思います・・・

私は、癌にかかったことはないので、癌患者さんの
本当の苦しみも悔しさも悲しみも想像することしか
できません。

でも癌患者さんには、分かりますよね
「同じ立場で苦しんでる人の気持ち」が・・・

生きていることが、当たり前なんてことではないと
誰よりも感じていらっしゃるのでは?

「生きる」ことに対して、誰よりも真剣に向き合って
いるのでは?

何となくいつもの明日が明日も来るさ・・・と思っている
私には到底、実感することのできない境地です・・・

病気が、気づきを与えてくれることもあるのでは
ないでしょうか?

どこか、他人事だよなと感じて気分を悪くされたとしたら
謝ります。すみません

どうぞ、お大事なさって、癌を克服した時の自分の姿
だけは、イメージとして強く持ち続けていて下さい。

病気を克服され健康を取り戻されることを心より
お祈り申しあげます。









 
 
 
知ったかぶりさん (癌患者です)
2008-10-26 13:56:09
コメントありがとうございます。

確かに病気になる前は生きる、死ぬと言うことに関して何も考えずにただ何となく生活していた気がします。

病気になり死というものに直面したとき初めて生きている事の大切さに気づきました。

今は様々な事に気づかせてくれた癌に感謝しています。

ただ、感謝するから死んでもいいということではなく治ったイメージを強く持ち続け治った後には癌の人たちの希望となれるようになりたいと思ってます。


黒斎さんコメント欄乱用本当に申し訳ありません。
今後も預流果を迎えるヒントを頂く為にblogを楽しみにしていますね。
 
 
 
Nyanknown (Nyanknown)
2008-10-26 18:23:15
理解できないかたへの対応
大きな器ですくう○
大きな手でたたく×
私は10/24の内容から学んだ事
いい勉強なりましたありがとうございました
 
 
 
はじめまして (さむらい)
2008-10-26 19:06:53
自分は最近まで嫌がらせを受けていました
原因はくだらない事
でもその相手は自分にとって「大切な仲間」だと思っていたし、
自分にも至らない部分があったのも事実です
なので、許す→神経を逆撫でされる→許す・・・
繰り返しの末、ある日その人物が自分の身の上話をはじめ、
「俺は生まれ育ちが不幸だから、ちょっと位曲がった事しても仕方無いよね」
と言われたんです
確かに不幸だったのですが、良い訳無いんですよ
そんな事で済む問題では無かったのです
その後一悶着あり、現在その相手とはほぼ毎日会いますが距離を置く様にしています

少し偉そうな事を言わせて下さい
自分ではどうする事も出来ない不幸はありますよね
でも今を見つめ改善しなければ、良くしようとしなければ悪くなるばかり
でもそれは楽な道では無いですよ
誰でも楽したいし自分もそうです
でも、頑張るんです。良く「在ろう」と

まだまだ修行が足りませんのでご指南ご指導お願いします
遅れましたがこのブログには感謝しています
助かりました

自分の苦しみなんて癌患者さん、皆さんに比べたらたいした事無くて申し訳ありませんが
こんな自分でよろしければ一刻も早いご回復を祈らせて下さい
 
 
 
さむらいさんへ (癌患者です)
2008-10-26 20:28:55
ありがとうございます。

自分自身を見つめより良く「在る」ためにお互い頑張りましょう。
 
 
 
いつもありがとうです (ラヒリ)
2008-10-26 20:41:16
人はこの宇宙立地球大学校に清濁併せ持って生まれてきて

暫く清濁の選り分けを楽しんで(六道輪廻を繰り返して)

いつか


「なんだ清濁選り分ける必要なんかないじゃん呑んじゃえ(* ̄O)◇ゞ ゴクゴク」


って卒業(解脱)するんでしょ

大変だよね(*´Д`)
 
 
 
毎度ご迷惑を… (さわら)
2008-10-26 22:06:35
何度も失礼します~
黒斎さん、皆様しつこくてスミマセン…

先程書いたコメント、何かうまく説明できなくて…
伝えたいことがモヤっっとあるのに、言葉にできないこのもどかしさ…未熟です…
もう一度だけ!チャレンジさせてくらさい!
長くなりそうなので「ウザい」と思われる方は読み飛ばしていただいて構いませんから~(ペコペコ)

えと、「欲」ついてなんですが…
まずそれを「悪」だとみなしているわけでも、頑なに「否定」している訳でもないってことを、分かって頂きたいのです。
人間が人間である以上、誰にでもある「本能」ですから。

(そして欲には2種類あって、動物的本能から出る「欲」と、魂から出る「欲求」です。
動物的本能から出る「欲」は、自分を生存させることを最優先させる「利己的」な欲ですが、
悟りを開こうとしたり、絶対愛を追求しようとするような魂から出る「欲求」は動機的にすべて「純粋な愛」から出ている、と言うことなんです。
なので「欲」にカテゴリされないと。ここも分かって頂きたいなぁ、と…)

まず人間には動物的本能が司る「欲」があるぞ、と認める。
そしてその「欲」がより良く生きるために、何だか妨げになっているぞ、と分かる。
その後、どうするか。
もしその「欲」を「悪」だと見なし、「否定」している限り、決して「悟り」には辿り着かない訳ですよね。
ゆうさんもおっしゃっていた通り、「固執」していることになりますから。

じゃあどうすればいいのだろう?
と言うことで、黒斎さんのやっているこのブログなんです。
宇宙のカラクリや法則をちゃんと知ることで、「なぜ自分に欲があるのか」と言う原因が分かり、
そうして知っていくことで、「欲」がなくても自分は自分であるんだ、幸せに生きていけるんだと理解してゆくアプローチを方法を取っている訳です。

何となく分かりますかね~?…うぅ。

あと、「ありのままを受け入れる」ことについてなんですが…どうしてもここが引っかかる。

例えば「自分の正義のためなら人を傷つけてもいい」という精神の持ち主がいたとします。
その人が私たちに「あいつがいるから、俺は幸せになれないんだ、あいつさえいなければ…」と言ったとします。
このまま放っておけば、殺人さえ起こしかねないイキオイです。
その時私たちが取れる道は二つあります。
「そうじゃないよ」と止めること。
一つは「それがあなたの意見ならば、否定しません。それをそのまま、あるがままのあなたを受け入れます」と言うこと。
その結果、その人が予想した通り、殺人を犯してしまったとしたら。
『必要に応じて、何事にも執われず、内なる真善美の理念に即して』
「それでも私はあるがままのあなたを受け入れますよ」と言うのでしょうか。

その後、その人は(被害者も含め)ずっと苦しみます。その苦しみはこの現世で終わりと言う訳ではありません。死んだ後、元の世界に還ってからも、自分が行ったその償いが終わるまで、(カルマが解消されるまで)ずっと続くんです。

もちろん、俯瞰で見ればそれもその人にとっては必要な学びだったんだ、と言えなくもありません。
でも、その前に私たちが「そうじゃないよ」と言っていれば、その人は苦しまずに済むんです。
必要な「学び」は苦しまなくても、学ぶことができるんです。

その為に、黒斎さん始め、たくさんの方がブログを書き、本を出してその事を伝えようと努力してくれているんです。

もう一つの「そうじゃないよ」と言う方法なんですが、頭ごなしに「否定」しても、結果は一緒ですよね。
いくら言っても、たぶん結果は変わらないと思います。
なので、自分から「ああそうか、あいつを殺さなくても自分は幸せになれるんだ」と気付いてもらうこと。
その後ずっと苦しむことが分かれば、自らそうしようとは思わなくなるからです。
その為に、宇宙の摂理やカラクリを知ってもらい、理解してもらうことなんです。
そうすることによってしなくてもいい争いや、苦しみを避けることができる。

私たちには唯一、「選択の自由」と言う権利を与えられていますが、その結果起こったことの「責任」を負う義務もあります。
ご存知の通り、「自分の蒔いた種は、自分で刈り取る」法則ですよね。

宇宙の摂理を理解した上で、このままいけばその人が苦しむぞ、と言うことが分かっていて「ありのままに受け入れる」=「何もしない」選択をしたならば、傍観していた人も、その種を自分で刈り取らなければならないと言うことにもなるんです。

あと、私たちは全体としての「個」ですから、いくら「自由」を与えられていたとしても、自分勝手な行いをすれば、その影響を周りに与える、と言うことも知っていて欲しいなぁと。
金八先生で有名なあの「腐ったりんご」ですよね。

何となく、分かって頂けたかなぁ…だめかなぁ…

最後に、ここでゆうさんのご意見に対していろいろ述べさせて頂いた訳ですが、
ゆうさんを個人攻撃している訳でも「大きな手でたたいて」いる訳でもありませんから!
もちろん、否定している訳でも。
(もしそう感じられたなら、平に謝ります!)

ただくるみ割り人形さんやゆうさんの主張がとても新鮮で素直に「こう言う考え方もあるのか~」と思ってしまったもので…

その考え方に対し、改めてあれこれ考えることが出来ました。とても良い勉強をさせて頂いたと思ってオリマス。ありがとです!

ホント毎度長くなって申し訳…(平伏)
 
 
 
ありがとうございます (くるみ割り人形です)
2008-10-27 02:13:09
再び、くるみ割り人形です。

皆さまのご指南、大変ありがたく読ませていただきました。

どうしても分からないことがあります。
考えても、いつもそこで止まってしまうので、皆様のお力をお借りしたいです。

よろしければ立ち止まって考えをお聞かせ下さい。
自分でもっと考えろ、というなら、それも当然ですので、そうおっしゃって下さい。


「悟り」というのは、「自分が霊の存在だと気づくこと」
「現世」とは、「学ぶための場」
「霊的世界」では、「もっと大きなものの一部である」
ということでした。

なぜ、人は、霊的な世界に留まらずに、現世に来るのですか。
霊的世界では自分が霊の存在だと分かっているはずなのに、なぜ再び気づくために来るのですか。


「悟り」とは、「肉体の欲から解き放たれること」
「現世」とは、「肉の体を持つ生命の居住所」
「霊的世界」では、「肉体の欲はない」

なぜ、肉体の欲を持たないはずの人間が、肉体の欲を再び手にし、そして捨てるために現世に来るのですか。


はじめに肉があったのか。
霊があったのか。
考えていくとおかしな話になってしまいます。

霊が先にあり、学びのための場として現世を作ったというならば、霊が先ですね。

自分なりの仮説を立ててみます。
霊があったが、無謬ではなかった。
根源的な欲、愛に反するもの、そういったものを生まれながらに備えていた、もしくはどこかから植えつけられたので、捨てなければならなかった。
それらを捨てる場として現世を作った。
現世には現世特有の欲があり、欲は増えていった。

つまり、霊は絶対の存在ではなかった。
絶対の存在であったなら、学ぶ必要がそもそもないのだから。
では、霊的世界が抱える欲、愛に反するもの、そういったものは、どこから来たのですか?
そして、それはなんですか?

ここがどうしても分からない。
なぜ、学ぶのか。
学ぶ必要のないことを学んでいるとしか思えない。


もう一つ、仮説を立てます。
霊と肉は同時に生まれた、ということです。
この場合は、肉体の欲というものが元もとのシステムに組み込まれているので、『学ぶ必要性』に関してはまだ理解できます。



結局、この先に、通訳不可能性の壁が立ちはだかっているような気もいたします。

さわらさんのせっかくのご指南ですが、まるで理解できませんでしたから。
さわらさんは、「人間=霊」という等式を、真であるものとして話しています。
私は「人間=霊」という等式が真だとは思えない。

結果、「1+1=2」であると定義した人と「1+1=3」であると定義した人が二次方程式の解について話しているような、話の通じない感じが存在している気がします。
(ちなみに、どちらの定義でも二次方程式は解けます)
 
 
 
霊、霊界、魂、前世、グレートスピリッツって…… (ヘンゼルとグレーテル)
2008-10-27 03:35:35
ホワイトライというか、嘘も方便というか……。


いや、「根も葉もない」真っ赤な嘘ってわけじゃないんですけど、どうもやっぱり「真理を表すための“比喩”」が要らぬ誤解を生んでいるような。


以前は比喩なんて使わずにはっきり言えばいいじゃない、と思ってたけど、真理は比喩無しでは上手く語ることの出来ないものだそうで……。


比喩なしで言うなら「すべてはひとつ」「諸方無我」が最も端的に真理を表した言葉なんだと思います。それ以上でも以下でもない。結局のところ、それがすべて。
それじゃピンとこない、なんのことだかわからない、って人のために比喩が用いられるようになったんでしょう。


もちろん僕もピンときていません。(預流果を迎えていないので)


時間が残されているうちに、悟りに相応しい態度を取らねば……(-.-;)
 
 
 
追記 (ヘンゼルとグレーテル)
2008-10-27 03:49:33
「魂の修業のために現世に来た」


というのも、比喩であり方便ではないかなと、今の僕は思っとります。



このコメと前コメはくるみ割り人形さんのコメントに触発されて書いたものなので、半分はくるみ割り人形さん宛てということでm(__)m


もう半分の目的は今の自分の考えを書いておきたいだけだったりしますf^_^;
 
 
 
くるみ割り人形さん (さわら)
2008-10-27 04:02:56
おお、お返事ありがとうございます。
そうですよね~理解できないですよね…
私の説明が拙いばかりに…すみません。

えと、私は「人間=霊」としているわけではなく、私達の本来の姿は人間ではなく「霊」である、としています。
「人間」は「肉体+霊」の存在です。

ここでの目的は肉体を纏った不自由な状態で、「私達の本質は霊である」と気づくことが目的である、と。
ここまでは大丈夫ですかね?
伝わってますでしょうか…?

私達が根源的存在から分かたれたときは、「霊」(意識体+エネルギー)の存在でした。
なので、今ある私達の肉体は後から「地球に存在する為だけに作られた」ものなんです。
(他の惑星に転生する時は、その惑星用の「体」があります。)

その時は根源的存在や他の存在達と「一つ」と言う意識がありましたので、今ほど「何も分からない」状態ではありませんでした。

で!!ここからは私的解釈ですので、そういう考え方もあるのか~ぐらいで聞いていただきたいなぁ、と思いマス。

私達「霊」の全体の目的は「根源的存在と一体になること」すなわち「完全な存在」になることを目指しています。
その為には、「根源的存在」の全てを知らなければなりません。私達は根源的存在の「一部」ではありますが、「そのもの」ではありません。
ので、おっしゃる通り「完全ではない」存在なのです。
(が、生まれながらに「欲」や「愛に反するものを持っていた」訳ではありません)

しかし、私達がもともといた場所は、想念の速さで物事が動くので、「ここに行きたい」と思うだけで
その場所に行くことができ、「これが欲しい」と思うだけでそれが目の前に現れます。
愛と光と調和にに満ちた、まさしく天国のような場所です。
そしてその存在も永遠ですから、生の喜びや死の悲しみも実感できません。

そのような場所で「根源的存在」の一部である「限りある生命」とは何か「憎しみ」とは何か、「闇とは何か」「争い」とは何かを学ぶのは大変ですよね?
振動数の高い高次元の世界では、存在し得ないものですから。

ですが、光を知ろうとする時、闇を知らなければ、本当の意味での光を知ったことにはなりませんし、
愛を知ろうとする時、憎しみを知らなければ本当の意味での愛を知ったことにはなりません。
二つは相反するものでありながら、同じ所から発しているものだからです。

なので、それを学ぶ場所として、低次元の「地球」が作られ、振動数の低い場所で存在するための「肉体」が用意されました。
それに私達の魂の一部を投影させて、その世界を実際に体験することにしたのです。
(もちろん、元の世界で学ぼうと思えば学べないこともありませんが、時間がかかるし「百聞は一見にしかず」と言うように、自分で体験するのが一番手っ取り早い方法なんです。そして楽な方法で学ぶよりも、敢えて過酷な道を私達自らが望むのです。)

そしてある程度転生を重ね、さまざまなことを学んでゆくと、最初は肉体の本能的欲望や物質世界に捉われてきたことに、振り回されなくなります。
自分の本来の姿を思い出し、「ああ、こう言う事だったのか」と真理を悟るからです。
そうなれば、もう地球に転生する必要はないので、卒業となるんです。

ですがこの地球での学びは非常に危険を伴います。
本来の自分の姿や目的を忘れて欲にかられ、憎しみや怒りに身を滅ぼし、堕ちて行く魂もいるからです。
なので、私達が地球に来る際「守護霊」や「守護天使」などが一緒に来てくれるのです。

そして悟りを開き地球を卒業したから終わり、と言うわけではなく…
また一つ上、また上と階段を一段一段上るように、完全」を目指す旅、「叡智」を知る旅は果てしなく続くのです。

と、言うのが私的解釈なんですが…
なんとな~く分かって頂けたでしょうか?
もし理解できない箇所がありましたら、またおっしゃって頂ければありがたいです。

その他、いや違う、自分はこう思うぞ!と言う方がいらっしゃれば、私もそれをゼヒ、知りたいですので、
おっしゃってください!

が!!…ここは黒斎さんのブログ…
黒斎さんが、広~いお心で許して頂ければ、の話ですが…
 
 
 
お久しぶりです。 (Blue)
2008-10-27 04:17:30
皆さんのコメントを読んでいて思ったことをお一つ。

「自分は人間だ」という思い込みが強いような気がします。

何をもって人間の定義をしているのでしょうか?
 
 
 
くるみ割り人形さん&癌患者さんへ☆ (もーそーちゃん☆)
2008-10-27 07:17:30
<<くるみ割り人形さん>>
自分は最近、欲が薄れてきています。これは悟ったわけではなく、すべてがどうでもいいと思えているからですが。
すると、何をしても充実感がないし、つまらないです。

…全てが、どうでも良い~と、想えてるのなら???
追求は、止してもいいのでは???
「精神世界」がどう~の・こ~の???
いい~ぢゃ~無いですかぁ~。

充実感の無さは、未だ「モノ事」に対しての「執着」が在るからぢゃ~無いんですかねぇ~。。。

「なんで?ど~して?」って、追求したって???
「何が、始まるワケでも?終るワケでも無い。」



…アタシは、そう~感じますが。如何なモノでしょう~か。
「ただ生きる。」
意欲が、在ろうが、無かろうが???
人に、限らず…「生かされてる」って、想えませんか???

皆さんの話に、的外れに感じる方も居るとは思いますけどね。。。笑



<<癌患者さん>>
原因が、在って…病を引き起こすコトは、無いとも在るとも言えませんがね。。。
でも、心持ちで…変わるモノでも在ると想いますょ~。
不満ダラケで…ストレスだらけだったアタシ自身も、以前は、喘息・鼻炎・偏頭痛・倦怠感…数え上げたら限の無い位に、大きな病の引き金に成りそうな程抱えて生きてました。

ココ5年。
「アレは、何だったんだろ~なぁ。」って、今では不思議な現象だったと想えて成らない位、今ぴんぴんで、医者要らずの暮らし。。。

んまぁ~、そう言ってて…明日には、コロッ。って居なく成るかも知れませんね。
「生きてるんですから…フツーに?死にますし。笑」
誰の身にも、起こりうるコトです。
病だけに限らず、事故も事件や天災でもです。


「ワタシは、死なない」って、想ってる方が…可笑しい~んですょ。。。

ただ、生きてる間…関わる人達とどう~関わるのか?
自分は、

どう~生きたいのか?
どう~逝きたいのか…?

だと想います。
例えば、手術をして…命を永らえたとしても???
必ず、いずれは…終るんです。

其れは、自分だけでなく…親でも、子でも…伴侶でもです。早いか遅いか。。。。
ただ、それだけの違いですょ~。


アタシの姉も父も、同じ癌です。
父も5年前に、姉も3年前に胃を切ってます。
でも、今、生きてます。

生き延びる選択をしたのなら???
先延ばしにしていたコトを…遣るといいですね☆

何時、終えても悔いの残らない「生き方」…。
それに、尽きると想います☆
受け入れて居られる様~なので、ミセラレル側も…キツイけれど???受け入れてくしか無いですから。。。
現実を観る側(本人)と観せられる側(家族)とでは、意識が違いますょね?
自分の想うコトを、話す。。。

ココで、溢す言葉より…身近に居る大切な人と過ごす時間の中で、沢山の言葉を掛けてあげるコトを大事にして欲しい~と、想いますょ。笑



今、遣りたいコト…何ですか~???


黒斎君~
が~んばれッ



 
 
 
ん? (さわら)
2008-10-27 07:51:12
ちょっと待て!?
今ふと気づいたんですが…
私が大前提として「私達の本当の存在は霊(魂)ですよ~」と言っていた事自体、理解できないよ、とおっしゃってたんですかね!?

だとすれば、またもやよく分からない説明になってるのでは!?
スミマセン…

えと、なぜ私が人間の本来の姿は霊(魂)であるのかと主張しているのかと言いますと…私達は霊(魂)だからです。
…って、納得しませんよね?
あぅ。これ、意外と説明が難しいぞ…

では、これはどうでしょうか?
今、ここでの私達は「人間」ですよね?
「人間」は「肉体+霊」である、と言うのは何となく分かって頂けますかね?
私達は肉体だけではなく、「精神」や「心」があるぞ、と。
例えば、道端で一万円札を拾ったとします。
「お、ラッキー!ゲットしようかな」と思う一方で、「警察に届けなきゃ」と思う。
よく使われる「天使の自分」と「悪魔の自分」と言う、あれです。

その「良心」とも言える「天使の自分」が(多少強引ではありますが)我々の本質である「霊(魂)」であると言えます。

それを踏まえた上で、私達のこの体、「肉体」は実は存在していないんです。
黒斎さんのブログにもあったように、本当はないものを「あるもの」としているだけで。
と、言うわけで…
「人間」-「肉体」=「霊(魂)」
と、なるんです。

どうでしょうか~?
うーん。これでもまだ弱いかな~?

あとはBlueさんがおっしゃっているように、「人間の定義は何か?」と言う切り口で考えれば、なんとなく分かるかなぁと。

人間を、ダーウィンの進化論に沿って進化した、リアルな肉体を持った動物の一種(精神は添え物)であるのだとすると、矛盾や辻褄が合わないことが出てきますので…
 
 
 
もーそーちゃん☆さんへ (癌患者です)
2008-10-27 08:35:34
コメントありがとうございます。

何時、終えても悔いの残らない「生き方」…。

これもいつも考えさせられます。

僕はまだ年齢が30半ばでやりたい事や欲しい物が沢山ありました。

でも黒斎さんのblogなどと出会い、自分の物欲や出世欲のなどをよ~く考え、見つめてみると結局は人に良く見られたいって所に行き着き自分の為では無かった事に気づき自然と欲は無くなりました。

やりたい事に関してはど~しても幸せな結婚がしたいです。

これは相手にも迷惑かかる事だし無理かな~(:_;)
でも、無理って思うから無理な現実が今ある気がするし…(-.-;)

悔いの残らない生き方は本当に難しいです。。。

 
 
 
コメントありがとうございます。 (ゆう)
2008-10-27 08:58:31
前回のものは、一応Unknownさんやくるみ割り人形さんのコメントに宛てたもので、Famさんやさわらさんのものとは少し論点がずれているかもしれませんが、折角返信頂きましたので、送らせて頂きます。
別に善悪の判断や欲の否定に反対しているわけではないんです。それはその人の自由です。
ただ、とある誰かの善悪の判断は絶対的なものではない、ということですね。
争いというものが挙げられていましたが、ではその争いが絶対に悪いという証拠はどこにあるでしょうか。
目の前でそれが起こりそうで、誰かが被害にあいそうな時、僕も確かにそれを止めようとするでしょう。それが善いことだと思うから。でも、それは自分がそう思っているだけで、それが本当に正しいのかどうかはまた別の話なのです。
身体の維持をする為に、体内の(人にとって)悪い菌は、善い菌に攻撃されてしまいますが、果たしてそれが善い事なのか悪い事なのか。
どんな菌も立派な命であると考えるなら、悪いことでしょう。けれども、それのおかげで、人は生きて活動することが出来る。
地球を滅ぼそうとする異星人がいたとすれば、我々からすれば絶対的な悪に見えるでしょう。けれども、その異星人は、宇宙の白血球として、宇宙に悪想念をばらまく地球を退治しに来たのかもしれない。それこそ「グレートスピリッツ」の代弁者として。
絶対的な善悪の判断というものがあるとすれば、全宇宙の究極の目的というもの、そしてそれにどれだけの結果を与えるのかを完全に看破出来て、初めて言える事柄です。それに至らないのならば、それらは全て憶測に過ぎない。
そして、究極的にはただ「在る」という事実があるのみで、如何なる原因も理由もないことを考えれば、そこに絶対の善悪というものはないと考えます。
我々に唯一出来るのは、その時点でわかりうる、自分にとっての最良と思える判断だけです。
ですので、文章がわかりづらかったかも知れないので恐縮ですが、争いを目前にして止めようとするかどうかとか、欲を否定する事に反対する、という事に関して、僕が伝えたかった事は異なりますので、ご理解頂けたらと思います。
 
 
 
ヘンゼルとグレーテルさん (さわら)
2008-10-27 14:51:55
えと、グレートスピリットとかの存在について、ホントよく分からないですよね。
イメージしにくいですし。

あの、以前黒斎さんが図を描いた、エヘン虫みたいなイガイガ、ありますよね?
あれが「全体」を表しているっておっしゃってましたよね?
あの「全体」図の「名称」なんだ、と思って頂ければ、分かりやすいかも。

なので、「グレートスピリットは本当にいるのか!?」とその存在を疑う場合、そのイガイガの先っちょである私達の存在を疑うことになります。

なんとな~く分かりますかね?

全てが「全体」の一部なので、それを人間の体に例えると、私達である「小指」だけが存在してて、それ以外の「体」が存在しないってことは、機能的にもあり得ないですよね?

私達がここにいるってことは、結果的に「全体」である「グレートスピリット」もしくは「根源的存在」が存在しているぞ、となるんです。

ゆうさんがおっしゃっていた「善悪」も、相対的なもので、人間がその場その場で勝手に作っていったものなんですよね。おっしゃる通り。

そう考えると「絶対的な悪」と言うものは、「全体の一部」としては絶対存在し得ないんです。
存在している、と言うことは、どんなものであれ(一見悪玉菌のように見えるものであれ)
「絶対的悪」ではない、必要なものなのだ、と。
言ってみれば「絶対的善」は存在しても、「絶対的悪」は存在しない、と。

そう考えると「相対的に、善にも悪にもなる」と言うことは、結局「善も悪もない」と言う結論になるんです。
「善悪」に縛られてしまうと、そこから先に進めなくなりますので…

そして、たとえば、ゆうさんのおっしゃっていた通り、(「全体」を人間にたとえて)私達「小指」が腐ってきたので、「全体である人間」が右手である「異星人」に退治させたとします。
(ホントはあり得ないことなんですが、たとえば、です。)

そうすると、「全体」である人間は小指を失うことになりますよね?
その時点で、「全体」である人間そのものも消滅します。
私達一つ一つで「全体」なので、その一部、例えば小指の先の細胞一つでも失えば、「全体」も消えるんです。

そして根本的に、「悪想念をばらまくから退治する」と言うのは問題の解決になってないですよね?
もし自分達が全体であるのなら、
その原因を突き止めて、「悪想念をばら撒かないように」すればいいんですよね。

それが、今まさに行われていることなんです。
今の地球の様子をみて、誰もが「何かおかしい」と思っていると思います。
「全体」に影響を与えていることは、確実です。

なのでそれをばっさり切り捨てるんではなく、「全体」として「小指」を救おうじゃないか、と言うことで守護霊などの高次元の存在たちも含めて、
「悪想念」を出さないよう、頑張っているんですね。

(戦争に関しても、言ってみれば善でも悪でもない。ただ、戦争もあったからこそ、私達は平和が尊いものだと知ることができたんですよね。
そして、もう争わなくても問題は解決するんだ、人間は生きていけるんだ、と知ってしまったのに、どうしてまたわざわざ争う必要があるんだ、と言うことなんです。善悪関係なく。)

なんか、途中からゆさんに向けてのコメントになってしまいました…
大丈夫ですかね?的外れな説明になってませんかね?

ゆうさんのご意見、すごくよく分かります。
以前の私のコメント、ちょっとズレてましたね…
ゆうさんの言わんとしてること、ちゃんと理解していませんでした。ゴメンナサイ…

高次元が言ったから、守護霊が言ったから、全て正しいのか!?と思うことは、当然ですし、
今現時点で「全体」の存在や、その方向性すら分からないので、判断できない、と言うのも納得できます。

それを今、黒斎さんのブログを通して一つ一つ勉強していってるんですよね。
一つ一つ「これは真実だぞ」と確信することを増やしていこう、と。
自分が心の底から「そうか!なるほど!納得したぞ!」と思うまで、ゆうさんのご意見のままでいいと思いますよ!

貴重なご意見、ありがとうございました~☆
 
 
 
Unknown (ドロたん)
2008-10-27 15:24:25
>どこをどう間違えたら、「戦争が起こっていい」「人を殺していい」「無知でいい」「苦しみ続けていい」「自分勝手に生きていい」になるんだよ?


そのコメントを書いた方のおっしゃいたいことは、文字通りの、そういう意味ではないのではないでしょうか。

「神との対話」で「ヒットラーは天国へ行った」という一節が出てきます。
「虐殺はゆるされない」
それすらも、人間的なミクロの視点からの、単なる価値判断なのかもしれません。
マクロの神からの視野からすれば、ヒットラーすらも許されてしまうのですから。

もちろん、殺人や戦争を推奨しているわけではありません。
ただ、戦争や殺人、苦しみを「いけない」「認めない」「許さない」。
そう断定するその根底には、怒り・恐れがありませんか?
怒り・恐れから、平和が生まれることはないはずです。

黒斎さんはすでに知り得ているのではないでしょうか?
結局、外に見えるネガティブな現実はすべて、内在する恐れが具現化した非現実であるということを。

つまり、犯人や独裁者を「許さない」とするこの社会全体の想念が、実際に、犯罪や戦争を呼び起こしているのではないでしょうか。
単純に、原因と結果の法則です。


すべての諸悪の根源は、自分自身の存在価値に絶対的な不安を持っていることだと思うのです。
逆に言えば、自分自身が、絶対的な存在価値をたずさえ、愛そのものであり、至高の存在であることを誰もが、知り得ることできれば、世界はカンタンに変わるはずです。
愛そのものである人が、争い・殺人・戦争など、犯しようがありませんから。
飢餓・貧困・病気もなくなるでしょう。

そうして初めて、すべての人の心に平安が訪れ、世界が平和になることを、私は知っています。

そのためには、まずは、その「ゆるさない」とする価値判断を手放してみませんか?
真に、ひとりひとりが、「ゆるす」ということを学び、何が正しく何が間違いか、そういった観点から物事を判断することをやめること。
それが「中道に入る」ということであり、世界の平和への第一歩なのではないでしょうか。
 
 
 
Unknown (アルル)
2008-10-27 16:31:35
悟りとかグレートスピリットとかの話があがってますが・・・
ひとつ疑問に思っていることがあります

「どうして自我があるのか?」です

グレートスピリットに還るとか何だとか言ってますが・・・
なんで自我が在ることができるのでしょう

「どうして自我があるのか?」とは、自我の構造を知りたいのではないのですが・・・

魂の修行だとか・・・
悟りを目指すだとか・・・
何で最初から目指さなくてもいいように出来ていないのでしょう

なんで「悟りを目指す」ような可能性が在るのでしょう?
グレートスピリットが全てなら
そんな可能性を創ったのもグレートスピリットのはず
・・・
ではなんで自我を持つような可能性を創り出したのでしょう?
 
 
 
Unknown (littlemy)
2008-10-27 16:39:30
いろいろな視点からのコメントが来ているということは、それだけ、読者の幅が広がっているということなんでしょうか。コクサイさんは、なるべく多くの人達に、今後必要になってくるであろう概念を、手を変え、品を変え、いろんな切り口で伝えている人のように思うので、大変だとは思いますが、なんだかいい傾向のように思います。
ブログ続けて下さいね。
 
 
 
全体=グレートスピリッツだとしたら (ヘンゼル君)
2008-10-27 16:48:54
さわらさんへ

グレートスピリッツが存在しないなんてことはありえないですよね。
(僕は狭義にはグレートスピリッツのことを集合無意識(=類魂?)、さらにはその深奥に控える純粋意識なのかな? なんて考えたりもします。でも「すべてはひとつ」が真理だから結局は全体=グレートスピリッツですよね)


僕が言いたかったことはですね、精神世界では多くの人が「魂」「霊」「前世」「グレートスピリッツ」などを信じてるけど、一体それらの実態をどこまで正確に理解出来ているんだろう? ということです。


僕自身も概念(イメージ)としては把握しているんですが、もしかしたらその概念は比喩かもしれない。

魂ってこんなもの、霊ってこんなもの、前世ってこんなもの、と思ってても、どこまでその実態を正確に把握出来ているなか疑問なんです(__)


真理を表した比喩(真理そのものとは大分ヅレがある)を頭で理解して、自分は本当のことを知ったと思ってるんじゃないかと……。


アハ体験を迎えなければ本当の理解は得られない(比喩で表された元(実際のところ)を理解できない)のではないでしょうか。
 
 
 
ゆう様 (Fam)
2008-10-27 17:53:20
返信有難う御座います。
私も、ゆうさんのコメントを読み返してみて、実は解っているのかも?と感じていました。「仮に○○だとすれば」という記述が多かったので、私はそこに引っかかっていました。ゆうさん個人の思いなら、ちょっと違うぞ?と。
私の気持ちとしてはゆうさんの最後のあたり
>我々に唯一出来るのは、その時点でわかりうる、自分にとっての最良と思える判断だけです。
に尽きると思っています。私はこれを「自分の胸に聞く」ことだと考えています。私は文才はほとんどないので説明が下手です。話をする際にも。自分の思いを説明するのが難しいですが、自分の胸に聞いた判断が正しいと思うしかなく、それを説明するには「良いと思ったから」逆に返せば「悪いと思わないから」と説明するしか無くなってしまいます(^^;)
結局は人間が思考して言葉にしようとすると限界が出来てしまうのでしょうかね。なのでもっと進化するか、別の方法を模索することになるのかもしれません。上の世界では思った考えがそのまま伝わるらしいですが、そのようになると自然に悪いと思われることは思わなくなり、そのグループ(天国?)に属するでしょうし、悪いと思われることを良いとする人ならそのグループ(地獄)に属するでしょうし。
ここでも語られていましたが、悪いことを良いとしていた人が悪いことだと気づくとまた降りてきて修行をしなおす。と、いうことはですよ?結局はどこまでいっても自分がどう思うのか?に尽きるということになりますよね。
ただ、なるべくなら良いほうに進みましょうよ?とお勧めしてくれているのでは?と考えます。それを受け入れるか受け入れないかも自分次第になってしまうのですかね。そして自分本位な考え方を突き詰めていくとき、自分という存在にまで及ぶと「自分も本当は無い」という事になりますね。結局、自分の考えはどこから発生しているのだろうと。善玉菌、悪玉菌の話のように、自分の中にさえ、無数の生があり、その代表として考えているのでしょうかね?地球という中での自分の中には、たくさんの生きるものが居る。自分の考えはその自分星の代表としての考えなだけなのかもしれませんね。自分を構成している各細胞が「もう分裂できないから、もう終わってもいいんじゃない?」となったら、人としての寿命がくるのかもしれません。これを地球で考えるとその中に住まう全ての生き物たちが「もういいんじゃない?終わっても」と思うのかどうか?そう思わないなら地球という生命はまだ生きるでしょう。そう思わないなら・・・全面核戦争とかしちゃったら地球生命が終わるかもしれませんね。「それでも地球は存在する!」という意見もあるかとは思いますけど、鉱物としての地球は残るでしょう。鉱物を生命と捉えるならそれも有りです。が、人は鉱物にはなれません。人が人として生きていくのであれば人が生きられるような地球生命を守るように人が善玉菌にならないといけないのでしょうかね。

結局は何故戦争などを反対するのかは、人が人として生きたいという生存欲があるからなのですが、この生存欲すら手放したときは人を辞める時になるってことになりますね。この生存欲すら欲だから悪だ!とか考えるのはやめましょうよ。生きているうちは「生きる」ことに一生懸命でいいと思います。この地球上で生きる上で、どう生きるか考えるのかは自分星代表である「あなた」になるわけですね。

人以上の考えに気づいた(触れた)人は人を辞める準備として欲が無くなって行くのだろうなと、想像は出来ます。そして生存欲までも無くなったならもう人としては生まれては来ないでしょう。生前に悟ってしまう方(お釈迦さま、イエスさま)は死んでも構わないと考えますが、そうでないうちは生きる意味を全力で悟っていくのが良いと思います。自分には自分の中に生きるもの全てを背負っている責任があります。(こういうと義務っぽいですが義務でもないですね・・)ではわれわれが生きている地球生命にもそういう責任があると考えるのは間違いでしょうか?人は生きているうちはやはり地球生命にとっての善玉菌でいようと、一生懸命頑張って生きる!ことかなと思います。

あんまり文才なくてすみません。同じことの繰り返しになってますけど(--;)いろいろな方のコメントを見る限り、最後には一緒の見解なのですよね。コクサイさんも他の方も言わんとしている事は「より良く生きる」「頑張って一生懸命生きる」ことかと解釈しています。そしてそれを越えたところに「悟り」があると。それを目指す(魂の統合)か、目指さない(肉体を持つ、人として生きる)かも自分星の代表である自分、全ては自己責任です。

結局は善と悪ってどこから生まれたのか。生きている上でなんでも経験したいという欲はでると思います。それこそ「戦争してみたい(儲かるから)」「人殺ししてみたい(興味本位)」などと考える方も出てくると思います。でも、そんなことまでやらなくても結果(他の人が一生懸命生きる事を邪魔する行為)が見える、経験(歴史)上、知っている人は「やらなくてもいいじゃない」と注意するわけですよね。「そうだ、このやらなくてもいいことを悪いこととしよう」と。逆に一生懸命生きる事を手助けする行為を良いこと(善)としようと。
「善と悪」のように善が良い事なのでそう書かれますが、本来は「悪と善」なのかもしれません。悪ありきなのです。悪はやってはいけない事。善はやってもやらなくても構わない事です。(と思います)
今回、コクサイさんや覚者の方が注意するのは悪い事と知っているから。善なることはやってもやらなくても構わない。しかし、なるべくなら良い事をしましょうよ?っていうお勧め。ではないかと思っています。

解脱を迎えることもお勧めの範囲で、必ずそうしなさいと言っているわけではないのでしょう。そこは解って頂けたらなあと思います。なので精神世界がどうのこうのと疑問を持つ方々ももーそーちゃんさんがおっしゃるように「どうでもいいこと」と割り切るのも今の人生を生きる一つの選択だと思います。それが良い事と気づいた時に、初めて進めば良いと考えます。
文才が無いせいで長々と書いてしまってスミマセンでした(^^;)
 
 
 
こんばんは (知ったかぶり)
2008-10-27 19:14:26
黒斎さんのコメント欄でこんなに熱い討論がされているなんてびっくりです!!

黒斎さんのブログ初心者の私には、専門用語が飛び交ってるようで??です(・・;)

私も「あの世」に興味深々で、「幽体離脱」してみた~いとか思ってた時期もありました。

でも、どんなにあの世のことを本などで色々と読んだり
自分なりに調べて分かったつもりになったところで
私自身は、ちっとも楽にはなりませんでした。

そして、「あぁ~やっぱり自分ってことか」が
今のところたどり着いた答えです。

どんなに美味しそうなケーキ(食いしん坊なので(汗))を
見たとして、それが凄く美味だろうと想像はできても
本当の味は、食べてみなくては「実感」できない。

それが、この世に肉体をもって生まれてきた目的かと・・・

素晴らしいことも、苦しいことも「体験」として
「実感」できるのは、肉体があるからできるのだと
思います。

風を感じることも、美味しいものを食べることも
怪我して痛い苦しいと感じることも・・・体感できるのは
この世に生きてるからこそでは、ないでしょうか?

そして、色んな体験を通して、どんな小さなことにも、
苦労にさえ深い感謝の気持ちがもてるようになったら
「苦しみいっぱいのこの世に生きながら、
自分の心は天国にいる」気分かもです

でも、それが難しい・・・
上手くいったら自分のお陰、上手く行かないことは人のせいの
「自我先生」がいるから・・・私の場合(汗)

自我先生が出すテスト問題は、難問ばかりですが
自分に必要な問題ばかりです。

赤点取ると、また再テストで同じ苦しみ問題が待ってますが、卒業できるように頑張りまーす(^^)

すみません(汗)
ずれたコメントで・・・失礼致しました。

では、黒斎さんのブログはもちろん、皆さんの
綴るコメントも楽しみにしております。









 
 
 
始めまして (うすしお)
2008-10-27 19:37:32
始めまして、私は去年の1月から
このブログを読み始めました。
しかしながら、霊だのグレイトスピリッツだの悟り
何て事が本当かな?あったら良いなとは、思いますが、、、

自分のありかたとして、人に優しくありたいと思います。(厳しさも含め)もし、自分があの人だったら、こうして欲しい、と思うことを行えば世界だって愛で満ち溢れるんじゃないかと思います。
因果応報があるとするなら、きっと戦争は、もし私がこんな事を行うと、戦争でも何でもして止めて欲しいと思う想念が生んだのだと思います。(それも愛かな)
真剣に考えるとヤッパリ愛する人を殺されても相手を愛せるかと言うと疑問です。まだまだそこらへんが悟ってはないのかもわかりませんが、、、
しかしながら、どんな人でも愛せる様にと言う姿勢で私は全てを優しい気持ちで愛したいです。上記の様な事が例えおきたとしても、私はやっぱりそうありたいです。
 
 
 
さわら様へ (ぴの)
2008-10-27 23:20:21
さわらさんがこのように明確に説明してくださるのはやはりご自分で「エゴの死」を体験されたからだと思うのですが、それは疑いようのない体験だったのでしょうか。これらの宇宙のしくみがいっぺんにわかってしまったと。。。

なぜそれが正しいと確信できたのか、教えていただきたいと思うのですが。。。(言葉で伝えるのは難しいかもしれませんが)

アハ!体験をしていない私にとって、頭ではわかっていても本質的に体験していないという差はここなんだろうなと思います。自分でも真理をあれこれ考えてはみますが、本当に何が正しいのかはわかりません。

難しいと思いますが、もしよかったらなぜそれが真実だとわかるのか、説明をいただけたらと思います。


ちなみに私も癌をわずらいました。

現在は切除して普段と変わりない生活を送っています。人間て本当に愚かだと思うのは、あんなに「健康さえあればあとはなにも要らない」と思ったのに、今では「仕事はどうしよう」とか「うまくいかなかったらどうしよう」とか元の3次元の煩悩だらけの生活に元通りです。(苦笑)

いつになったら悟れるのやら ^^;;;
 
 
 
ぴの様 (さわら)
2008-10-28 02:49:59
えと、ここに私事の体験を書いてもいいものだろうか、すごく迷いました…
でもせっかくぴの様が聞いてくださった事だし、思い切って書いてみようかな、と思います。

しかし、黒斎様。
その内容がこのブログを進めていく上でそぐわない、或いは妨げになると判断された場合、削除してくださいね。その他のコメントも。
「グレートスピリット」とか「霊」とか、自分の解釈を書いてしまって、皆様を混乱させてしまったのではないかと…すみません。

私の体験は疑いのないものだった、と言えますが、そこで全てを理解した訳ではありません。

ただ、今まで支配していたエゴが「沈黙」したため、
(「エゴの死」、と言う表現は適当ではありませんでした。比喩的表現だったのですが、エゴはまだ私の中にありますから、「沈黙」が正しいかなぁと。)
抑圧されていた「本当の自分」が表に出る、と言うか信号を発するようになったと言うか…
迷ったりした時、自分の中から答えらしきものが湧き出てくるように。

とは言えもちろん、全くの無知でしたので、自力であれこれ勉強を始めました。
その中で、「おおこれは真実だぞ」と言うのが何となく分かるようになったのです。

その後、深く自分を探求する中で、「自分と言う存在は宇宙と一つ」と言うような体験をしましたが、それはここでは割愛しますね。

(人間どうしても、「不思議な体験をしたい」と思ったり「霊的な体験をしたい」と好奇心も手伝ってそこにフォーカスしてしまいがちなので…
超常体験をした人や、サイキックな能力を持った人が「スゴイ人」とか。
それは特別なことでも不思議なことでも何でもない、と言うことと、
そこへ向かおうとする姿勢、真実を知ろうとする「意図」が大切なのだと思っています)

「これは真実だぞ」と思うのは、自分の内から湧き出てくる感覚に従っているのですが、
(たまにキョーレツに思い出す場合もあります)
ではなぜそれが正しいと言えるのか、と言うと
自分自身を信用しているからなんです。
これは大切なんじゃないかなぁ、と。

その他は理論的に矛盾がないか、と言う観点と
ハートが納得しているのか、と言う観点から判断している感じですかね…

参考にはならないかとは思いますが、
ざっと体験の大筋だけを書かせて頂きました。

えと、「アハ!体験」は地球でのゴールではありますが、言ってみれば結果であり通過点で…

うまく言えませんが、現時点で「理解できない」「分からない」ことがあるのなら、それはそれでいいかと思うのです。
「頭では分かるけど、実感がどうも…」と言うのも
「じゃあ、そうであると仮定して」ぐらいの気持ちで。

どうしても、私達は分からない自分はダメなのでは、と思ったり、他の人と比較して焦ったりしてしまいがちなのですが、物事には順序とタイミング、と言うものがあるので今分からないのであれば、まだその時ではないのだ、と。
(いつか必ず理解する時が来ます)

そして今自分ができる事からやって行き、「今ないもの」(例えば「アハ!体験していない自分)にフォーカスするのではなくて、すでに「理解した」ことを実生活に反映させて、
「今あるもの」に感謝しながら一つ一つ進んでいけばいいかなぁ、と。

そうしていく内、結果的に気付けば「アハ!体験」してました!みたいな…

あんまり「先」を見てしまうと嫌になってしまうので。

とは言え、私もまだまだ勉強中なので、できることから一つずつやっていこうと思ってます!
 
 
 
さわら様 (ぴの)
2008-10-28 09:29:42
ありがとうございました。とっても参考になりました。
自分自身を信用している、ハートが納得している感覚というのはおぼろげながらもわかります。

アハ!体験はどこからか「降ってきた」ような感じではなくて「もともとあったものが顔を出した」ような感じなんですね。今は信じられなくとも、自分にも元々あるものなのですね。

仰る通りあまり先を見ると嫌になってしまうので、今できることをひとつずつやっていこうと思います^^

ありがとうございました。
 
 
 
皆さん、ありがとうございます (くるみ割り人形)
2008-10-28 13:10:49
さわらさんが親切なので、もう一つ聞いてしまいます。

なぜ、私たちは根源的存在から分かれたのですか?
分かれないままにいたら、学ぶ必要もなかったはずです。

私たちが全てということは、私たちが完全でない=根源的存在も完全でない、ということになると思います。しかし、根源的存在は完全とされている。この矛盾がどうしても解けません。
なぜ、わざわざ完全なるものから分かれて不完全になったのだろう。愛を知るために憎しみを知る……まず、なぜ愛を知ろうとした?
思想が即反映される世界だから?
なぜ、根源的存在が絶対なら、そういうシステムにしたんだろう?

教えて頂いた話をどう考えても、
根源的存在=完全
根源的存在=絶対
という解にたどり着きません。
むしろ、根源的存在が絶対であり続けるために私たちを切ったと考えた方がまだしっくりきます。
ここらへんは理屈ではないのかも知れませんが。


逆に考えて、私たちが完全であるなら、根源的存在も完全だと言えると思います。
自分では不完全だと思っているけれど、実は完全である、ということでしょうか。
ではなぜ、私たちは自分を不完全だと思う意識を持つのか。
根源的存在は有意志の存在ではない、と聞きました。しかし私たちは、意
 
 
 
切れた (くるみ割り人形)
2008-10-28 13:35:15
しかし、私たちは意志を持っています。


ここに来て、黒斎さんの雨粒の比喩がなんとなく分かってきました。私たちは小さな水滴だけど、地球の水の循環というシステムの一部であり、その意味で完全だと。

ここで説明されていないのが煩悩の誕生についてです。今は、煩悩を、システムの運営上、どうしても生じてしまう排泄物だと考えてみます。
そう考えれば、煩悩すらも完全なシステムの一部だと言えると思います。

根源的存在を、無煩悩の純粋善だと考えると、どうしてもおかしなことになるんです(自分のなかで)。


で、意志の話に戻りますが。
私たちには、意志があります。持たされたからには何らかの意味があるはず。
しかし、意志があることによって、むしろ煩悩は増えている気がする。
なぜ?
たとえ煩悩が増えてでも、私たちが意志を持ち、肉体を持つことは重要だった?

愛を知るため?
しかし、愛を知るより煩悩を知ることのほうが多いぞ?
逆か。
憎しみや苦しみを知るためか。
だが、おかげで煩悩は増える一方で愛に向かっていない気がする。そうなると、このシステム(ひいては全体)は不完全ということになってしまう。

いつもこの辺でループ。
 
 
 
おおおおおおお! (さわら)
2008-10-28 16:56:42
くるみ割り人形さんスゴイ!
私、ちょっと感動しました。
スバラシイ。凄まじい理解力ですよ~

えと、まず…前回のコメントでその「不完全」と言う説明がちょっとまずかったな~と思っていた所をズバリ突かれてしまいましたョ!イタタタタ。

おっしゃる通り、私達はその「根源的存在」から切り離された瞬間からも、存在としては「完全」なんです。

じゃあなぜ、そもそも切り離す必要があったのか?
なぜ、学ぶ必要があるのか?
答えは…「暇だったから」「実験するため」「遊ぶため」イロイロ言えますが、そんなニュアンスです。
ナヌ!と思ったかもしれませんが…

えと、これからの説明は私的解釈なので…
へぇそういう考え方もあるのね~ぐらいで聞き流してくださいね。

「全体」である根源的存在はひとつの生き物でもあります。
生き物である以上、活動しています。
絶えず変化し、動いています。
「何もしない」ことがないのです。
でも自分の他には何も存在していません。
一人です。
なので、自分自身を自分自身の中に無数に切り離す、と言うことをしました。
そしてその分身たちが、自分の中を旅し、再び戻って来れるか、と言う一つの試みでもあったのです。
(この場合、形あるものを想像してしまいがちですが、私達含め「根源的存在」は形のない「意識体」でありますから、平たく言ってみれば、「思考遊戯」みたいなものかと…)

ですから、私達の根底には「遊ぶ」こと、「楽しむ」ことが含まれているんです。
そもそもの、全ての行為の始まりは、ここからなので。どんな苦しみでも楽しむこと、遊び心を忘れないことができるんです。

なので、「存在」としては「完全」なのですが、「無知」であった、と言う表現が近いかもしれません。
例えれば、人間の赤ちゃんの体は、機能的に大人と変わらないですよね?赤ちゃんだから肺がない、とか肝臓がない、とかそんなことはないですよね。
でも、知識がない。経験がない。
と言う感じでしょうか…
存在としては完全ですが、「根源的存在」と同じではない、と。

「根源的存在の元へ還る」と言うのは切り離された最初からプログラムされているようなものですから、その衝動に従っている訳です。
でも、「同じ」にならなければ還ることができません。その為に、「根源的存在」を隈なく知らなければならないのです。
なんとなく分かっていただけましたでしょうか?

そしてそのための「システム」を組み上げ、「経験の場」として三次元世界の一つである「地球」を作ったんです。地球は低位クリエーション界の中でもかなり下の位置していて(下から2番目だったかな?)
未熟な魂たちが訪れる場所でもあります。

そこで主に「煩悩」と「二元性」を学びます。
「自我」もそうなのですが、私達が本質である「魂」であった時にはないものです。
肉体を持って初めて現れて来ます。

ですから煩悩も言ってしまえば必要なものなんです。
この世界、本当に必要でないものは、もともと存在できないようになっているんです。

ですから、私達は煩悩に支配される事によって煩悩を体験します。それで初めて知ることができ、「煩悩は何だかいらないものだぞ」と気づくことができるのです。
自分で経験しないと分からないことって、ありますよね?

私達は意思そのものの存在なんです。
持たされた、と言うのではなく。
私は「魂」と言う表現より、「意識体」と言うほうが近いと思っています。

私達がこんなに苦しむのは肉体が持つ「自我」や「煩悩」と、本質である「魂」からの声で板ばさみになり「葛藤」が生まれるからです。
「肉体」だけなら、本能のままに生き、苦しむことはないですから。

なので煩悩が増えてでも、肉体を持つことは重要だ、と言えます。
煩悩にまみれ、自我が支配するこの世の中で、
物事の本質を見出し自分の本当の姿を思い出すことは、とても素晴らしい経験だからです。
それに、ここを通過しないと次のステップに行けないんです。

そして仏陀やイエスを始めとする偉大な先人達が道を示してくれました。
「真理」を正しく知ることで「煩悩」を手放すことができる、と。彼らができて私達ができない、と言うことはありません。みな同じ存在ですから。
(ちょっと先に進んでいる先輩、みたいなものかな~)
なのでシステム的に「不完全」と言うことはないんです。
なんとな~く分かりますかね?
何度も言うようですが、これは私が解釈した世界観なので、一つの「見方」として受け止めてくださいね!
これが「全て」ではありませんから!
 
 
 
・・・「幸せな結婚♪♪」 (☆癌患者さんへ☆)
2008-10-29 02:38:53
んーっ。
まだ、しっかりと「希望」が有るんですねぇ~。笑


因みに、「結婚」も…???
「永遠」=「ゴール」だと…想うと???
可笑しくなりますょ~☆笑☆

「結婚」…問題の無い夫婦は、居ませんし…問題の無い「親子関係」もアリマセン;;
夫婦だけの問題だけでなく???
親戚やなんかの事ですら???問題は起きますょ~・・・。


あくまでも???
「人生の通過点」でしか無いんです。


解るかなぁ~???
もしね、アタシと…結婚したとしてネェ~???
「何時までも続くモノだ???」と想っててね…現実は、アタシが…先立ちました。としましょう~。

「ナンデェ~???」と成りますょね???


逆に、病気も克服出来ました。
恋もして・・・「結婚」しました。
でも、時の流れで???すれ違い…毎日喧嘩に、嫌味ばかり、小言ばかりを、お互い並べる様に成りました。

「ナンデェ~???」

どちらも、「こんな筈では…無かった;;」と想う事でしょう~。


「相手に負担が、掛かる」…???
健康な人…誰もが???
いずれ、病に倒れますょ???

「結婚」って、其れを踏まえて???人生を供に歩くんだと…想います。
でなければ…???
「結婚」なんて、「不幸の観得た扉」を開ける様なものでしょ???笑


「病気」が、原因で、結婚を先延ばしにして居るワケでは無くて…???
「考え方」「捉え方」が、そう~、仕向けてるんだと想いますょ???


「病気」「病気」って、余り騒がず…???
受け入れた上で、先ずは…恋でもしてみては???
一生懸命に、眼の前のコトに取り組んでる人は、必ず…内側から、輝くモノだと想いますょ???

家族や友達に…病をキッカケに???
感謝が出来る様に成れた。


って、そんなコトを身を持って知ったのなら???

其処をちゃ~んと、向き合って観てくれる人は、居ると想いますょ~☆


あっ、因みに…;;;
×一なアタシは、「結婚」だけが、人生ぢゃ~~~~~~無いなぁ~~~。。。って、身を持って知ったウチの一人ですかねぇ~~。。。笑


今を生きましょ~。
のち
時々…。


そんなもんだと想いますょ~~~☆
「元気」に成れたら???
どんなことも…???
受け入れられますよ~きっと☆


「元(もと)」の「気」。
「気」の「元(もと)」…。

自然治癒力高めてクダサイねぇ~・・・・。
美味しい~空気吸って。
美味しい~水飲んで…
ゆっくりしたココロで、
草花の生きる姿を見詰めてみてクダサイ。。。
其処に、存在してる命…も、
ただただ、生かれてますょね???


地味~~~に、綺麗に。笑


では






 
 
 
無題 (ヘンゼルとグレーテル)
2008-10-29 02:48:49
くるみ割り人形さんへ


僕が以前黒斎さんにオススメしてもらった阿部さんの記事を僕からオススメしておきますf^_^;

「一滴の海水」



癌患者さんへ


その「治してやる」という気持ちを忘れないでください。
心の力を上手く使えば、癌は治る病だと聞いています。
(昔、同様のことを他所で他の癌患者さんに言った時は「安易に希望など持たせるんじゃない。無責任な」と他の人から怒られてしまいましたが、その人の癌はちゃんと治りました。今では元気に活躍してます^^)
 
 
 
くるみ割り人形さんへ (ヘンゼルとグレーテル)
2008-10-29 03:04:54
すみません^^;
URL載せられなくなってるみたいなので

このblogの
「十二因縁」(08/07/22)
という記事に阿部さんの「一滴の海水」へのリンクがあるので、よかったらそこから訪ねてみてください。
 
 
 
再三失礼 (ヘンゼルとグレーテル)
2008-10-29 06:06:52
言い忘れてましたが
リンクがあるのはコメント欄です。
 
 
 
ありがとうございます (癌患者です)
2008-10-29 08:25:16
☆癌患者さんへ☆さん

結婚に対して子供みたいに幸せのみを求めてる訳じゃないんですよf^_^;
喧嘩もするだろうし嫌な事もあると思います。
それをわかった上で結婚してお互い自然に一緒にいられる相手が欲しいです。
また、家族ともうまくいかなかったり「ナンデェ」な事は沢山あると思います。
でも先の見えないナンデェな事を考えて生きるより今の一瞬を大切にし、今出来る事をしっかりとやる事が大事だと思ってます。
病気だから出来ないと思いこまず、今好きな人はいるので付き合える様に頑張ってみます!
ありがとうございます。


ヘンゼルとグレーテルさん

治してやるって気持ちはどんなに状況が悪くなろうと絶対に捨てません。

実際末期の方でも治った方はいらっしゃいますし。

治って元気になられた方のお話聞けると勇気が出ます。
ありがとうございました。
 
 
 
あれれ;; (もーそーちゃん☆)
2008-10-29 16:37:34
癌患者さんへ。


…名前の欄にアタシってば;;
アナタの名前書いてたのね;;;;;
すんまへぇ~ん(*^0^)b"

なぁ~んだ☆
ちゃんと恋してるんぢゃ^ないですカァ~笑。
だったら…ォ付き合いが出来る様に…勇気を持って、一歩踏み出すだけでは無いっすかぁ~。。。

何事も、タイミングとキッカケ☆
「明日…言おう。」
「いや…まだ、早い。」
「ふられちまったら…ど~するんだょ;;」とかね。

ココロのブレーキは、何時も点滅してる黄色い信号機に反応して???
知らず、知らずに…想いっきり…踏んづけてるモンですから…。
先延ばしにしないってのは…そのブレーキを緩める事から「始まる」んだと…想いますょ??笑
ぢゃ無いと???
アクセルは…何時までも、踏めませんしね;;;笑
ブレーキ踏んづけたまんまで、アクセル踏んでも??
空ぶかし=333にしか…ナリマセンもんね☆


自分にGO~サインを出せるのは、他でもない自分ですからねぇ~☆

人生、楽しまなくちゃぁ~「損!!!」位に、想ってないとね。笑
応援してますね~~~☆
(アタシが…妙に、ゥキゥキ)???笑


大きなお世話様ぁーでしたね。笑

では。
 
 
 
もーそーちゃん☆ (癌患者です)
2008-10-29 17:49:43
ありがとうございます。

癌だから無理って自分で思い込んでブレーキをかけてましたf^_^;

言わないで後悔するよりはっきり言った方がいいですよね。

頑張ります!
 
 
 
☆そっそ…その意気♪♪ (もーそーちゃん☆)
2008-10-30 13:44:17
癌患者さんへ。


健康な人であったってもねぇ~・・・???
所詮、振られる時は「振られる♪」

上手く行く時は、どんなカタチでも???
その様に~成るモンだと想ィますよ~~~~♪♪

病気に、ワザワザ…『』カッコを付けない様に~…
自然体でイイ~と想うよ~。
ぜぇ~~~~んぶ、ひっくるめた「自分」を包み隠さずにね♪♪
それが、「ありのまま」ッテ事ぢゃ~無いのかなぁ…たぶん。笑
ご健闘~を祈りますネェ~☆


ふれぇ~・ふれぇ~・・・・・。
癌患者さ~~~ん


…ねぇ。
そろそろ…名前…変えない??

では
 
 
 
もーそーちゃん☆さん (癌患者です)
2008-10-30 23:13:31
ありがとうございま~す。

頑張ります!

名前は…


考えておきますφ(.. )
 
 
 
アハ体験♪♪ (もーそーちゃん☆)
2008-10-31 06:02:30
☆出来たみたいっすね~



ぉめでとー。笑
今、作った「ココロ(原因)」が「出来事(結果)」だと…知れば???

ウダウダしてる「時間」…勿体無いよね???笑

済んでしまった事に…囚われ過ぎると…「今」が、観得なく成りますもんねッ

変えて行けるのは、自分の「今」ッテ言う「現在のみ」…。



振り返ってみた時に、変わって来た事も…しっかり観得るモノだと想うょ~

楽しんでねぇ~
名前を考えるのにシテも???
面白…可笑しくねっ♪♪


ばんざぁ~いばんざぁ~い

…きっと、コレまでの黒斎君の「言葉の意味」も…変わって捉えられると想うょ☆

もぅ~一度…ゆっくり…読み直してみても…面白いかも~~~
 
 
 
無題 (みぅ)
2012-06-06 18:03:37
本文読むのでせいいっぱいで
コメント欄はたまにしか開かないんだけど。

ここで出会いたかったのは
油虫さんのコメなんだ、と思った。

雲さんの話も、黒斎さんの話も好きだけど
なんかしっくりこないものがあって。

でも、油虫さんの話を読んで「あぁ」と。
でも、油虫さんの話だけでは「あぁ」とは
ならなかっただろうなと思うし、
だから、出会いは必然なんですねぇ。

ホントはソボクナギモンについて書きたいんだけど
なんかうまくまとまらないのでまたの機会に。
 
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